第1話

文字数 839文字

「イエスは今も生きておられるのです。」と父と道を歩いていると車から聞こえてきた。「復活なんてするわけない」「今どこで生きているの」などと父に話すほどキリスト教を信じていなかった。良い推薦があるからという理由で入学したミッション•スクールでも礼拝のたびに仏教や神道のほうがいいと思っていた。主の祈りの「国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。」ではあなたのものなわけない、あなたのものなんて嫌だと思い「あなたのものではありません。」と言ったこともあるほどキリスト教を嫌っていた。

だが、ある日の礼拝で、マタイによる福音書6章34節の「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」が朗読された。はっとした。私は心配性で大事なテストの前日にはとても緊張して不安になる。だが、「その日の苦労は、その日だけで十分である。」それもそうだなと思った。明日も悩むんだからそんなに今日悩まなくてもいいじゃないか思いと安心した。

聖書の他のページも読んでみると、私を安心させてくれる言葉がたくさんあることに気がついた。聖書、キリスト教とは思っているほど悪くはないのかもしれないと思い、毎日の礼拝や聖書の授業をしっかりと聞いてみるとキリスト教の良さ、面白さに気がついた。学校の宿題で日曜礼拝に行ってみると、普段の礼拝とは違う教会での礼拝に緊張していた私を教会の人はとても歓迎してくれ、優しくしてくれた。お話もとてもためになるもので、日曜礼拝はとても心地良いものだった。そして、キリスト教を知ると西洋絵画や建築、音楽などの芸術もより楽しめるようになった。

不安な時は何度も「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」の箇所を思い出した。そして明日も悩むんだからそんなに不安になるなと私を安心させてくれた。心配性の私はこれからもこの聖書箇所を何度も思いだし安心させてもらうだろう。
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