第6話 今度はブリッジをして奇声を発する激クサ不審者仮面と成り果てる
文字数 6,086文字
「なぁにぃ、どうしたのぉ。心がわりするきっかけでもあったぁ?」
勇み足で「行きます」と返事をしたおれに、死神のカバネちゃんは低速のドリルのように、空中でゆるりときりもみ回転をしながらしゃべる。
「まあ、話すなら走りながらにしようよ。どうせもうすぐなんでしょ? もう限界ギリギリでダッシュしたくないし」
ランニングをしたときのジャージのまま、準備運動でからだをほぐしながらおれは言う。
カバネちゃんは、ちらりと部屋の時計を見た。
「きょうは、ここから近くだよぉ。駅と逆方向に、公園あるでしょ。あの、なんだっけ、鉄でできた、あれ、あれがある公園でぇ」
「ジャングルジム?」
「うーんそんな名まえだっけぇ? ニンゲンが、こう、腕でぶらさがれるようになっててぇ」
「鉄棒、とか、ウンテイ、とか? いくつかあるような……」
「あー鉄棒っていうのかぁ。まんまの名まえだね、そう、鉄の棒。曲線になってるやつじゃなくて、まっすぐになってるやつ。ここから、5分ぐらいのとこの」
おれは鉄棒のある、家からすぐ近くの公園を思い浮かべる。
たしかにあそこなら5分もかからない。
が、まあともかくどうせ行くなら早いほうがいい。
いままでは行きあたりばったりでなんとかなってきたが、準備とかもいるかもしらんし。
そう思いながらガチャリとドアをあけ、カギを閉めると、ほっほっと軽いランニングをしながら公園へ向かう。
おれの家のあるあたりは住宅街なので、夜になると帰宅する人たちぐらいしか見かけなくなる。
なので行き交う人はすくないのだが、イヤホンをつけ、カバネちゃんと会話していても「電話中のようだな」と思われるよう偽装工作もおこなっておく。
「なんだか準備万端だねぇ」
「また来るかわかんなかったけど、一応ね。ランニングも最近はじめてさ、どう、すこしやせてきてない?」
と言いながら、自分でもはしると腹の肉が少々ゆれるなと思う。
「……ゆれてるねぇ」
「まあまだはじめたばっかだからね! それで、きょうはどんな内容なの」
「ん、あぁ……」
カバネちゃんはフヨフヨと浮かびながら、人さし指をくちびる(やっぱり色はよくないが、うすくて妙な色気がある)に押しあて、記憶をなぞるようにしゃべる。
「そこの公園でね、若い男の子4人がダンスの練習かな? みたいなことをしてるの。ほら、きょう、なんともいえない天気でしょう?」
くちびるの人さし指を、そのまま空にかかげるカバネちゃん。
たしかに、雨こそ降っていないものの、いますぐ降り出してもおかしくない厚い雲に空がおおわれていた。
ゴロゴロと、遠くでちいさく雷のとどろくような音もする。
「とつぜん、そこの公園に雷が落ちちゃうんだよねぇ。それでそのうちの2人が死んじゃうの。それを防いでもらおうと思ってぇ」
「何分後?」
「そうだねぇ、いまだと、あと7~8分かな」
もう1分もすればつくので、今回は余裕だなと思う。
が、4人もの若者となると、いままでみたいに抱きついて(いや好きで抱きついたわけではないんだが)どうにかするわけにもいかず、どうすべきかと考える。
それに今回は雷だから、すこし位置をずらしてどうにかなるものでもなさそうだ。
そんなに広くもない公園だし、とりあえず公園から出ていってもらえばいいのか。
しかしどうやって。
とつぜん「雷がここに落ちるから逃げて」なんて言っても、雨も降っていない現状では信じてもらえないのでは?
