変な球児の白球記〜甲子園で押し出しサヨナラデッドボールを投げたい〜

文字数 7,741文字

 小学五年生の夏、俺はテレビで夢を見つけた。
 夏の高校野球大会。そう、甲子園だ。

 泥だらけのユニフォームを着た高校生達が、情熱を秘めた眼差しで野球をしていた。積み上げた努力をぶつけ合う舞台。それを取り巻く観客、青空に響き渡るブラスバンド、異様な熱気と興奮。全てが輝いて見えた。こんな凄いものがこの世にあるのかと思った。

 見たのは、決勝戦だった。
 俺がスイカを食べていると、夢中でテレビを見ていた父親がこう言った。
『甲子園の決勝戦、つまり最後の試合だ。お前も観ておきなさい』

 俺は父親の隣に座り、初めて甲子園を観た。
 決勝にしか無い独特の緊張感は、野球をよく知らない俺にも伝わった。一つ一つの局面に全てを賭けて喰らいつく選手達。なぜこんなにボロボロなのに全力が出せるのか、なぜこんなに全員が真剣なのか、そしてなぜこんなに惹きつけられてしまうのか。俺はその理由が分からず、ただ黙って見入るばかりだった。

 先攻のチームがリードしていたが、最終回に流れが変わった。開いていた点差が縮まり、6-3のツーアウトランナー満塁。
 ルールもまだ完全には把握していなかったし、どちらを応援しているとかそういう見方はしていなかったのだが、俺は身体の中に何とも言えない感覚が込み上げてくるのを感じた。
 むず痒いような、痺れているような、それでいて甘い感覚。『ヤバい…ヤバい…』と、迫り上がってくる興奮。心臓が強く速く脈を打ち、汗が滲み、生暖かい物が全身に広がっていく。
 何だか分からないが、誰かにとって一番大切な物がもうすぐ終わってしまう。幼い俺の脳はそんな空気を感じて興奮を覚え、アドレナリンを吹き出していた。

 そして、ピッチャーがフルカウントから投げた渾身の直球を、バッターは寸分の狂いもない完璧なジャストミートで捉えた。

『イッタッ!!』父親が立ち上がって叫んだ。テレビからも爆発するかのような歓声が轟く。

 俺はその時、まさにバットとボールの振れる瞬間に、とても不思議な体験をした。
 キィン!!という乾いた金属音が聞こえると同時に、頭の中で薄いガラスのような何かが粉々に砕け散り、ストライクゾーンの中心から青くて硬いレーザーのような強烈な光が四方八方あらゆる方向に超速度で弾け飛んだ。しかもその一つは、あろうことかテレビから飛び出し、俺の身体を貫いた。そしてそのまま、俺の意識の一部を、遥か彼方に連れて行ってしまった。

 全ては一瞬、コンマ一秒にも満たない一瞬だったはず。もしかするとアドレナリンの過剰分泌による幻覚だったのかもしれないが、俺は確かにそれを見た。そしてその時に、人生初の『絶頂』を味わってしまった。その気持ちよさは、これまで経験したどんな事よりも濃密で圧倒的な物だった。

 打球はライトスタンドに入り、逆転サヨナラ満塁優勝ホームラン。テレビの中では、勝利と敗北の二極が映し出されている。しかしもうそんな事はどうでも良かった。俺はただ、呆然と、涙目でよだれを垂らして、身体に残る快感の残響に酔いしれ、震えていた。

 ああ、甲子園。積み上げてきた至高の物がぶつかり合い、抜きつ抜かれつの戦いを繰り広げる。しかしその最後は、一方がそれを一秒もかからない時間で打ち砕いてしまう。まさに魔性の舞台、甘美な悪夢。なんて儚く、激しく、美しく、熱く、そして魅力的な場所なんだろう。とろけるような息を吐き、桃源郷を彷徨う賢者のような状態で、いつまでもそう思っていた。

