相性の良い夫婦

文字数 4,462文字

 一人の若い女性が、白い砂のビーチで黄色いパラソルに目を止めた。
――きっと、あれだわ。横に若い男性が立っているし。
 麻紀(まき)は心でそうつぶやきながら、緊張した面持ちで深呼吸した。そして、笑顔を作ってから、ゆっくりとした足取りで黄色いビーチパラソルに向かって歩き出した。

 黄色いパラソルの横に立っていた男性が、近づいてきた麻紀に声をかけた。
「こんにちは。僕は……浜辺の風景写真を……撮っていたところです……」
 雅人(まさと)は緊張しているため、話し方が少しぎこちない。
「あなたのような美しい女性は、これまで見たことがありません……風景と一緒に撮影したいのですが、お願いできませんか」
「あら、私なんか、モデルみたいに写真に写るような姿じゃないのに」
 麻紀は少し緊張しながらも、映画のヒロインのような気分を味わいながら笑顔で答えた。
「是非お願いします」
 雅人は笑顔を作っているが、ぎこちない笑顔だ。
 麻紀は、この日のために新調したかわいいワンピースに身を包み、何度も練習を重ねたメイクをばっちりと決め、女優のように輝いている。
「そうですか。私でよければ……」
 麻紀は緊張もだいぶ薄れて自然な笑顔になっている。
「ありがとうございます」
 雅人は礼を言ってから自分の名前を告げ、麻紀も笑顔で名乗った。
 その後、二人は楽しく会話をしながら撮影をし、雅人は十数枚の写真を撮り終えてから言った。
「この写真を額縁に入れてお送りしたいので、麻紀さんの住所を教えてもらえませんか。僕の住所はここです」
 雅人は、緊張もほぐれてリラックスした様子で、自分の住所が書かれたメモを麻紀に渡した。
「ありがとうございます。写真を送っていただけるなんて、とても嬉しいです」
 麻紀もあらかじめ用意してあったメモを雅人に渡した。
 それから、二人は笑顔で見つめ合った。
――想像していた以上に素敵な男性だわ。
 麻紀は心でつぶやいた。

 二人は、パーフェクト社から受け取った提案書に記載されたシナリオどおりにビーチで出会い、そのシナリオどおりに振舞い、そしてお互いに相性の良さを実感していた。
 提案書に記載されたシナリオはすでに終わっており、この先は二人の自由だ。
 二人はしばらく気の向くままに会話を続け、それから手をつないで歩きだし、肩を寄せ合いながらビーチを後にした。

 パーフェクト社は、人工知能に基づく相性診断サービスを提供している。自分の遺伝子情報や育った環境の他、好きなタレント、好きな食べ物、好きな本などの膨大な個人情報を登録しておくと、人工知能が搭載されたコンピューターが分析し、登録されている会員の中から、最も相性が良い相手を見つけて紹介してくれるのだ。
 相性判断の結果だけで付き合い始めるのでは味気ない、という顧客の要望を入れて、映画の主人公のような出会いの場を演出するサービスも、オプションとして提供している。


 パーフェクト社の相性診断サービスを利用して、白い砂のビーチでドラマチックな出会いを経験した二人は、とても相性が良く、すぐに親しくなり、愛を深め、そして間もなく結婚した。
 二人は、相性の良い夫婦として、幸せな結婚生活をスタートさせた――。

 一年後。
「この前言っただろう?」
 雅人は麻紀の顔を見て言った。
「聞いてないわよ!」
 麻紀は不機嫌そうな表情だ。
「忘れるなよ!」
 雅人は苛立って怒鳴った。
「そんな話、絶対に聞いてない!」
 麻紀も負けずに怒鳴り返した。
 二人の間には気まずい沈黙が続いた。

