第6話 イメージ

文字数 2,443文字

 翔太から駅前にオープンした店の割引券があるから飲みに行こうと誘われた。
 加奈子は前回の醜態を思い出し、どうしようか迷ったが、行くことにした。考えてみれば、美雪にまだ何も言っていない。
 美雪自身が、不当なやっかみを受けていることに気づいているかどうかは知らないが、ちゃんと「おめでとう。頑張ったね」と言ってあげたかった。それは必ずしも彼女のためだけではない。そうすることで、自分も救われる。頑張れる。そんな気がしたのだった。
 しかし、予想に反して、翔太はひとりで店にやってきた。

 その店は、黒を基調としたインテリアで統一された、落ち着いた雰囲気のダイニングバーだった。フレンチ出身のシェフと和食出身のシェフが共同で作る和洋折衷の創作料理を売りにしている。ワインから日本酒までお酒の種類も驚くほど多い。高級感を出しつつ、価格は居酒屋よりほんの少し高い程度になっていて、お財布にも優しい。
 柔らかなダウンライトの明かりが、雰囲気作りに一役買っていた。

「素敵なお店だね」
「え?」
「す・て・き・な・お・み・せ・だ・ね!」
 加奈子は声を張り上げた。

 店のつくりも料理もコンセプトも悪くはないのだが、運悪く大学生のグループに囲まれてしまい、工事現場並みの騒がしさなのだ。ブルドーザーの騒音の代わりに学生の弾けるような笑い声が絶え間なく響いている。時折、人のものとは思えないような甲高い嬌声が上がり、その度に顔が歪んでしまう。何の話をすればそこまで盛り上がれるのか、加奈子には皆目(かいもく)検討がつかなかった。
 翔太とは向かい合わせに座っているが、互いの声が届かず、大声を張り上げるしかない。思わず加奈子は喉に手をやった。

「失敗したなあ」
 翔太は渋い顔でメニューを広げた。
「まあ、仕方ないよ。ところで美雪は?」
「ん? あ、なあ。フライドポテト、食う? チーズソース付きだって。うまそうじゃん」
 加奈子が適当に頷くと、店員を呼び、注文を告げた。
「ねえ、それで美雪は? 一緒じゃないなんて珍しいじゃない」
 さも美味しそうに冷酒をすする翔太にもう一度訊く。が、「そういえばさあ」なんてすぐに話題を変えようとする。
 加奈子がじっと翔太の顔を見つめると、思いきり目をそらされた。どうも様子がおかしい。
「ちょっと。人が訊いているんだから、ちゃんと答えなさいよ」
 若干苛つきながら、怒鳴った。すると翔太は憮然と「こないよ」と言った。
「都合つかなかったの?」
「いや。その、声かけてない」
「は?」

 何だか嫌な予感がした。まさかとは思うが、翔太まであんな連中と同じで、仕事をとった美雪に面白くない感情を抱いているのだろうか。しかも、それが原因でいつも一緒に飲んでいた同僚を誘いもしなかったというのだろうか。

「なんでよ? あんたまさか……」

 翔太は加奈子から目をそらしたまま、手酌で冷酒をあおり続けている。今日のピッチは、普段の彼からは想像もつかないほど早く、すでにその顔は赤く染まっている。
 そんな彼の態度に疑いは強まったが、そんなはずはないと加奈子はすぐに考えを改めた。翔太がそんなつまらない男のはずはない。だからこそ、入社以来、友人として付き合ってきたのだ。

「そんな黙らないでよ。美雪、忙しそうで声かけられなかったんでしょ?」

 必死でフォローしようとする加奈子に対し、
「……いや。その、多分、月城の想像どおりだと思う。ちっちぇえよな、俺」
 言いながら、顔を両手で覆う。

「ちょっとやめてよ。何なのよ、それ」
「だから所詮、俺はちっちぇえ男なんだよ。あ、すみませーん。冷酒二合追加で!」
 忙しなく動き回る店員に手を振る。
「なに? やけ酒でもする気? でもってそれに私をつき合わせる気?」
「何怒ってるんだよ。月城だって、実はあいつのこと苦手なんだろう?」

 加奈子は絶句した。翔太は気付いていたのだ。加奈子が美雪を苦手としていることに。なのに、ずっと気付かぬフリをしていたのだ。「この狸が!」と罵ってやりたい気持ちをぐっと抑える。

 加奈子は心を落ち着けるべく、冷酒で喉を潤した。食道に流れ込む冷たさが加奈子を冷静に引き戻す。

「ちょっと、あんたねえ。私のことはこの際どうでもいい。でもあんたは美雪のこと気に入っていたよね? なのに、そんなに簡単に嫌いになっちゃうの?」
 言い訳めいたことでもいいから何か言って欲しかった。
 こんな簡単に同期の絆が、友人としての糸が切れてしまうなんて悲しすぎる。
 けれど、そんな加奈子の気持ちを知ってか知らずか、翔太は悪びれなかった。

「別に嫌いになったわけじゃないさ。たださ、羽田はのほほんとしたところが可愛いし、それが持ち味じゃん。だからさ、なんていうか、今回のことで興がそがれたっていうか。だって羽田がばりばりのキャリアウーマンなんて何か変だろ?」

 あまりの勝手な言い分に、加奈子は頭を抱えるしかなかった。
 翔太は酔っ払っている。言っていることもおかしいし、何より呂律が回っていない。彼の言動は酔っ払いのたわ言にすぎない。それにしても、あまりに勝手だと思った。
 人を、友人を一体何だと思っているのだろう。確かに美雪は守ってあげたくなるような女の子のイメージだし、そう思っているのは翔太だけではない。
 でもそれはあくまで一面のことだ。
 加奈子だって、怖くて面倒な女だと思われている節はあるが、それがすべてではない。可愛いものだって好きだし、少しはぬいぐるみだって持っている。人は他人に見せる一面だけで成り立っているわけではないのだ。
 美雪だって、のほほんと守られる存在である一方、自分の仕事を着実にこなしてきた。彼女なりのやり方で。それの何が悪いというのだろうか。
 他の男はまだしも、翔太がそれを見抜けず、一方的に彼女に落胆するなんてひどすぎる。

「正直、あんたにはがっかりだわ。水もらってあげるから、少し頭冷やしたら?」
 店員にお(ひや)を頼もうと振り向くと、
「あ! やっぱりカナちゃんだあ」

 美雪が立っていた。
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