 しばらくして快感が過ぎ去り、我に返った俺は、当然もう一度あの絶頂を味わいたいと思った。
 あらゆる方法を使って再現しようとしたが、どんなに決勝戦のビデオを見ようが、あの感覚を得る事はできなかった。諦めきれない俺は自分なりに研究を続けていく内に、どうやらアレは記録媒体では感じられない物なんだと分かった。
 既に終了した物語と現在進行している物語とでは、当たり前だがリアリティも空気感も一体感もまるで違うのだ。

 では、生放送か現地観戦なら良いのかと思い、プロ野球をはじめ他のスポーツも、とにかく生に拘って見まくった。
 しかし、上手くは行かなかった。そもそも、逆転サヨナラ満塁優勝ホームランなんて物は、滅多に出ない。逆転サヨナラ優勝が成立する状況自体が極めて稀である上に、そこでさらに満塁ホームランとなると、本当に奇跡のような確率でしか起こらないのだ。それを大観衆が居る公式の試合で、ましてや狙って目撃するというのは、やろうと思ってできるような事ではなかった。
 
 上手くいかない理由は他にも有った。例えば高校野球よりシーズンの長いプロ野球の場合は、トーナメント戦ではなくリーグ戦で行われる。総当たりの性質上、一試合の結果で逆転優勝という状況の出現率自体が低い。
 クライマックスシーズンというトーナメント戦もあるにはあるが、高校野球と比べると『負けたら何もかも終わり感』が少ない。華やかなプレイは確かに素晴らしく見応えはあるが、どうしてもそこの緊張感が違っていた。
 ならば他の競技ではと思ったが、甲子園ほどの熱狂度が無く思える上に、肝心の『サヨナラ負け』という概念があまり採用されておらず、起こりうる状況も野球以上に少ない事から、あの絶頂を得るにはどうも向いていないように思えた。

 俺は一度、絶頂を得られるであろう条件を整理してみる事にした。
 種目はやはり野球が良い。そして、とても長い時間をかけて努力を積み重ねている事。熱狂的な大観衆が居るという事。負けたら終わりだという事。そして、最終回までリードしていながらサヨナラ負けを喫し、相手がそれによって優勝するという事。
 
 こうして条件をまとめていく内に、俺自身の求めている物も明確になっていき、やがて具体的な目標へと変わっていった。
 確かに逆転サヨナラホームラン負けは魅力的だが、俺が甲子園に出てあの場面でデッドボールを投げてチームが負けたらどうなるんだろうと考えると、言いようのない興奮が湧き上がってきたのだ。
 そう、研究が終わる頃、俺は一打逆転サヨナラよりも、押し出しサヨナラの悲惨性に魅了されていた。あり得ない負け方、それは俺をあの絶頂以上の世界に連れていってくれるに違いないと確信していた。

 甲子園大会が終わって数ヶ月後、研究を終えた俺は、気がついたら庭に転がっていた軟球を手に公園へ走っていた。ブロック塀にチョークで人型の的を書き、その頭部へ向けてひたすらボールを投げた。
 観る側ではなく、やる側になって、あそこで積み上げた全てをぶち壊しにしたい。あの逆転サヨナラ満塁優勝ホームラン負けよりも、もっとも悲劇的な結末をこの俺のピッチングで作り出したい。いや、作ってやる。絶対に。
 これが俺の野球人生の始まりだった。
 
 野球好きの父親は、俺が野球に目覚めた事を喜び、道具を揃えてくれた上に名門の少年野球チームに入団させてくれた。
 俺はあの快感が味わえるためなら何だってやるという意味で『父さん、俺は必ず甲子園に行く。どんな事をしても、あの興奮を味わいたい。あの舞台で投げたい』と言った。
 すると、父親は『うむ、頑張れよ』と、嬉しそうに俺を抱きしめて言った。息子が『甲子園決勝戦でデッドボールを投げてサヨナラ負けしたい』と言うのを抱きしめて喜ぶ父親など、世界中探しても父さんしかいないだろうなと思った。
 
