第1話

文字数 2,235文字

 一郎の四歳の誕生日に母は訊いた。
 「誕生日のプレゼント、何がいい?」
 「弟」
 二日後、見知らぬ男の人がやって来た。
 「お父さんだよ」母は言った。
 一郎が父を見るのは初めてだったので、彼は穴のあくほど父を見つめた。
 十カ月後、次郎が生まれた。
 次郎の四歳の誕生日に母は訊いた。
 「誕生日のプレゼント、何がいい?」
 「弟」

 二日後、父が四年十カ月ぶりにやって来た。

 次郎は十九歳になって大学に通っている。兄の一郎は二十四歳だ。

 弟は五郎にまで増えていた。

 五郎の四歳の誕生日まであと三日という日、次郎は弟に訊いた。
 「プレゼント、何をおねだりするんだ?」
 「弟」
 「ダ、ダメだ」
 次郎は五郎を洗脳してプレゼントを『弟』から『猫』に変更させた。
 五郎の誕生日から二日後、母が大きなペルシャ猫を連れて来て言った。
 「にゃん吉だよ」

 四カ月後、オスだと思っていたにゃん吉は三匹の子猫を産んだ。

 母は何もしない。
 だから兄の一郎は小学生の頃から家事や育児をするようになった。
 今ではオムツ替えからお風呂、離乳食,何でも出来る。
 『母乳を出す』以外なら何でも出来る。
 父は家にいない。
 次郎は父が家にいないのを『母が愛人だからだ』と思っていた。だから戸籍に父の名があるのを見た時は目をむいた。
 今は『母は本妻で父は愛人の所にいる』と憶測している。

 一家の収入源は二か所の駐車場とコンビニに貸している店舗の賃料だ。
 二年前、コンビニが店舗から撤退したのを機に兄はそこで保育園を始めた。
 献身的な保育が評判で園児も多い。

 朝、次郎は猫たちにエサをやっていた。産まれてから八カ月、子猫たちも随分と大きくなった。
 「駅前のそば屋が下着泥棒にあったって」ダイニングテーブルで朝食をとりながら三郎が言った。
 「あの、おかみさんのか」と次郎が言うと
 「若作りして派手なパンティーはいてるからだ」母がボソッと言った。
 「違うよ。二十三歳の女の人のだよ」
 「そういえば娘がいたな」次郎は思い出した。
 「これで三回目だって、早く犯人が捕まるといいね」

 騒動が起きたのは二日後だった。

 一郎の元気がないのに次郎は気付いた。
 「具合でも悪いのか?」
 かぶりを振る。「今日二人の園児の親御さんから暫く園をお休みするって連絡があって・・」
 「何かあったのか?」
 「・・・・」
 三郎がおずおずと言った。
 「下着泥棒、一郎兄さんの仕業だって噂があるんだ」
 「なんだよ。それ」気色ばむ次郎に一郎は困惑した顔で言った。
 「根も葉もない噂だからその内、収まるよ」
 そんな一郎を母はジッと見ていた。

 事態は益々悪くなった。
 三日後、保護者達が園に押しかけ一郎に説明を求めた。
 「僕は下着なんか盗んでいません」
 「じゃあ、なんで疑われているんですか」
 「わかりません。でも僕は犯人ではありません」
 その時、母が一郎の後ろから言った。
 「この子はね、学校に行きながら弟達を育てたんだ。だからその経験を活かして働きながら子育てをしている人達の役に立ちたいって保育園を始めたんだ。アンタ達の味方なんだ。アンタ達はその味方を疑うのかい」
 母の一喝でその場はなんとか収まった。
 事態も収拾したかに思えた。

 でも五日後、警察官が家に来た。

 三十分後、一郎は玄関で警察官に頭を下げていた。
 「すみませんでした」
 警官が帰った後、二階の子供部屋の閉ざされたドアの前で「怒らないから出ておいで」と声をかけた。
 オドオドと出てきた五郎を「もうあんな事しちゃ駄目だよ」とたしなめる。
 五郎は一郎が逮捕されると思い警官にビービー弾を連射したのだ。
 居間に戻ると三郎が「どういう事?」と母に詰め寄っていた。

 母はうるさそうに説明しだした。
 「そば屋のかみさんは五十歳なのに二十三歳の娘と同じくらいド派手なパンティーをはいてるんだよ」
 小学生の四郎には大うけだ。
 母はフンッと鼻をならし「いいかい、母と娘の同じようなパンティーが一緒に干されていたのに犯人は器用に三回も娘のパンティーだけを盗っていったんだ。だから交番に行っておまわりに言ってやったのさ。『娘の身内が犯人だ』って」

 母のにらんだ通り犯人は二十五歳の長男で盗んだパンティーをネットで売っていた。
 『一郎が怪しい』と噂を流したのも彼だ。

 警官は事件が解決した礼を言いに次郎の家に来ていたのだ。
 「あの野郎、ぶん殴ってやる」次郎は息巻いたがその必要は無かった。
 そば屋のおかみさんが息子をぶん殴ったからだ。

 平穏な毎日が戻ってきた。
 今日は五郎の五歳の誕生日で一郎はごちそうを作るのに大忙しだ。
 でも母はコーヒーを呑みながら夕刊を見ている。
 次郎は言った。「ピンチの時だけじゃなくて普段から兄貴の事、助けてやればいいのに」
 母はチラッと一郎を見て言った。
 「いいんだよ。楽しそうじゃないか」
 次郎は以前聞いた兄の言葉を思い出した。

 『家事も育児も楽しいよ、みんなが喜んでくれるから』

 母を見ながら、意外と母親してるじゃねーか、と思った。

 パーティーが始まった。皆が料理に舌つづみを打っていると母は五郎に訊いた。
 「誕生日のプレゼント、何がいい?」
 
 「しまった」次郎ははじかれた様に立ち上がった。
 このところの騒動に気を取られて去年の様に五郎を洗脳する事を忘れていたのだ。
 凝視する次郎の視線をものともせず五郎は言った。
 「あのね・・」

 五郎が生まれて初めて父を見るのは二日後の事である。
 



 




 

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