おれがブツブツと対策を練っていると、
「ね、それより」
とカバネちゃんがずずいと顔を寄せてきた。
「どうして、今回は、やる気になったの」
空中でさかさまになっていて、そのひとみはらんらんとした暗いかがやきに満ちている。
「いや、なんか」
おれは上半身をそらせて、カバネちゃんの顔から距離をとりながらこたえる。
なんか近すぎて自分の息がくさかったらいやだなと思ったんだが、死神ってニオイもわかるんだろうか。
「このまえたすけた人がきっかけでさ、仕事でほめられたり、いや、まだ、ぜんぜん、まだぜんぜんわかんないんだけどキレイなおねえさんから声かけられたりして、連絡先交換なんかしちゃったりして、なんか、もしかして、そういうもんなのかなと思ったんだよね」
「そういうもんって?」
「いいことをすると、いいことが返ってくるっていうか。いや、そんな単純なモンじゃないってのはもちろんわかってるんだけど、なんか、もしかしたら、そういうこともあんのかなって、思ったんだよね。すくなくとも、いいことが返ってくる確率が“ゼロではなくなる”っていうのかな。じゃあ、おれ、いままでの人生でなにかいいことを他人 にしてきたのかなって考えたら、あんまり、思いあたらなくて。どうせ死ぬんなら、もうちょいやってみてもいいのかなって、思ったんだ。即物的な考えかたでアレだけど」
「じゃあ、もう、自殺はしない?」
カバネちゃんは、人をたすけた直後のときのような、慈愛に似た光をひとみに宿しておれに問うた。
一瞬、ハッとする。
ここで「しない」と言うのはかんたんだったけれど、そうこたえると、あのときの自分の絶望を、なにもかもがうまくいかなくて、あの息ぐるしかった毎日を、あの「のどをゆるく絞められつづけているような息ぐるしさ」を、なかったことにしてしまうような、そう感じていた自分を裏切ってしまうような、感覚がした。
――偶然、いま、いっときうまくいっているだけ。
そんな思いが、いまも、胸の底にうずを巻いている。
「絶対にしない、とは言えないけど」
だから、率直に、自分の気もちを伝えた。
「もうすこしだけ、がんばってみようかなとは思ってる」
胸を張って生きていくことができる理由を、見つけるために。
その理由を見つけて、この手につかむことができたらと、心のなかで願いながら。
「ふぅ~ん」
カバネちゃんはそう満足げに声をあげて、またずずいとおれに近寄ると、至近距離でおれのひとみをのぞきこむように凝視した。
ひとみというより、ひとみの奥にある
そのあと、ニコリと年ごろの少女のような純真さで、花が咲くように笑った。
「いいと思うよ。あなたの人生には、この先、いいことがまってる。すくなくとも、私は、あなたが生きてくれてうれしいよ」
「なに、それ。死神ってそういうこともわかるの?」
「さぁねぇ。ただ、私はわかるような気がするってだけ」
カバネちゃんはおれからはなれて、宙を舞いながら「フヒッ」といつものように笑った。そうしてつづける。
「ね、それはそれとしてさ、こういうとき、また手伝ってよ。毎回ちがう人に声かけるのタイヘンだからさ、この近くでなにかあったとき、手伝ってもらえる人がいるとたすかるんだぁ」
「ま、まあ」
おれはポリポリとほおをかく。
「おれで、よければ」
「よかったぁ! そういえば、あなた、名まえは?」
「望原 諒太郎 」
「リョータロね。私、リョータロが生きててくれて、よかったよ」
カバネちゃんが、空中で膝をかかえ、またかれんな表情でほほえんで、おれのことを見つめる。
おれはわけもなくドギマギとした。
頭をガシガシとかいて、そう言ってくれたことに、「……ありがとう」と小声でつぶやく。
と、話している最中にとっくに公園へついていたのだが、どうも公園に若者はいない。
どころか人っ子ひとりおらず、さみしく街灯が公園の砂と、ポツンとたたずむブランコや鉄棒を照らしているだけだ。
「……なんか、だれも、いないんだけど」
「……あれぇ?」
カバネちゃんはくちびるに指をあて、首をかたむける。
「なぁーんか、もらった情報と公園の感じがちがうなぁ」
「あれあるよ、鉄棒、鉄の棒」
「んー?」
カバネちゃんはおでこに手を水平にあて、すこし奥にある鉄棒をながめる。
「あぁ~、あれじゃないねぇ。あれ棒が横になってるでしょ。横じゃなくて、タテに立ってる鉄の棒。ほらコイノボリだっけぇ? あんな感じで棒にぶらさがれるやつ」
「そんな脳筋ぶらさがり健康法があってたまるか――」
コイノボリのように、プルプルしながら地面と水平に棒にぶらさがる(水平状態でもぶらさがるっていうの? たぶんいわないよね、サーカス団員かポールダンサーか筋肉モリモリのマッスルウォーリアーでもないかぎりできないものね)自分を想像して、そう途中までさけぶ。
が、常に宙を浮いているカバネちゃんからすればタテにぶらさがるか横にぶらさがるかなんて些末 な問題なのかもしれず、早く向かうことに意識をさきすぎて認識のすりあわせを怠 った自分がわるいのかと、頭をかかえる。
「あの、タテに立ってる鉄の棒ってことは、のぼり棒のこと? 何本かの棒がまとまって立ってて、地面にいる状態でしがみついて、てっぺん目指してのぼる遊具の」
「あぁ~、そんな感じそんな感じ」
のぼり棒のある公園だったら、このすこし先にあるなと思い出す。
はしって2~3分か? あれ間に合う?