 三日後。
 雅人と麻紀は、年に一度のパーフェクト社の定期検診を一緒に受けている。夫婦間で起きたことをできるだけ正確に情報として登録しておくと、人工知能が分析して、最適なアドバイスを受けることができるのだ。
「どんなに相性の良いご夫婦でも、一年もすれば、たまに喧嘩しても全く不思議ではありません」
 人工知能ロボットのカウンセラーの話に、雅人も麻紀も耳を傾けている。
「麻紀さんが別のことで気を取られている時に、雅人さんがつぶやくような小さな声で言ったことが、麻紀さんに伝わらなかったことで起きた喧嘩です。どちらの言い分も一理ありますが、言い争っても何も良いことはありません」
 二人は黙ったまま小さくうなずいた。
「最近、ご夫婦の間の会話が減ってきているようです。お互いに意識して、日常の会話をもう少し増やすと良いでしょう」
 人工知能ロボットのアドバイスに、二人は大きくうなずいた。
「人工知能による確かな分析とそれに基づく的確なアドバイスは素晴らしいね」
「本当にそうね」
 定期検診を終えると、二人は仲良く手をつないで会話を楽しみながら家路についた。
 その日の夜、麻紀は雅人が眠りについた後で、そっと化粧台の引出しを開け、「良かった」と静かにつぶやいた。
 

 三年後。
「また仕事なの? 二人で旅行に行く約束だったでしょう?」
 麻紀は不満顔だ。
「そんなこと言ったって、しょうがないだろう?」
 雅人は疲れ気味である。
「自分勝手ね!」
 麻紀は雅人の気持ちが分からない。
「それは、こっちのセリフだ!」
 雅人も麻紀の気持ちを理解していない。

「相性の良いご夫婦でも、三年もすれば、たまには上手くいかない時もあるものです」
 二人は定期検診を受け、人工知能ロボットのアドバイスを聞いている。
「雅人さんは将来の昇進を左右しかねない仕事を抱えておられます。麻紀さんは出産前の自由な時間を楽しめる最後の旅行を計画しておられます。どちらが大事かを判断することは不可能ですし、意味もありません。ですから、相手を非難しても何も良いことはありません」
 二人はじっと聞いている。
「お二人とも、日々の生活に追われて疲れが溜まっているようです。何とかして時間を作って、二人で旅行に行ってみると良いでしょう」
 その一か月後、二人は南の島のビーチでトロピカルジュースを飲みながらくつろいでいる。
「人工知能による客観的で冷静なアドバイスは、本当に役に立つね」
「本当にそうね」
 旅行から帰宅した日の夜、熟睡している雅人の横で、麻紀は化粧台の引出しの中を覗き込んでから、「やっぱり本当だったわ」とつぶやきながらほほ笑んだ。


 六年後。
「もういい加減にしてくれ!」
 雅人は大声で怒鳴った。
「それはこっちが言いたいことよ!」
 麻紀の怒鳴り声は甲高い。
「もう一緒に暮らしていくのはやめるか?」
 雅人は静かに言った。
「そうね、その方がいいかもね!」
 麻紀は早口で言い返し、二歳になったばかりの娘を抱きしめた。

「相性の良いご夫婦でも、六年もすれば、たまには一緒にいることが嫌になる時もあるものです。しかし、雅人さんも麻紀さんも、お互いに対する日頃の感謝の気持ちを一時的に忘れて、相手の嫌な面だけが頭に浮かんでいる状態なので、間違った判断をしています。ですから、このまま別れても何も良いことはありません」
 二人は真剣な表情で人工知能ロボットのアドバイスを聞いている。
「お互いに相手に頼りすぎて感謝の気持ちが薄れてしまっているようです。この際、一か月ほど別居して一人暮らしをしてみると良いでしょう。パーフェクト社では、その間、大切なお子様を責任をもってお預かりいたしますので、ご安心ください」
 二人は、アドバイスに従って、パーフェクト社に紹介された別々のマンションの一室で一人暮らしを始めた。
 別居して二週間経った日、二人はホテルのレストランで会って食事をしている。
「また一緒に暮らしてほしい」
「是非お願いします」
 二人は見つめ合いながら乾杯した。
 元の家に戻った日の夜、雅人と娘の寝顔を見ていた麻紀は、化粧台の引出しの中にそっと手を入れながら、「信じて良かった」とつぶやき、娘の小さな手を優しく握った。