 体験入部期間も終わって、俺はいよいよ本格的に野球をやっていく事になった。ポジションはもちろんピッチャー。
 自分で言うのもなんだが、俺の野球センスはずば抜けていた。欲望に突き動かされた本気の練習も相まってか、小学生の頃から既に他を寄せ付けない領域に達しつつあった。さらに、強靭な身体を作ろうとトレーニングに見合うだけの食事も徹底した。そのため、中学生になった時には身長が190センチ体重は100キロに達し、球速は165キロをマーク。ハッキリ言って同年代に俺以上のピッチャーはどこを探しても居なかった。
 俺は夢だった舞台が現実味を帯びていくにつれて、ますます練習に熱が入った。手の届く位置に目標が見えてくれば、人間はどんな努力でもできるものなのだ。同時に、野球と絶頂以外の事は何も興味がなくなり、よく分からなくなっていった。

 中学の硬式クラブチームに入団した時、俺の球を受けられる捕手は一人しか居なかった。
 それが敦寺レル(あてら れる)だ。敦寺は俺と違って普通の野球少年で、将来はプロになりたいと言っていた。プロはサヨナラ優勝負けがしづらい環境なので俺は全く興味が無かったが、俺の球を受けられる選手が居ないと話にならないし、あと何となく名前が気に入って、俺と敦寺はたちまち友人になった。

 ある日の練習終わり、敦寺はこう言った。
『いつか甲子園でお前の球を受けたい』
 どうやら敦寺は甲子園で俺にボールを投げられたいらしい。俺はそれを聞いて、では俺は敦寺に対して何をしたいのかを考えてみてからこう言った。
『いつか甲子園でお前めがけて球を投げたい』
 敦寺は嬉しそうに笑い、俺の胸をミットで軽く小突いてからこう言った。
『約束だぜ』
 俺には何がそんなに嬉しいのか分からなかった。ボールを当てられるのがそんなに嬉しいのだろうか、変わったやつだなと思った。だが、せっかく約束してくれたのだから、どうせなら敦寺に最後のデッドボールを受けて欲しいなと思った。

 時は流れ、小・中とほぼ自分一人の力で全国制覇を果たした俺は高校生になった。身長は2メートルを越し、球速は最速178キロをマーク。俺にとってはどうでも良い事だが、日本でも海外でも俺以上の投手はいないだろうと言われていた。
 当然、あちこちの名門私立高校から特待生の話が持ちかけられたが、俺は断った。なぜなら、どうせ決勝戦まで俺が投げて打って全部勝つのだから、別に強いチームに行く必要がないし、逆に下手に他の選手が点を取ったりすると、サヨナラ負けの状況を作りづらくなる。そうした意味でも家から近い、特に野球が盛んなわけでもない普通の公立高校に入学した。

 夏の大会が始まって、予選は難なく突破した。なにしろ、俺が投げればどの試合もパーフェクト。あとは最低三回ある打席のうち一回でもホームランを打てば、無駄な時間や体力を使わずに勝てる。これは俺にとって造作も無い事だった。

 しかし、甲子園が始まるとそうもいかなくなった。
 どういう事かというと、俺が入学した年から学生野球には球数制限というルールが設けられていた。
 球数制限とは何か、知らない人の為に簡単に説明しておくと、ピッチャーは投げ過ぎると肩や肘を壊す可能性があるので、一人で何試合も続けて投げてはいけない(投げさせてはいけない)というルールだ。
 地区予選程度なら勝利と名誉に固執する想いから、規定数をウヤムヤにして連投させていた監督も、メディアや有識者の注文が集まる甲子園では『選手達はまだ成長途中、監督以前に一教育者として無理な投球はさせられません』などと、聖人のようなセリフを吐いて規定を守るようになり、全試合俺が一人で投げるというわけにはいかなくなってしまった。

『お前達のためだ。無理をさせるわけにはいかんのだ』
 散々ここまでは連投させておいて、よく言えたものだと思う。大人というのは自分の都合の良いように態度とやり方を変える、理不尽な生き物だなと思った。とにかく、俺は計画を台無しにされて苛立っていた。