「えっ、あと何分?」
「ちょうど3分ぐらいかなぁ」
「結局ギリギリじゃん!!」
おれは絶叫して、また別の公園へむかって全力で馳 け出した。
「ごめんねぇぇ。しがみついて、のぼる鉄の棒っていえばよかったのかぁ。そういえばこどもがそんな遊びかたしてたねぇ」
カバネちゃんは、めずらしくとなりでシュンとする。
「フヒッ」という声がもれるが、表情は申しわけなさそうなままだ。口ぐせか、しゃっくりのようなものなのか。
時間がない。が、4人の若者をどかせる方策もとくに思い浮かんでいない。
おれははしって公園をつっきりながら、入り口の手すりにかけてあった、忘れものらしきスポーツタオルを見かけると、「あとでかえします!」と心で念じながら手にとった。
やはり雨こそ降っていないものの、黒く、厚い雲が空をおおっていた。
ゴロゴロという雷を予感させる遠い音が、「間に合うのかオウこらワレ」と不必要にガラわるくおれを急かすようにも感じられる。
すこし休めたし、全力疾走はきょうはじめてなので、想像よりも早くつく。
ただそれでも時間はギリギリだ。息をきらしながらカバネちゃんに、
「あと何分?」
「50秒ぐらい~」
公園に突入し、入り口近くにあるのぼり棒を含めて公園の全容を流し見る。
「あの広場ぁ、男の子が4人いるでしょぉ~」
カバネちゃんの指の先に、若い子たちが4人たしかにいた。
音楽を流しながら、身ぶりをあわせておどっている。
豪雨でも降っていれば自主的に解散していたかもしれないが、幸か不幸か雨そのものは降っていないので、「雷がくるから逃げろ!」とさけんでも信じてもらえるかはわからない。
おれは手っとりばやくどいてもらう方法が思いつかず、
――しょうがない、頭がおかしい人のふりをしよう。
と公園でひろってきたスポーツタオルを顔に巻いて素性をかくしこうさけんだ。
「どけどけどけぇ~い!! ここはオイラのナワバリだぁぁぁ~いぃぃぃぃぃ」
めちゃくちゃ油ぎった肥満体のカエルの妖怪が発しそうな、可能なかぎりの甲高いダミ声を腹とのどからしぼり出して絶叫し、広場の4人につっこむ。
行動も気もちわるいほうがよかろうと考え、ブリッジをして這いながら進み、ぷりぷりのおなかを見せつけつつ
「いぃぃぃぃぃひひひひひひひぃぃぃぃぃぃ」
とB級ホラー映画に出てきそうなぶきみな声色で哄笑 してみせる。
4人のうごきがピタリととまり、おたがいの顔を見合わせるのがタオルのすきまから見えた。
おれはブリッジのまま彼らとやや距離をたもちつつ、ゴキブリのごとき生理的嫌悪感をもよおす予測不能かつスピーディーな這いずりを見せ、「どけどけどけぇぇぇい!!」とひきつづき「とにかく要求としてはどいてほしいということのようだ」と感じてくれないかという願いをこめて苦鳴 にも似た叫喚 を浴びせかける。
すると――
「くっっっっっっっさ!!!!」
公園で拾って顔に巻いたスポーツタオルが、生命力に満ちた森の木々すら枯らしつくして根絶やしにしてしまうのではというレベルの強烈な悪臭をはなっていることに気づき、そのあまりのくささにびっくりして素 が出てしまった。
どう形容したらいいのか、右の鼻から奥までグリグリとえぐるように極太鉛筆をつっこまれ、さらに左の鼻から焼いた鉄の棒を鼻腔 を灼 かれながらつっこまれ、脳をグリグリと両側から異なる刺激でえぐられゆらされているがごとき衝撃、が鼻をおおうスポーツタオルから脳に最短距離でとどいたのだった。
「いやこれくっっっっっっっっさ!!!!」
おれはブリッジを維持できず、地面をのたうちまわりながらおれの身に起きた有事 をうったえた。
