『睦屋人形店の黒髪さん』

文字数 4,993文字

会場になった駅前のビルには、たくさんの企業がブースを並べていた。
町の中小企業の主催で開かれた合同就職面接会。高校3年の私は、もう何度目かもわからない就職面接会に参加した。
人と話すのが苦手な私が面接で上手く話せるはずもなくーー
「君も社会人を目指すなら、相手の目を見て話せるようになった方がいい」
これまで同様、今回も会社案内のパンフレットと同じ数だけそんなダメ出しをもらった。
「……はぁ」
会場の端っこに置かれたパイプ椅子に重い腰を降ろした途端、ため息がこぼれた。そんな時だった。
ふと顔を上げた私は、会場の片隅に不思議なブースを見つけた。

ーー睦屋(むつみや)人形店

並べられたテーブルやパネルの数は他の企業と同じなのに、会社名がプリントされた紙が一枚、パネルに貼られただけのブース。
テーブルの上にも会社の資料は一切なく、大量のぬいぐるみが入った段ボールが置いてあるだけ。ブースの奥も段ボールが山積み。まるで面接会の準備を始める前の状態だった。
そして何よりも私の目を引いたのは、テーブルの向こう側で段ボールの整理をしていた社員さんらしき長い黒髪の若い女の人。
黒いYシャツに黒いエプロン、その上に丈の長い黒いカーディガン。黒いロングスカートに黒いタイツと黒い靴。しかも顔には黒いマスクという全身黒衣装に身を包んでいた。その線の細い身体は、まるで等身大の人形のようだった。
その人はゆっくりパイプ椅子に腰掛けると、ぬいぐるみの修繕を始めた。
"黒髪さん"が気になった私は、ブースに近づいた。就活生用の椅子すら置いていないそのブースの前で立ち止まる就活生は誰もいなかった。
その代わりに、ブース前の床にクマのぬいぐるみが転がっていた。茶色の床と同じ色のせいか、誰も気付いてはいないようだった。
「……あの、これ」
私はぬいぐるみを床から拾って、テーブルに置いた。
「落ちてました」
それに気付いた黒髪さんが、手を止めて目だけで私を見上げた。黒い大きな瞳と長いまつげで上目遣いされて、思わずドキリとした。
「……ああ、拾ってくれたんだ」
黒髪さんは、少し間をあけてそう答えた。綺麗な声だった。
「ありがとう」
それだけ言うと、黒髪さんは再び目を伏せて、ぬいぐるみの修繕を始めた。
私の目の前で、糸がほつれて綿が飛び出したぬいぐるみの傷痕がみるみる塞がっていった。その指使いに私は見とれてしまっていた。
「何か用?」
「え?」
「聞きたいことがあるなら自分から聞かなきゃ、誰も教えてはくれないよ」
綺麗だけど、黒髪さんの声からはあまり感情を感じられなかった。
「……あ、すいません」
言われた私は思わず謝ってしまったけれど、そもそもここは面接会場で、黒髪さんは面接する側の人のはずだった。
「ここは……何をする会社ですか?」
仕方なく、私は面接会で初めて自分からそう聞いた。
「ここは睦屋人形店のブースです。弊社の業務内容は、人形やぬいぐるみの製造販売。修理修繕から人形供養まで多岐に渡ります」
それだけ言うと、黒髪さんは再びぬいぐるみの修繕を続けた。
「……ありがとうございました」
人形やぬいぐるみを扱う会社だという事はわかったし、このまま立ち去ってしまっても良かったはずだった。けれど……
「……どうしてそんなに上手に縫えるんですか?」
私は自分から黒髪さんに話しかけていた。人と話すのは苦手なはずなのに。
黒髪さんは再び作業の手を止めるとーー
「好きだから」
一言だけ、そう言った。
「……そう、ですよね。好きな事を仕事にできるって、いいですね。ありがとうございました」
再び黙ってしまった黒髪さんの姿に、私が今度こそその場を離れようとした時だった。
「好きな事、仕事にしたいの?」
黒髪さんの方から話しかけてくれた。
「……あ、いえ、絶対にしたいってわけじゃないんですけど……やっぱり、その方が楽しいんだろうなって……思うので」
「好きな事だから、あえて仕事にしないって人も、沢山いる」
「……そう、なんですか?」
「どんな仕事もどこかで絶対に人と関わるから、100%自分の思う通りってなかなか出来ない事も多い。だから、好きな事こそ仕事じゃなくて趣味にする、って」
「……ああ」
確かに。言われてみればそうかもしれなかった。
「だから、苦手な事から考えていく方法もある。苦手な事、ある?」
それを聞かれたのは初めてだった。これまでの面接でも、"得意な事"しか聞かれた覚えがなかった。
