第1話
文字数 4,294文字
うーん、仏教的な話なんだが。俺はこう思うんだよね。宇宙には大きな原理があってそれを梵という。そして私の中にも原理があってこれを我=仏性という。これらは同一で、これを梵我一如という。
そんで、身体なんていうのは、仏性の先っぽにぶら下がっている腐った”なまぐさ”みたいなものだと思うんだよね。
だから、そんな”なまぐさ”同士が向き合った愛憎なんてどうでもいいんだよ。
それよりも、尊いのは、天の梵を経由してお互いの仏性が触れ合うっていう、そういう愛なんだよ。
俺が今回理香子に腹を立てているのも、”なまぐさ”的愛がどうこうではなくて、あくまでも、梵我一如的な仏性同士の愛を裏切った、という事でなんだよなぁ。
まあ実際に死ぬのは仏性じゃなくて身体の方なんだけれども、仏教的に言えば、身体なんて仏性の先っぽにくっついている”なまぐさ”みたいなものなんだろ? 物理学的にもE=MC2乗、つまりエネルギー=マティリアル×光の2乗だから、原子爆弾一発分のエネルギーをぎゅーっと圧縮すると1円玉ぐらいになる感じだから、それと同じで、仏性をぎゅーっと圧縮したものが身体になる感じなんだろう?
だから、仏性が通じ合っていれば、そこから身体に作用する事は可能だから、見た瞬間に死ぬ、という事が可能なんだよね。
そして彼はありとあらゆる苦行を行った。
まず断食と写経。そして冷水シャワーで滝行、バスタブに氷を浮かべて寒中水行。それ以外の時間は全て座禅。
そして彼はやせ細り、即身仏寸前になって、倒れてしまった。
さて、小林は梵我一如の理屈を信じて苦行に邁進していったのだけれども、そんな事をしたって理香子と再会出来るとは限らないだろう。
だって、梵我一如の理屈で言えば、理香子とは、理香子の”なまぐさ”+理香子の仏性からなるんだろうが、理香子を目指して自分の”なまぐさ”を殺したところで、その場合残るのは小林の仏性なのだろうが、それが理香子の仏性と巡り会える訳ではないだろう。どこか北海道から沖縄のどこかに漂っているソウルメイトと巡り会えるかも知れないけれども。
…というか、理香子と巡り合うというのは、理香子の”なまぐさ”と小林の”なまぐさ”がこの娑婆で直に触れ合う以外にないんじゃなかろうか。
ところで、ここまで俺は梵我一如が真理であるかの様に語ってきたが、実は俺は梵我一如とか仏性とか全然信じていない。
俺は”なまぐさ”しか信じていない。
人間同士が関わるとは、娑婆で”なまぐさ”同士が知り合うことでしかない。
それに産婦人科医の息子である俺に言わせれば、人間同士のまぐわいなんて”なまぐさ”的なものでしかないし、それは犬畜生の交尾にも似ている。
小林によれば、”なまぐさ”同士がべたべたいちゃつくのなんて下劣な営みであって、人間の愛が素晴らしいのは天の梵を共有するからだ、梵我一如があるから人間の愛は高級なのだ、との事だったが。
しかし、俺に言わせりゃ、人間のまぐわいを犬の交尾よりかちょっとは高級にしているものがあるとすれば、それはあの理香子の容姿が…ここで初めて告白するが、理香子の”なまぐさ”的浮気相手というのは勿論この俺なんだが…あの理香子の姿形は丸で如来の様で、あれに精液をぶっかけるというのは何気タブーがあるのだが、そういう後ろめたさがあるからこそ萌えるんだよね。
あと、理香子は小林のカノジョなのにやっちゃう、というやましさがあるから萌えるのだ。
つまりは射精したらプロラクチンが出て賢者モードになる、という事を知っているから、射精する事にわくわくする訳だな。
そうすると、小林と俺の世界観は全く逆だな。小林は宇宙に梵という原理があるからこそ人間の愛は美しいとか言っているが、俺に言わせれば逆で、宇宙の梵も理香子の如来的な美しさも人間のプロラクチン的不安が投影されたものに過ぎないって感じだな。
つまり、人間の不安が神を作ったって訳だ。
さあ、小林が正しいか俺が正しいか、じっくりと理香子ちゃんとまぐわって検証してみよう。
今や小林の”なまぐさ”は風前の灯火なので、俺は自由にいくらでも楽しめるって訳だ。
俺は青磁でできた如来像のような理香子ちゃんを近くに抱き寄せた。
元々色白だったけれども、文字通り透き通るような理香子を見詰めて俺は言った。
しかし理香子は宙を見上げているのみ。
ドライアイスが二酸化炭素になる様に。
俺は更に気化していった。
意識も、ぼーっとしてきた。
如来に射精してタブーを破る様な、そういう”なまぐさ”的欲望が消えていくのが分かる。
しかし気持ちよくもあった。
射精が、溜まりに溜まった水が滝の様に噴射する快楽なら、もっと下流のなだらかな流れが海に広がっていく様な、ゆったりとした快楽を感じる。
宇宙の周期と自分が合一する感覚だ。
そもそも宇宙と個体は一緒だった。呼吸は打ち寄せる波の数と同じだし、産婦人科の病室は満月の晩には満杯になるではないか…最後に俺の意識はそんな事を思い出していた。
そして個体としての感覚は薄れていき、全体に溶け出していくのだった。
やがて俺は宇宙の一部となるのだった。