うったえたが、若者たちからしてみれば、スポーツタオルを頭に巻いてブリッジで「どけどけ」と近づいてきた不審者がとつぜん「くっさ!」とさけんでのたうちまわっているこの状況がすでにひとつの有事である。
だれかが「おい」と最低限のことばだけ発したのがおぼろげに聞こえ、逃げるように彼らが荷物を回収してダッシュで去っていくのをのたうちまわる視界のなかでとらえた。
――よかった、おれひとりの犠牲で、若い人たちの未来が救えた……
と、人外のバケモノがおのれの身を挺 してひとつの村を救ったような感慨がわいてきたが、いやおれも急いで離脱しないとと立ちあがり激クサスポーツタオルをはずそうとする。
が、すこしはなれた公園のベンチにカップルがすわっていて「なにあれ」「ヤバ……」と会話をかわしているのが風にのって聞こえてきた。
「おひょひょひょひょひょぉぉぉぉぉ」
ので、いま顔がバレるのは非常にまずいと気がつき、おれはひきつづき不審者のまま公園を退場することにした。
おひょひょという奇声をあげる必要はまったくないのだが、なにかしていないと異臭で気を失いそうになったためしかたなく、やむなくだ。
と、その瞬間――
ズドォォォォォォォン
と、神さまが山ほどの大きさの巨大な太鼓に、渾身の力をこめてバチを振りおろしたような、地面をゆるがす雷鳴がとどろいた。
揺れで自分のからだがちょっと浮いたような衝撃さえおぼえ、耳をぶんなぐられ鼓膜をブチ破られたかと思うようなその轟音 がおさまったあと、おそるおそるうしろをふりかえってみる。
広場の地面のコンクリートがえぐれ、破片がその周囲に散らばっていた。
自分や、あの若者たちがあの場所にいたら――
そう想像するとぞっとして全身がふるえた(もらすのはこらえた。えらい)。
「お、おひょひょ~ひょ、ひょ~ひょひょ」
と少々キレのわるくなった奇声をあらためて発しつつ、こんどは酔っぱらいのような、酔拳 のようなおぼつかない足どりに切り替えて(というか雷にビビってしまって足に力が入らなかった)おれは公園から退場する。
そんなおれの醜態 を見まもり、大声で笑うカバネちゃんのたのしそうな声が夜空に高くひびいている。
勇み足で「行きます」と返事をしたおれに、死神のカバネちゃんは低速のドリルのように、空中でゆるりときりもみ回転をしながらしゃべる。
「まあ、話すなら走りながらにしようよ。どうせもうすぐなんでしょ? もう限界ギリギリでダッシュしたくないし」
ランニングをしたときのジャージのまま、準備運動でからだをほぐしながらおれは言う。
カバネちゃんは、ちらりと部屋の時計を見た。
「きょうは、ここから近くだよぉ。駅と逆方向に、公園あるでしょ。あの、なんだっけ、鉄でできた、あれ、あれがある公園でぇ」
「ジャングルジム?」
「うーんそんな名まえだっけぇ? ニンゲンが、こう、腕でぶらさがれるようになっててぇ」
「鉄棒、とか、ウンテイ、とか? いくつかあるような……」
「あー鉄棒っていうのかぁ。まんまの名まえだね、そう、鉄の棒。曲線になってるやつじゃなくて、まっすぐになってるやつ。ここから、5分ぐらいのとこの」
おれは鉄棒のある、家からすぐ近くの公園を思い浮かべる。
たしかにあそこなら5分もかからない。
が、まあともかくどうせ行くなら早いほうがいい。
いままでは行きあたりばったりでなんとかなってきたが、準備とかもいるかもしらんし。
そう思いながらガチャリとドアをあけ、カギを閉めると、ほっほっと軽いランニングをしながら公園へ向かう。