「……人と話すのが、苦手です」
思わず口からこぼれていた。本当なら一番隠さなきゃいけないことのはずなのに。
「……人と話すと緊張してしまうんです。だから、これまでの面接でも上手く話せなくて……変わらなきゃと思うんですけど、変えられなくて」
先生と何度も練習したけれど、本物の面接官の前では役に立たなかった。黒髪さんも同じ面接官(たちば)のはずなのに、緊張せずにそんな事まで話せている自分が不思議だった。
「本当に変わりたいと思ってる?」
「……え?」
「変わりたいのに変われないのと、本当は変わりたくないのに変わろうとすることは、ずいぶん違う。君は本当に変わりたいの?」
「それは……」
変わりたいに決まっている。ずっとそう思ってたはずだったのに……私は直ぐに答えることが出来なかった。
「どうしても変えられないなら、それはきっと変わらなくていい事。それも君の一部だから。"変えられない自分を受け入れる覚悟"をすればいい。私はそう教えられた」
それは、これまでの就活セミナーでも聞いたことのない言葉だった。
「君も社会に出るのなら、もっと自分を知った方がいい。好きな事、嫌いな事、得意な事、苦手な事。自分がどういう人間なのかもう一度よく考えてみるといい。そうすれば、自分の何を大事にして仕事を選べばいいのか、きっとわかるはずだから」
「……」
黒髪さんの言う通りなのかもしれなかった。
高校を卒業したら就職するって決めたのは私自身のはずなのに、私は自分が何をしたいのかをちゃんと考えたことがなかった。
学校や説明会で渡された資料から選んでいただけだった。その中に自分にも"出来る事"があるだろう、って。
睦屋(ウチ)はパンフレットも椅子も準備していないけれど、"自分と意欲"を持って訪ねてきてくれた人なら歓迎します。例えそれが、人と話すのが苦手な人でもーーっくちゅんッ!!
多分決め台詞と思われる所で、黒髪さんは突然クシャミをした。私が驚いたのは、クシャミの大きさじゃない。
クシャミをしたはずの黒髪さんの顔が、ピクリとも動かなかったから。
「……」
目を丸くした私に気づいたのか、黒髪さんは気まずそう目を泳がせた。そしてーー
「……惜しかったなぁ」
呟くように、そう言った。
「え?!
私はもう一度、そしてさっきよりも驚いた。目の前にいる黒髪さんから男性の声がしたから。
「……ごめんなさい」
今度は黒髪さん本人?の女性の声だった。黒髪さんから男女二人の声がしていた。目の前で何が起きているのかわからなかった。
「ああ、これじゃあ混乱させてしまいますよね」
男性の声の黒髪さんは私の方に向き直ると、マスクを外して素顔を見せた。
その顔は女性の顔にしか見えなかったけど、黒髪さんが見せたかったのはそこじゃなかった。黒髪さんが外したマスクの内側には、小さなスピーカーのようなものがついていた。
「今まであなたに話していたのは、僕じゃなくて、"あそこ"に入ってるウチの副社長なんです」
「え?」
そう言って、黒髪さんはブースの奥、台車に乗ってる大きな段ボールを指した。
「ウチの副社長、人にお説教するのは好きなんですけど、自分は"人混み恐怖症"で……こういう場所が苦手なんです」
「え?え?」
「だから自分は段ボールに隠れて、こうやって僕を操り人形代わりにして面接会に参加してるんですけど、毎回お説教だけして就活生さんに逃げられてるんです」
「お説教じゃなくて助言(アドバイス)って言って」
黒髪さんがスピーカーをテーブルの上に置くと、そこから女性の黒髪さんの声が響いた。
「役職が顔も出さないで、面接も勧誘もあったもんじゃなーー」
「そもそも顔出してませんよ」
黒髪さんは女性の黒髪さんの声を遮ると、椅子から立ち上がった。
「驚かせてしまって本当にごめんなさい。あなたを騙すつもりでこんな事してた訳じゃなことをわかって下さい」
黒髪さんは私に頭を下げると、男性(じぶん)の声でそう言った。
「少し、僕の話をしてもいいですか?」
黒髪さんに言われて、私は黙って頷いた。
「さっきは褒めてくれてありがとうございました。今は性別や性格について世間も寛容になってきてますけど……昔は男のクセにぬいぐるみが好きで裁縫が得意な変な奴って、馬鹿にされていたんです。僕」
黒髪さんは苦笑いを浮かべながら言った。
「そんな自分を変えようと、一度は別の仕事に就いたんですけど続かなくて。そんな時に睦屋(ココ)の社長……副社長のお婆様に出会って、あなたと同じ言葉をかけてもらいました」

