ごはんを待ちながら
文字数 2,000文字
ある冬の夜。大学の友人と鍋をすることになった。会場は友人の後藤の下宿先。極度のミニマリストである彼の六畳一間の部屋にはため息が出るほど何もない。こたつと布団。本当にそのぐらいだ。そのくせ、電灯がやたらと明るい。窓もない。独房じみた部屋である。後藤曰く、殆ど家にはいないらしく、これで十分生活できるらしい。だが、それにしても殺風景が過ぎないだろうか。
「なあ、後藤のやつ、まだ戻らねえのかな」
そう問いかけるのは、もう一人の友人の原である。こたつの対面で丸くなっている。
「さあ。いつかは来るだろう」
「そうかなあ」
今日、俺たちはまだ後藤に会っていない。後藤の下宿先に着いて目にしたのは、こたつの上にある1枚の置手紙。曰く「買い出しにいってくる。すぐ戻るから、そのまま部屋で待て」のこと。彼はスマホを持たないので、連絡をとることはできない。
「こういうのは久々だよな」
暇そうにだれていた原が言う。
「こういうのとは」
「人と飯食うこと。最近は感染症がどうとかで、あんまり人と会えなかったじゃんか」
「そうだな」
「だからさ、一度こういうのをやってみたかったんだよ。青春って感じじゃん」
「さっきは久々だって言っていたぞ。矛盾では?」
「人と飯食うのは久々ってこと。これは人ん家で鍋食う話。こっちはやったことない。矛盾してねえよ?」
そんなどうでもいい会話をしばらく続けた。1時間ほど経っただろうか、後藤はまだ現れない。
「腹減ったし暇で仕方ねえよ。後藤なんか放ってさ、ラーメンでも食べに行こうぜ」
原は立ち上がろうとする。
「もう少し待ってみよう」
「待ってどうにかなるのかよ」
「みんなで鍋をつつきたいんじゃなかったのか?待ち焦がれているものほど、いざ体験した時の嬉しさも大きいものだ」
「まあそうかもしれねーけどよ」
原は渋々こたつに戻った。暇に任せて、後藤が何を買ってくるのかという談義に更に1時間を費やした。だが、やはり後藤は現れない。
「潮時かもな。何か買ってこよう」
よっこらせとこたつから出る。玄関のドアを開けようと、ドアノブを捻って押す。
「……うん?」
ドアが開かない。押したり引いたりドアノブをガチャガチャしてみる。しかし、それでもドアは開かなかった。
「ドアが開かない」
振り返って、原にそう告げる。
原はへらへら笑いながら、私をどかしてドアノブに手を掛ける。が、すぐにその表情は硬くなった。
「……なんで?」
俺は肩を竦めた。
とりあえず原と俺はこたつまで戻った。そして話し合った。ドアが壊れたのか。それとも、誰かの意図で閉じ込められたのか。しかし、いくら話してみたところで答えは出ない。脱出の方法も考えた。とにかく騒いで、隣人に気づいてもらうか。あるいは119通報するか。ただ、それらはみな、最終手段である。
「なあ、俺たちこのまま閉じ込められたままなのか?」
出口の見えない長い議論の末に、疲弊した原は情けない声を上げた。
「そんなことは無いだろう」
「やっぱり後藤に何かあったんじゃないか」
「かもしれないな」
「だろう?もうここを出よう。ここにいるのはもうイヤだ」
原はこたつから立ち上がった。原の様子がおかしい。
「なんか、ここにいると、モノが無さ過ぎて頭がおかしくなってくる。なんつーの、全部無意味なんじゃねえかなって気がしてくる。……そうだ、いっそのこと、全部ぶち壊しちまおうぜ。うん、そうしよう」
原はそう言って、壁に全力でタックルを仕掛けた。壁はびくともしない。それでも何度も何度もタックルを繰り返す。俺はただその様を見ていた。原の奇行に虚を突かれたというのもある。だがそれ以上に俺も精神が参っていた。もう何もかもどうでもいいという諦観と虚脱感。
男が壁に突進する異様な光景を呆然と眺めている内に、身体と意識の輪郭が曖昧になるような感じがする。まるで現実感が無い。このままだと俺もやばいかもしれない。
不意に俺のスマホが震えた。はっとして画面を見る。メールが届いたようだ。知らない宛先だった。その文面にはこうあった。
「後藤さんの代わりに連絡します。今日はもう帰らないとのことです。ただ、明日には戻るのでそのまま待っているようにとのことでした」
…………。
ろくでもない夢を見た。狂ったように鳴る心臓が痛い。
俺の友人に後藤という者はいない。原もしかり。友人の家で鍋をつつくという経験もない。人と飯を食うことも最後はいつだったか。あんな意味不明な夢を見たのは、人と飯を食うというイメージが俺の記憶には無いからなのだろう。
もっと人と関わっておけばよかった。でも今更どうしろというのだ。その時でしかできないことをしなかったのが今の自分だ。飯に誘える友人なんて、今の俺にはいないのだ。無いものねだりをしても仕方がない。
