君と、あの時

文字数 1,167文字

飛行機に乗り込んだ僕は窓際から青空を覗いた。

雲がやたら立体的で太陽と共に暑い季節を主張していた。

こんな天気の良い日は11年前の夏を思い出させる。
あの日もこうして飛行機に乗り込んだ。
その時の僕は、また当たり前のように同じ夏が来るだろうと高を括ってたんだ。

目を瞑って少しずつ懐かしい記憶を頭の中で手繰り寄せる。
しかし、それもママの声に遮られた。
「紫外線。」
それだけ言うとママはアイマスクをしてフルフラットシートに身を預けた。
渋々シェードを下ろして紫外線と青空を遮った。
あの日も結局そうだった。


都内の最高気温を記録したあの日、マリと僕はいつものように等々力公園の丘で踊っていた。
僕は真っ赤なセンスを持ちながらキトリを、マリは僕の足元で僕と同じ二本足で立ちながら、短い尻尾を振って楽しそうにはしゃいでいた。
ママにバレるまで。
バレリーナを目指す少女たちは日光の下に肌を晒すことを許されない。
日焼け止めを飲んでも塗っても、日傘を差しても、皮膚を全て覆っても、最低限しか外を歩くことは許されないのだ。
4年前に日本バレエコンペティション関東代表として選ばれてから、ママはさらにバレエ教育に熱を入れた。
宝塚出身という華やかな経歴を持ちながら日の目を見ることがなかったママにとって僕は自尊心を満たす存在になっていた。
僕は早くその執着心から解放されたいと思う反面、ママの喜ぶ顔見たさで続けていた。

マリは関東代表として選ばれた年のクリスマスプレゼントだった。
ナッツクラッカーの横で好奇心旺盛な目が僕を見つめていたあの時、「クゥン。」と心細そうな鳴き声が聞こえたあの時、僕は心底バレエを頑張ってきてよかったと思った。
バレエのレッスンで学校を休みがちになっていた僕はいつでもそばにいてくれる相棒が欲しかったんだ。


ママと同じようにフルフラットシートに体を委ね、手足を伸ばす。足の指を一本一本開いてテーピングが剥がれているところを凝視した。

楽しい楽しいで踊っていたバレエ。
マリとはしゃぎながら踊ったバレエはもう存在しない。
マリが存在しないんだから。

こんなに早くお別れしないといけないんだったら、バレエなんて続けなきゃよかった。
どうせこの先あと数年の寿命なんだから。
この足もトゥシューズを血まみれにして疲れたって言ってる。

あの日ママが出発日を早めなかったら、僕が予定通りで行くって言い張ってたら、僕がバレエを続けていなかったら。
マリともっと一緒にいられたはずなのに。
なんで。なんで空港まで見送りに来てほしいって車に乗せちゃったんだろう。
寂しがるって知ってたのに。
家でお留守番を頼んでたら、僕を追いかけて車に轢かれることなんてなかったのに。
もっと一緒にいたかったんだろうな。
僕も一緒にいたかったよ。

あの日、あの時、あの瞬間。
君と過ごした季節が瞼の裏で眩しいくらいに蘇る。
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