おれの家のあるあたりは住宅街なので、夜になると帰宅する人たちぐらいしか見かけなくなる。
なので行き交う人はすくないのだが、イヤホンをつけ、カバネちゃんと会話していても「電話中のようだな」と思われるよう偽装工作もおこなっておく。
「なんだか準備万端だねぇ」
「また来るかわかんなかったけど、一応ね。ランニングも最近はじめてさ、どう、すこしやせてきてない?」
と言いながら、自分でもはしると腹の肉が少々ゆれるなと思う。
「……ゆれてるねぇ」
「まあまだはじめたばっかだからね! それで、きょうはどんな内容なの」
「ん、あぁ……」
カバネちゃんはフヨフヨと浮かびながら、人さし指をくちびる(やっぱり色はよくないが、うすくて妙な色気がある)に押しあて、記憶をなぞるようにしゃべる。
「そこの公園でね、若い男の子4人がダンスの練習かな? みたいなことをしてるの。ほら、きょう、なんともいえない天気でしょう?」
くちびるの人さし指を、そのまま空にかかげるカバネちゃん。
たしかに、雨こそ降っていないものの、いますぐ降り出してもおかしくない厚い雲に空がおおわれていた。
ゴロゴロと、遠くでちいさく雷のとどろくような音もする。
「とつぜん、そこの公園に雷が落ちちゃうんだよねぇ。それでそのうちの2人が死んじゃうの。それを防いでもらおうと思ってぇ」
「何分後?」
「そうだねぇ、いまだと、あと7~8分かな」
もう1分もすればつくので、今回は余裕だなと思う。
が、4人もの若者となると、いままでみたいに抱きついて(いや好きで抱きついたわけではないんだが)どうにかするわけにもいかず、どうすべきかと考える。
それに今回は雷だから、すこし位置をずらしてどうにかなるものでもなさそうだ。
そんなに広くもない公園だし、とりあえず公園から出ていってもらえばいいのか。
しかしどうやって。
とつぜん「雷がここに落ちるから逃げて」なんて言っても、雨も降っていない現状では信じてもらえないのでは?
おれがブツブツと対策を練っていると、
「ね、それより」
とカバネちゃんがずずいと顔を寄せてきた。
「どうして、今回は、やる気になったの」
空中でさかさまになっていて、そのひとみはらんらんとした暗いかがやきに満ちている。
「いや、なんか」
おれは上半身をそらせて、カバネちゃんの顔から距離をとりながらこたえる。
なんか近すぎて自分の息がくさかったらいやだなと思ったんだが、死神ってニオイもわかるんだろうか。
「このまえたすけた人がきっかけでさ、仕事でほめられたり、いや、まだ、ぜんぜん、まだぜんぜんわかんないんだけどキレイなおねえさんから声かけられたりして、連絡先交換なんかしちゃったりして、なんか、もしかして、そういうもんなのかなと思ったんだよね」
「そういうもんって?」
「いいことをすると、いいことが返ってくるっていうか。いや、そんな単純なモンじゃないってのはもちろんわかってるんだけど、なんか、もしかしたら、そういうこともあんのかなって、思ったんだよね。すくなくとも、いいことが返ってくる確率が“ゼロではなくなる”っていうのかな。じゃあ、おれ、いままでの人生でなにかいいことを
「じゃあ、もう、自殺はしない?」
カバネちゃんは、人をたすけた直後のときのような、慈愛に似た光をひとみに宿しておれに問うた。
一瞬、ハッとする。
ここで「しない」と言うのはかんたんだったけれど、そうこたえると、あのときの自分の絶望を、なにもかもがうまくいかなくて、あの息ぐるしかった毎日を、あの「のどをゆるく絞められつづけているような息ぐるしさ」を、なかったことにしてしまうような、そう感じていた自分を裏切ってしまうような、感覚がした。