 雅人の還暦の誕生日。
 家族でのお祝い会に、遠くに住んでいる娘夫婦は、立体映像の姿で参加している。
 麻紀は、自宅のダイニングの壁のパネルを操作し、注文しておいた飲み物と料理を保管庫から取り出した。冷たい飲み物はよく冷えており、温かい料理はできたてのように湯気が出ている。
「お父さん、還暦のお誕生日おめでとう!」
「みんな、ありがとう!」
 娘夫婦は、彼らの自宅で両親と同じ料理と飲み物を楽しみながら、オンラインお祝い会が始まった。
「お父さんとお母さんは、いつも仲が良いよね。これからも仲良く元気で暮らしてね」
「まあ、いろいろとあったけれど、母さんのお陰で楽しく元気で暮らしてきたよ」
「お父さんこそ、いつも家族のためを思って頑張ってきてくれたわ。感謝してます」
 相性の良い二人は、子供夫婦と共に幸せな時間を過ごした。

 賑やかで楽しかったお祝い会も終わり、静かになった家の中で、雅人は麻紀に言った。
「子どもたちもパーフェクト社の相性診断サービスを利用したから、一生幸せに暮らすのだろうね」
 麻紀は雅人の手を握り、無言でうなずきながらほほ笑んだ。
「昨日、こんなものを作ったんだけど……」
 雅人は壁のパネルに触れて、部屋の中に立体映像を映し出した。
 白い砂のビーチに黄色いパラソルがあり、その下に二人が並んで座っている。風景は二人が出会った日のものだが、写っている二人は、現在の姿を合成したものだ。
「いつまでも幸せに暮らしましょうね」
 麻紀は雅人を笑顔で見つめた。

 その夜。
 麻紀は、雅人が眠りについた後、そっとベッドから出た。
 そして、化粧台の小さな引出しを静かに開けて、中から古い書類を引っ張り出した。それは、雅人との出会いを作ってくれたパーフェクト社の提案書だ。
 麻紀は、その下にあったもう一つの古い書類を取り出した。パーフェクト社とはライバルのエクセレント社から受け取った提案書で、夫とは別の男性との出会いが提案されていたものだ。
 麻紀は、さらに引出しの一番奥から古い本を取り出した。表紙は色あせているが、〈あなたを幸せに導く恋占い〉というタイトルが書かれている。
 麻紀は、懐かしそうに眺めてから、その本をそっと胸に抱いた。
 麻紀は、薄明かりの寝室の中で、化粧台の鏡の中の自分を見てにっこりと微笑んだ。
――占いを信じて良かったわ。
 麻紀は心でそうつぶやくと、パーフェクト社の提案書と恋占いの本を引出しに戻した。それからエクセレント社の提案書を持って立ち上がり、ベッドで眠っている夫を起こさないようにそっと寝室を出た。
 キッチンにある廃棄物の挿入口の前に行き立ち止まった麻紀は、挿入口の蓋を開けた。麻紀がエクセレント社の提案書を挿入口に投入すると、それは音もなく吸い込まれて消えていった――。

 麻紀は再び静かに歩いて寝室に戻った。
――娘にも占いを勧めておいて、本当に良かった。
 麻紀が枕元のスイッチを押すと、寝室には真っ暗な静寂が訪れた。聞こえてくるのは、隣で眠っている雅人の安らかな寝息だけだ。
「あなたと私は、相性がいいのよ」
 麻紀は、眠っている雅人の耳元で、小さな声でささやいた。
「だって、恋占いの結果が最高だったんだから」
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