第1話

文字数 3,240文字

まさかこれ程までに再び正社員として雇用されることが難しいとは思いもしなかった。非正規は自己責任だという論調がある現在だ。私も育児がひと段落したら社員として雇用されたいと考えていたが気が付けば世の中の会社全体が非正規雇用に大きく舵をきっていた。
 転勤族の夫と結婚し出産を機に私は勤めていた会社を退職した。書かされた退職理由は自己都合だ。今から二十年以上昔の話で地方では産休など例がなく寿退社が通例だった。どちらにせよ転勤に同行すれば退職を余儀なくされるのだからと何の迷いもなかった。それから二人目を出産してすぐ夫の転勤が決まり、地元を離れ関東の社宅に入った。夫の仕事は激務で日曜しか休みはないのにその日は資格取得の通学に費やされ、公園で他所のお父さんに懐いてしまう息子が悲しかった。私がインフルエンザで四十度近い熱が出ても夫は仕事に出かけ幼い二人を連れて自力で病院へ行った。頼れる身内もいない見知らぬ土地での育児、家事。給料も労いもない中で夫だけが会社で昇進していく。日々に疲れた私はスーツで出かける夫の背中にどっちか一人くらい括り付けて会社へ行けと心の中で悪態をつく。私だって仕事をし続けることが大変であることは理解しているつもりだ。だから家事は頼まない。たまの休みは夫の睡眠時間を確保するため幼い二人を連れてデパートや公園で時間を潰した。
 再び転勤で地元に戻ることになり入園できる幼稚園が見つかったことで私は仕事を探そうと思い立った。その時の夫の言葉を今でも忘れない。「ママを雇うような暇な会社はないよ。」今なら立派にモラハラともとれる発言に私は奮起する。配管設計の会社で子供たちが幼稚園に行っている時間帯でパートを始めた。五年お世話になった後、夫の転勤で退職せざるを得なかったがまた戻ってきてほしいと嬉しい言葉をもらった。再び見知らぬ土地で子供たちが学校生活や地域に慣れるのを待って仕事を探し住宅会社にパートで採用された。これから先も私は歳をとりながら夫の転勤で仕事を失い新しい土地で職を探すことになるのだろう。ならば少しでも雇用されやすくするためにと仕事、育児、家事の傍ら建築士、宅建等の資格を取得した。私は扶養の範囲内での時間拘束のところを今後のために経験を積みたいと勝手にサービス残業で現場回りをした。営業や職人にも頼りにされ家づくりをお客様に喜んでいただけて充実した日々だった。しかし今度は私の母が脳梗塞で倒れてしまい夫が転勤願を出して地元に帰った。勤務日数の少ない求人を探し、仕事をしながら実家や施設に行った。そんなとき私の乳癌がわかり採用された会社を辞め自分の治療をしながら、介護施設で暮らす母の通院やリハビリに毎日通った。抗がん剤でまつ毛まで抜けていても老いた親にはカツラを被っていれば気付かれることはなかった。そうして病気を隠し両親を看取った頃気が付けば私は四十五歳になっていた。
前に仕事で出入りしていた会社の方に声を掛けられ嘱託社員として採用され建築物の性能評価員として仕事を始めた。毎日九時から六時までのフルタイムだが嘱託社員という非正規雇用だ。親会社から降ってくる社長以下管理職、プロパーと呼ばれる正社員、役所等のOBで資格保有者である特別社員、嘱託、パートに派遣と様々な雇用形態の見本市のようだ。会社組織が社員を解雇するのは客観的に合法と思われる正当な理由が必要だ。景気動向に合わせるための調整弁として非正規はある。しかし私は努力でこの職場カーストくらい打破できると思っていた。