――偶然、いま、いっときうまくいっているだけ。
そんな思いが、いまも、胸の底にうずを巻いている。
「絶対にしない、とは言えないけど」
だから、率直に、自分の気もちを伝えた。
「もうすこしだけ、がんばってみようかなとは思ってる」
胸を張って生きていくことができる理由を、見つけるために。
その理由を見つけて、この手につかむことができたらと、心のなかで願いながら。
「ふぅ~ん」
カバネちゃんはそう満足げに声をあげて、またずずいとおれに近寄ると、至近距離でおれのひとみをのぞきこむように凝視した。
ひとみというより、ひとみの奥にある
自分の内奥
とでもいうような、「自分も知らない自分自身の心の底」まで見通されているように感じて、背すじがぞくりとする。そのあと、ニコリと年ごろの少女のような純真さで、花が咲くように笑った。
「いいと思うよ。あなたの人生には、この先、いいことがまってる。すくなくとも、私は、あなたが生きてくれてうれしいよ」
「なに、それ。死神ってそういうこともわかるの?」
「さぁねぇ。ただ、私はわかるような気がするってだけ」
カバネちゃんはおれからはなれて、宙を舞いながら「フヒッ」といつものように笑った。そうしてつづける。
「ね、それはそれとしてさ、こういうとき、また手伝ってよ。毎回ちがう人に声かけるのタイヘンだからさ、この近くでなにかあったとき、手伝ってもらえる人がいるとたすかるんだぁ」
「ま、まあ」
おれはポリポリとほおをかく。
「おれで、よければ」
「よかったぁ! そういえば、あなた、名まえは?」
「
「リョータロね。私、リョータロが生きててくれて、よかったよ」
カバネちゃんが、空中で膝をかかえ、またかれんな表情でほほえんで、おれのことを見つめる。
おれはわけもなくドギマギとした。
頭をガシガシとかいて、そう言ってくれたことに、「……ありがとう」と小声でつぶやく。
と、話している最中にとっくに公園へついていたのだが、どうも公園に若者はいない。
どころか人っ子ひとりおらず、さみしく街灯が公園の砂と、ポツンとたたずむブランコや鉄棒を照らしているだけだ。
「……なんか、だれも、いないんだけど」
「……あれぇ?」
カバネちゃんはくちびるに指をあて、首をかたむける。
「なぁーんか、もらった情報と公園の感じがちがうなぁ」
「あれあるよ、鉄棒、鉄の棒」
「んー?」
カバネちゃんはおでこに手を水平にあて、すこし奥にある鉄棒をながめる。
「あぁ~、あれじゃないねぇ。あれ棒が横になってるでしょ。横じゃなくて、タテに立ってる鉄の棒。ほらコイノボリだっけぇ? あんな感じで棒にぶらさがれるやつ」
「そんな脳筋ぶらさがり健康法があってたまるか――」
コイノボリのように、プルプルしながら地面と水平に棒にぶらさがる(水平状態でもぶらさがるっていうの? たぶんいわないよね、サーカス団員かポールダンサーか筋肉モリモリのマッスルウォーリアーでもないかぎりできないものね)自分を想像して、そう途中までさけぶ。
が、常に宙を浮いているカバネちゃんからすればタテにぶらさがるか横にぶらさがるかなんて
「あの、タテに立ってる鉄の棒ってことは、のぼり棒のこと? 何本かの棒がまとまって立ってて、地面にいる状態でしがみついて、てっぺん目指してのぼる遊具の」
「あぁ~、そんな感じそんな感じ」
のぼり棒のある公園だったら、このすこし先にあるなと思い出す。
はしって2~3分か? あれ間に合う?