『予選で規定回数を破って投げさせていたのを暴露するぞ。それが嫌なら俺に投げさせろ』と、脅そうかとも思ったが、やめておいた。そんな事をして出場しても、結局は高野連(高校野球連盟)の人達にバレるし、それで出場停止だのなんだのと話がややこしくなるリスクの方が大きいと思ったからだ。

 俺以外のピッチャーが投げれば、当然打たれる可能性が出てくる。というか、間違いなく打たれる。野球とは本来そういう競技なのだから。
 万が一、点差が3点以上ついてしまうと、俺が全打席ホームランを打っても勝利が確定しなくなってしまう。誤算だった、ここまで一人で勝てるとばかり思っていたのに、こんなところでチームプレイを強いられるとは。この時ばかりは野球という種目を選んだ事を後悔した。

 嘆いていても仕方がないので、俺はサードで出場し、守備機会と打席以外はとにかくチームメイトを応援した。できる事といえば応援しか無いし、決勝戦に進出する為にできる事は全てやろうと思ったのだ。頼む、頼むから抑えてくれ。俺は絶対打つから。そう祈るように応援した。絶頂のために、決勝戦までは何としても勝ち抜かなければならないのだ。

 ところが、意外にも二番手・三番手の投手である火替テル(ひかえ てる)と抑江マス(おさえ ます)は良いピッチングをしてくれた。彼らも甲子園という目標が目に見えてきて、陰で人一倍の努力をしていたのだろう。三点以内に抑えてくれれば、俺が打って勝てる。自分のできない事をカバーしてくれる仲間がいるありがたさを、俺はこの時に初めて感じた。
 
 俺と火替と抑江は三人交代で投げ、甲子園を勝ち抜き、とうとう決勝戦までコマを進めた。当然、決勝戦はエースの俺が投げる事になった。
 決勝の相手は宛羅列(あてられ)実業高校だった。俺はよく知らなかったが、ベスト4常連の強豪校らしい。準決勝の試合後、俺達がベンチから引き上げて、外で宿に帰る準備をしていると、宛羅列実業の選手が話しかけてきた。見ると、それはあの敦寺レルだった。俺は驚いた。敦寺もまた野球を続けており、ここまで勝ち残ってきたのだった。

 敦寺が言った。
『覚えてるか?あの時の約束』
 覚えている。ボールを投げられたいってやつだ。
『もちろん。最終回、お前に球を投げる』
 俺は思った事を正直に話した。すると、敦寺はあの頃と変わらない笑顔でこう言った。
『負けねえぞ』
 そして、俺の胸を左手で軽く小突いた。
 負けないように頑張ろうと思ってるのが俺にはもはや不思議ですらあった。決勝戦最終回の最後の一球に関しては、もはや勝負ではない。そんな枠では収まらない世界の話なのだ。お前は必ず勝つ、それは俺が小学生の時から決まっているんだ。決勝戦は俺が必ず壊してみせる。その為に、俺はここへやってきたのだから。

 決勝戦の朝、俺は興奮で頭がどうにかなりそうだった。もうすぐあの快感がまた得られると思うと、よだれが口の中にとめどなく溢れ、全身の血と神経が冷たくざわめくのを感じた、一分もジッとしていられなかった。
 思えば長い年月だった。この日のために俺は野球を始め、人の数倍の努力をし、死ぬ物狂いでコントロールと球速を磨いた。絶対に外さない、避けさせない、その為だけに生きてきたと行っていい。

 朝食もバスでの移動も試合前のミーティングもウォーミングアップも、何も記憶に残っていない。ただ、最終回までどのようにして状況を組み立てていくかのシュミレーションに全細胞を傾けていた。俺は少年野球時代から、このシュミレーションは欠かさなかった。最終回に同点ツーアウト満塁の状況を作る、これは簡単な事ではない。塁が空いてるからといって安易にフォアボールを連発したら、乱調と判断されて交代させられる可能性がある。ごく自然にその状況を作らなければならない、その為に俺は毎回、完璧なシナリオを頭の中で描いていた。