 この会社での実務経験で建築基準適合性判定資格(建築主事)の受験資格が得られる。社内には資格を持った人が沢山いたのでどのくらい勉強したか聞いてみた。「五百時間勉強すれば合格できるよ。」出来のいい人は簡単に言うものだ。平日二時間土日五時間で半年強はかかる計算になる。試験は毎年八月末に行われ、持ち込める新年度の建築基準法令集が発売されるのは年末だ。家族には勉強するから今年はおせち料理を作らないと宣言した。家事を最小限にするために紙皿紙コップ割り箸なども有効利用させてもらった。嬉しい誤算だったのは娘が「お母さんが勉強するなら私も。」と大学受験の勉強を始めた事だった。娘がリビングで勉強するというので自分用に折りたたみの机とライト、電気毛布を用意した。会社の人から過去の問題資料はたくさん貰っている。本試験は前半の選択問題が一時間二十五分、後半は実際の審査を想定した記述問題で三時間二十五分だ。特にこの記述問題はボリュームがあり書く手を止めると間に合わない程だと聞いていた。建築士の勉強をしたときに過去問を四回繰り返せば覚えた記憶がある。しかし今回の選択問題は何度も何度も間違える。試験の難易度が高いのか、私の物覚えが悪くなったのか。毎日共に勉強する娘と寝る前に進まぬ勉強の愚痴を言い合った。以前資格の勉強をした頃は小学生だった娘と受験生の苦労を分かち合うなんてと感慨深い。イメージは三月くらいには過去の模試を通してやれるようになっているつもりだったが全くそのレベルではない。趣味や娯楽も封印して勉強に臨んでいたが週一度の買い出しも夫に頼むことにした。紙に必要なものを書き出してポイントカードの使い方も教えた。最初こそ夫は一週間分の食材の量が想像できない様子だったが段々と、言わずとも冷蔵庫内を確認してから買い物にでるようにまでなった。
毎年東京でしか行われない三日間の試験前の講習会が今年はコロナの影響でZOOM講習となったのは好都合だった。リフレッシュ休暇を講習日にあてて取りわからない点をメール質問した。自転車通勤なので覚えづらい構造計算の公式は自転車の前かごに貼って信号待ちの度に眺める。試験前に行われる直前の無料模試では三十人中四位とまずまずの成績だったが模試が良くても本番落ちたら恥ずかしいので会社では誰にも言わなかった。試験当日、真夏だったが室温が調整できない場合を考えてカーデガンやひざ掛けを持参する。コロナ禍でも九州唯一の試験会場には二百人を超えた人数が集まっていて私の席は冷風で用紙が飛ぶほどであった。しかし換気のために窓が開いていて暑い席がある事を理由に冷房を弱くできないと試験官に言われる。防寒用品を準備しておいたのが功を奏した。午前中の選択問題を終えて昼休みには近くのコンビニで真夏なのにホットコーヒーと肉まんで暖をとった。後半の記述は冷えを忘れるほどに集中し、日々の勉強で書きすぎて痛かった親指も今日で最後だと酷使した。
 十二月二十五日、合格発表の日も変わらずに仕事をしていた。一緒に受けた男性社員に「おめでとう、俺は来年頑張るよ。」と肩をたたかれて合格を知った。社員は合格すると翌年から資格手当がつく。法令集代受験料も会社もちだ。今年はZOOMだったので私も受けられた試験前講習は去年まで社員のみ東京出張と講習代が支払われていた。私のような非正規が受験した例がないらしく総務担当にはハッキリと「申し訳ないけど費用は払えない。」と言われた。みんな自分の職務をこれまでの流れを変えることなく粛々と遂行しているのであって仕方がないとしか言えない。会社に入って三年、毎年上司との面談では社員登用を希望し、この難関資格を突破できれば待遇改善につながるのではないかと期待していた。しかし、会社のカーストは会社の事情であり私は頼まれてもいないのに勝手に勉強して社員を差し置いて合格するまさに出る杭でしかなかったようだ。大変な努力で一発合格したのに何一つ変えられない。合格の喜びは半減した。
 でも前を向こう。何も失った訳じゃない。
私が勉強を始めたことで娘は大学進学を目指し夫は家事に協力的になり一目置いてくれるようになった気もする。めげず腐らず日々努力精進していればまた道が開けてくるかもしれないと自分に言い聞かせている。
 これでも非正規は自己責任だと思いますか。
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