それでも、同じ釜の飯を食った仲というやつは、憧れる。
……空腹だ。
その辺に転がっていたカロリーメイトの箱を開けて、一つ齧って、ごまかした。
「なあ、後藤のやつ、まだ戻らねえのかな」
そう問いかけるのは、もう一人の友人の原である。こたつの対面で丸くなっている。
「さあ。いつかは来るだろう」
「そうかなあ」
今日、俺たちはまだ後藤に会っていない。後藤の下宿先に着いて目にしたのは、こたつの上にある1枚の置手紙。曰く「買い出しにいってくる。すぐ戻るから、そのまま部屋で待て」のこと。彼はスマホを持たないので、連絡をとることはできない。
「こういうのは久々だよな」
暇そうにだれていた原が言う。
「こういうのとは」
「人と飯食うこと。最近は感染症がどうとかで、あんまり人と会えなかったじゃんか」
「そうだな」
「だからさ、一度こういうのをやってみたかったんだよ。青春って感じじゃん」
「さっきは久々だって言っていたぞ。矛盾では?」
「人と飯食うのは久々ってこと。これは人ん家で鍋食う話。こっちはやったことない。矛盾してねえよ?」
そんなどうでもいい会話をしばらく続けた。1時間ほど経っただろうか、後藤はまだ現れない。
「腹減ったし暇で仕方ねえよ。後藤なんか放ってさ、ラーメンでも食べに行こうぜ」
原は立ち上がろうとする。
「もう少し待ってみよう」
「待ってどうにかなるのかよ」
「みんなで鍋をつつきたいんじゃなかったのか?待ち焦がれているものほど、いざ体験した時の嬉しさも大きいものだ」
「まあそうかもしれねーけどよ」
原は渋々こたつに戻った。暇に任せて、後藤が何を買ってくるのかという談義に更に1時間を費やした。だが、やはり後藤は現れない。
「潮時かもな。何か買ってこよう」
よっこらせとこたつから出る。玄関のドアを開けようと、ドアノブを捻って押す。
「……うん?」
ドアが開かない。押したり引いたりドアノブをガチャガチャしてみる。しかし、それでもドアは開かなかった。
「ドアが開かない」
振り返って、原にそう告げる。
原はへらへら笑いながら、私をどかしてドアノブに手を掛ける。が、すぐにその表情は硬くなった。
「……なんで?」
俺は肩を竦めた。
とりあえず原と俺はこたつまで戻った。そして話し合った。ドアが壊れたのか。それとも、誰かの意図で閉じ込められたのか。しかし、いくら話してみたところで答えは出ない。脱出の方法も考えた。とにかく騒いで、隣人に気づいてもらうか。あるいは119通報するか。ただ、それらはみな、最終手段である。
「なあ、俺たちこのまま閉じ込められたままなのか?」
出口の見えない長い議論の末に、疲弊した原は情けない声を上げた。
「そんなことは無いだろう」
「やっぱり後藤に何かあったんじゃないか」
「かもしれないな」
「だろう?もうここを出よう。ここにいるのはもうイヤだ」
原はこたつから立ち上がった。原の様子がおかしい。
「なんか、ここにいると、モノが無さ過ぎて頭がおかしくなってくる。なんつーの、全部無意味なんじゃねえかなって気がしてくる。……そうだ、いっそのこと、全部ぶち壊しちまおうぜ。うん、そうしよう」
原はそう言って、壁に全力でタックルを仕掛けた。壁はびくともしない。それでも何度も何度もタックルを繰り返す。俺はただその様を見ていた。原の奇行に虚を突かれたというのもある。だがそれ以上に俺も精神が参っていた。もう何もかもどうでもいいという諦観と虚脱感。
男が壁に突進する異様な光景を呆然と眺めている内に、身体と意識の輪郭が曖昧になるような感じがする。まるで現実感が無い。このままだと俺もやばいかもしれない。
不意に俺のスマホが震えた。はっとして画面を見る。メールが届いたようだ。知らない宛先だった。その文面にはこうあった。
「後藤さんの代わりに連絡します。今日はもう帰らないとのことです。ただ、明日には戻るのでそのまま待っているようにとのことでした」
…………。
ろくでもない夢を見た。狂ったように鳴る心臓が痛い。
俺の友人に後藤という者はいない。原もしかり。友人の家で鍋をつつくという経験もない。人と飯を食うことも最後はいつだったか。あんな意味不明な夢を見たのは、人と飯を食うというイメージが俺の記憶には無いからなのだろう。
もっと人と関わっておけばよかった。でも今更どうしろというのだ。その時でしかできないことをしなかったのが今の自分だ。飯に誘える友人なんて、今の俺にはいないのだ。無いものねだりをしても仕方がない。
それでも、同じ釜の飯を食った仲というやつは、憧れる。
……空腹だ。
その辺に転がっていたカロリーメイトの箱を開けて、一つ齧って、ごまかした。