ーー変えられない自分を受け入れる覚悟

黒髪さんの……いや、副社長さんの言葉を思い出した。
「お陰で、僕は男のクセにっていう自分と世間が決めつけたレッテルを剥がす事が出来ました。ぬいぐるみが好きな自分を受け入れる覚悟ができました。僕の場合は"好きな事"を仕事にすることが一番自分に合っていたんです。たまにこういうパワハラはありますけど、今の仕事に満足してます」
「パワハラじゃないでしょ。私も君も"自分"を受け入れてるが故の共同作戦でしょ」
「僕はもう女性の格好しなくても平気だって言ってるじゃないですか。それを副社長の趣味で無理矢理ーー」
「それ以上言うと、マジ許さないから」
その時の副社長さんの声は、今までで一番感情の込もったものだった。
「……とにかく、社会に出てる大人はみんなお堅く立派に見えるかもしれませんけど、あなたと同じように苦手を抱えてるって事です」
"何か"を感じ取ったのか、黒髪さんは脱線しかけた話を戻した。
「だから変われない自分を恥じる事はありません。副社長も言っていたように、きっとそれも含めて自分(あなた)なんです」
そう言って、黒髪さんはニコッと笑った。
「それでは、副社長がお花を摘みに行く時間なので、一度退席させていただきます」
「……お花?」
黒髪さんはブースの奥に進むと、副社長さんが入っているらしい段ボールが乗った台車に手をかけた。
「……あの!」
台車を押してブースを出ていこうとする黒髪さんを、私は呼び止めた。
「自分がどんなことを仕事にしたいのかとか、まだよくわからないんですけど……こんな私でも働かせてもらう事はできますか?!
「……」
黒髪さんは黙ったまま私を見ていた。そしてーー
「無責任に"出来ますよ"とは言えませんが……今日この会場にいる就活生さんの中で唯一、ぬいぐるみを拾ってくれたあなたなら、僕は歓迎します」
そう言って微笑むと、私に一礼して会場を出ていった。


残された私は、呆然と立ち尽くしていた。
まさか自分の口から"あんな言葉"が出てくるなんて思わなかった。つい勢いで言ってしまったのかもしれない。でも……後悔はしていなかった。それが不思議だった。
「……今回も新入社員ゼロだったらどうしよう」
その時、テーブルに置き忘れられていたスピーカーから副社長さんの声が聞こえてきた。まだ"向こう側"のマイクの電源を切っていなかったようだった。
「睦屋のみんなガッカリするだろうし、お婆様に叱られるよね、きっと」
怯えた少女のようなその声は、さっきまでの凛々しい口調とはまるで別人のものだった。
「……ねぇ、副社長代わってよぉ」
「いやいや、副社長以外にあの社長(ひと)の補佐を出来る人はいませんよ」
副社長さんのスピーカーから遠いのか、黒髪さんの声は小さかった。
「苦手な事でも、周りの人達の為ならやり甲斐に変えられる。それが副社長(あなた)じゃないですか。大丈夫ですよ、もしもの時は僕も一緒に謝りますから。午後からも面接会頑張りましょう?」
「……うん。ありがと」
そんな二人の本音(かいわ)を聞きながら、黒髪さん達が言っていたことは本当なんだと思った。
みんな自分と向き合いながら仕事をしてる。その為にも、やっぱり自分をよく知らなきゃいけない、って。
私は会場の端っこからパイプ椅子を持ってきて、誰もいない睦屋のブースの前に腰を降ろした。
テーブルには、綺麗に傷を治してもらったクマのぬいぐるみが微笑みながら座っていた。


おわり。
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