「えっ、あと何分?」
「ちょうど3分ぐらいかなぁ」
「結局ギリギリじゃん!!」
おれは絶叫して、また別の公園へむかって全力で
「ごめんねぇぇ。しがみついて、のぼる鉄の棒っていえばよかったのかぁ。そういえばこどもがそんな遊びかたしてたねぇ」
カバネちゃんは、めずらしくとなりでシュンとする。
「フヒッ」という声がもれるが、表情は申しわけなさそうなままだ。口ぐせか、しゃっくりのようなものなのか。
時間がない。が、4人の若者をどかせる方策もとくに思い浮かんでいない。
おれははしって公園をつっきりながら、入り口の手すりにかけてあった、忘れものらしきスポーツタオルを見かけると、「あとでかえします!」と心で念じながら手にとった。
やはり雨こそ降っていないものの、黒く、厚い雲が空をおおっていた。
ゴロゴロという雷を予感させる遠い音が、「間に合うのかオウこらワレ」と不必要にガラわるくおれを急かすようにも感じられる。
すこし休めたし、全力疾走はきょうはじめてなので、想像よりも早くつく。
ただそれでも時間はギリギリだ。息をきらしながらカバネちゃんに、
「あと何分?」
「50秒ぐらい~」
公園に突入し、入り口近くにあるのぼり棒を含めて公園の全容を流し見る。
「あの広場ぁ、男の子が4人いるでしょぉ~」
カバネちゃんの指の先に、若い子たちが4人たしかにいた。
音楽を流しながら、身ぶりをあわせておどっている。
豪雨でも降っていれば自主的に解散していたかもしれないが、幸か不幸か雨そのものは降っていないので、「雷がくるから逃げろ!」とさけんでも信じてもらえるかはわからない。
おれは手っとりばやくどいてもらう方法が思いつかず、
――しょうがない、頭がおかしい人のふりをしよう。
と公園でひろってきたスポーツタオルを顔に巻いて素性をかくしこうさけんだ。
「どけどけどけぇ~い!! ここはオイラのナワバリだぁぁぁ~いぃぃぃぃぃ」
めちゃくちゃ油ぎった肥満体のカエルの妖怪が発しそうな、可能なかぎりの甲高いダミ声を腹とのどからしぼり出して絶叫し、広場の4人につっこむ。
行動も気もちわるいほうがよかろうと考え、ブリッジをして這いながら進み、ぷりぷりのおなかを見せつけつつ
「いぃぃぃぃぃひひひひひひひぃぃぃぃぃぃ」
とB級ホラー映画に出てきそうなぶきみな声色で
4人のうごきがピタリととまり、おたがいの顔を見合わせるのがタオルのすきまから見えた。
おれはブリッジのまま彼らとやや距離をたもちつつ、ゴキブリのごとき生理的嫌悪感をもよおす予測不能かつスピーディーな這いずりを見せ、「どけどけどけぇぇぇい!!」とひきつづき「とにかく要求としてはどいてほしいということのようだ」と感じてくれないかという願いをこめて
すると――
「くっっっっっっっさ!!!!」
公園で拾って顔に巻いたスポーツタオルが、生命力に満ちた森の木々すら枯らしつくして根絶やしにしてしまうのではというレベルの強烈な悪臭をはなっていることに気づき、そのあまりのくささにびっくりして
どう形容したらいいのか、右の鼻から奥までグリグリとえぐるように極太鉛筆をつっこまれ、さらに左の鼻から焼いた鉄の棒を
「いやこれくっっっっっっっっさ!!!!」
おれはブリッジを維持できず、地面をのたうちまわりながらおれの身に起きた
うったえたが、若者たちからしてみれば、スポーツタオルを頭に巻いてブリッジで「どけどけ」と近づいてきた不審者がとつぜん「くっさ!」とさけんでのたうちまわっているこの状況がすでにひとつの有事である。
だれかが「おい」と最低限のことばだけ発したのがおぼろげに聞こえ、逃げるように彼らが荷物を回収してダッシュで去っていくのをのたうちまわる視界のなかでとらえた。
――よかった、おれひとりの犠牲で、若い人たちの未来が救えた……
と、人外のバケモノがおのれの身を
が、すこしはなれた公園のベンチにカップルがすわっていて「なにあれ」「ヤバ……」と会話をかわしているのが風にのって聞こえてきた。
「おひょひょひょひょひょぉぉぉぉぉ」
ので、いま顔がバレるのは非常にまずいと気がつき、おれはひきつづき不審者のまま公園を退場することにした。
おひょひょという奇声をあげる必要はまったくないのだが、なにかしていないと異臭で気を失いそうになったためしかたなく、やむなくだ。
と、その瞬間――
ズドォォォォォォォン
と、神さまが山ほどの大きさの巨大な太鼓に、渾身の力をこめてバチを振りおろしたような、地面をゆるがす雷鳴がとどろいた。
揺れで自分のからだがちょっと浮いたような衝撃さえおぼえ、耳をぶんなぐられ鼓膜をブチ破られたかと思うようなその
広場の地面のコンクリートがえぐれ、破片がその周囲に散らばっていた。
自分や、あの若者たちがあの場所にいたら――
そう想像するとぞっとして全身がふるえた(もらすのはこらえた。えらい)。
「お、おひょひょ~ひょ、ひょ~ひょひょ」
と少々キレのわるくなった奇声をあらためて発しつつ、こんどは酔っぱらいのような、
そんなおれの