 そうこうしている内に、いよいよ試合が始まるという時が来た。整列し、礼、サイレンが鳴る。
 他のメンバーはとっくに始まっていたかもしれないが、俺の甲子園は今ようやく始まったのだ。

 胸の高鳴りを抑えて、何とかベンチに戻って座っていると、火替がひょっこり現れて俺にこう言った。
『何してるんだ?早くマウンドにいかないと』
『え?』

 俺はその時に、ある重大な事を見落としていたのに気がついた。火替の言葉はまさにそれを知らせる一言だった。
 まさかと思い、おそるおそるスコアボードを見た。予感は的中、俺は絶句した。
 俺達は後攻だったのだ。

 知らない人の為に説明しておくなら、野球は9回の表が終わった時点で、後攻がリードしている場合はそこで試合終了となる。
 サヨナラ勝ちが後攻にだけ与えられた権利なら、サヨナラ負けは先攻にだけ与えられた権利なのだ。後攻のチームはどうやってもサヨナラ負けをする事はできない。

 俺が現実を受け止めきれず愕然としていると、キャプテンの主将(あるじ まさる)が言った。
『先攻後攻を決めるジャンケン、負けたから先攻取れなかったんだ』
 あまりのショックに目眩を起こしてしまった。夢が崩れ去り、長い長い努力が水の泡になった。まさに悲劇以上の悲劇だったが、快感は少しも感じられなかった。多分、サヨナラじゃなかったからだろう。

 絶望した俺は、もはや思い描いていた状況を作り出すようなピッチングはできなかった。というか、どう計画してその通りに投げても、試合をしながらルールを変えるというのは絶対に無理だ。
仕方がないので普通に投げた。いつも通り0点に抑えて、早く試合が終わって帰れるようにホームランを打った。チームはもちろん勝利し、俺達の高校は初出場・初優勝というとんでもない偉業を成し遂げたらしい。あらゆる人々に讃えられたが、俺は夢が叶わなかったショックで涙を流すしかなかった。

『まさか試合前のジャンケンで全てが台無しになるとはな…』
 俺は自分の詰めの甘さを思い知った。二度とこんな失敗をしないよう、戒めに甲子園の土をグラブケースに詰めてグラウンドを出た。宛羅列実業の選手達が、不思議そうな顔で俺を見ていた。

 表彰式が終わってから、もうここに来る事は二度とないんだろうと思いながら、ぼんやりと甲子園の看板を見つめていた。何もかも終わってしまった。いや、終わったの良いんだが、俺の手で終わらせられなかったのが悔しかった。

 さようなら、俺の青春。俺の、甲子園。

 打ちひしがれる俺に、俺と同じ一年生のマネージャーである奈仁賀優(なにか ゆう)が近づいてきて言った。

『甲子園すごかったね!君がいれば来年も…いや…三年連続優勝もできるかもね!』

『!!』

 その言葉はまさに青天の霹靂だった。
『そうか!高校野球は三年あるんだ!』
 絶頂に焦がれるあまり、そんな当たり前の事が分からなくなっていたが、俺はまだ一年坊主だったのだ。

 ポッカリと穴が空いたような心に、マグマのような情熱が満ちていくのが分かった。同時に今回の甲子園に挑む前に描いていた目標より、一つ上の目標が頭に浮かんできた。

『なんなら、二年連続優勝の後に、三年でやった方が絶頂の質は凄い気がする。いや、間違いない。高校野球史上から見ても、これ以上何かを積み上げるのは不可能ってぐらいの完璧な積み上げ方だ。三連覇を賭けた甲子園決勝戦に、満塁押し出しサヨナラデッドボール!…これだ!!』
 
 俺は帰りのバスに向かって走った。
 新たな目標を見つけた以上、もう落ち込んでいる暇などない、また練習をしなくては。
 俺の夢はまだ終わっていなかった。そう、俺の甲子園はこれから始まるのだ。

〜完〜
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