第1話

文字数 1,276文字

リモートワークが終わって、現場勤務が再開しますと、ブログを更新するというのは中々難しいものです。と、さらっとですます調に変えてみます。シュガーです。

数日前、品川駅から自宅まで歩いて帰ることにしました。赤い電車なら15分のところを、1時間半かけて歩いていきます。

品川駅の近く、第一京浜の最初の踏切のところで、踏切が閉じました。そばには、白髪のおばあさん。年のころは70~80代でしょうか。手押し車を前にして、私の横で止まっています。

赤い電車が通り過ぎる際、おばあさんは電車に向かって手を振っていました。遠くから来た親族とかを見送っているのかな――そう思いました。でも、おばあさんは上り電車にも下り電車にも手を振っています。

その踏切は――品川駅という、大きな駅の近くだからか――踏切で往復の電車が通り過ぎても、すぐに次の電車が来て踏切が閉まってしまう、魔の踏切のような踏切でした。

私の横にいるおばあさんは、再び通り過ぎる電車にも手を振っています。
おばあさんは一体、何に手を振っているのでしょうか。

唐突かもしれませんが、まず、時間という軸でおばあさんのことを考えてみます。
おばあさんは、昔、電車に乗る誰か――愛する恋人とか、戦争に行く家族とか――を見送ったことがあるとします。そうすると、おばあさんは過去の時間軸の行為に思いを馳せて、現在も走る電車に手を振っているのだろうと、勝手に思ってみます。

次に、場所という軸でおばあさんのことを考えてみます。品川駅をターミナルに走る赤い電車(京急線のことです)に思い入れがあり、それに対して手を振っている――そう仮定することもできます。

また、魂や輪廻転生の観点から考えてみますと、おばあさんが手を振っているのは、前世で約束した何かに対してなのかもしれません。前の人生で大切な人と約束したことを果たすため、おばあさんは手を振っているのです。ここまで来るとスピリチュアルな感じがして、ちょっと、ちょっとちょっと、とまるで幽体離脱する双子の芸人さんのように突っ込みを入れてしまいます。

踏切を前に行き来する電車に手を振る理由――そんなのはおばあさんご本人にしかわからないし、ご本人にもわからないものかもしれません。

もしかしたら、新型コロナウイルスとか、緊急事態宣言だとか、このご時世に少しでも元気を与えるために、おばあさんは電車に手を振っていたのかもしれません。どの電車に対しても、一生懸命に手を振っていましたので。もしそうなら、連日そのおばあさんが世の中に元気を与えるために手を振っているのなら、「#手フリフリおばあさん」とかでバズってほしいものです。

通り過ぎる電車を見ていると、地上から電車に手を振るおばあさんに対して、手を振り返す乗客も何人かいました。
京急線はボックス席という、進行方向と平行に座る席があるのですが(電車の仕様にもよりますが)、それに座っている人が何人か、おばあさんに手を振り返しているのを、おばあさんの横にいる私は見ました。
この国もまだ捨てたもんじゃねえ――陽のあたるおばあさんの横で、そう思いました。
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