第1話

文字数 4,787文字

 上気した頬。彷徨う視線。なにかを告げようとして、口籠もる姿。
 繰り返し読んだ、下駄箱に入っていた手紙を握りしめて、僕は先輩を瞬きさえせずに見つめていた。
 放課後、校舎裏の、花壇の前でお待ちしています。
 その言葉通りに、可憐な花々よりもなおも可憐な先輩は、膝下のスカートを風になびかせて立っていた。艶のある黒髪が夕焼けを受けて、まるで燃えているようだ。少し吊り目がちなところもまた愛らしい。
 これは、そう。間違いがない。
 ありとあらゆる物証が僕に正解を告げていた。
 ――僕への、告白!
「あ、あのね、いきなり呼び出して、悪いんだけれど」
 もじもじとスカートを握りしめる先輩の姿を堪能する。学校一の美少女と称されている、かは知らないが、先輩は単に僕の好みだった。まさか先輩まで、僕のことを好きだなんて。
 そして先輩は、ついに口を開いた。
「朝生君って、付き合ってる人、いるのかな?」
 上気した頬。彷徨う視線。
 恋する先輩のお相手は、僕ではなかった。

 結論から言えば、あいつに彼女がいるのかどうか、僕は知らなかった。
 朝生とは、僕の幼馴染みのことである。いつも女が傍にいるけれど、だからといって特定の女性と親しいようには見えないし、つまりは取っ替え引っ替えだ。朝生はクズだ。こんな男が好きだなんて、先輩は趣味が悪すぎる。
「なあ朝生、お前って彼女いるの?」
「えっ……」
 とりあえず直球で聞いてみた。あの後先輩とどんな会話をして別れたかの記憶は曖昧だが、協力すると約束したような気がそこはかとなくしていた。まあ冷静に考えれば、僕は先輩のことをよく知っているけれど、先輩はあんまり僕を知らないと思う。学校でも目立たないようにしているし。
 朝生とは家が隣同士だから、登校は一緒だ。別に合わせる必要もないのだが、朝生の寝坊防止に付き合わされていた。高校生になったら解放されるかと思いきや、知らぬ間に朝生は僕と同じ高校を受けていた。馬鹿なのにがんばったと思う。
「な、なんだよいきなり。どうしたんだ?」
「いや、ふと気になって……? なんで照れるんだよきもいな」
「きもい……」
 けれど改めて聞かれてみると、疑問ではある。あんまり興味もなかったから今まで突っ込んで聞くことはなかったが。
 なにかにショックを受けたような顔から立ち直って、朝生は三白眼を細めた。
「なーに? お前もついにそういうのに目覚めちゃった? ミステリオタク卒業か?」
「そういうのいいから。で?」
「で? って」
「だからお前に彼女がいるか、なんだけど」
 段々面倒になってきた。
 苛ついている僕に気付いてか、朝生は素直にからかう素振りを止める。
「彼女、ってお前いつも俺といるから分かるだろ。いたことねえぞ」
「ふーん、いないん……いたことがない?」
「おう」
 さすがに驚いた。
「え、なんで」
「なんでって。好きな女の子いなかったし」
「あんなに取り囲まれてて?」
「あれはそういうんじゃない。知ってるだろ」
 朝生の顔を、じっと見つめる。なぜか照れてるけど、特に嘘をついている様子はない。先輩に関しては真意を見破れなかったけれど、幼馴染みの嘘は見抜く自信があった。こいつ馬鹿だし。
 そして彼女がいないんなら遠慮はいらない。セーフだ。先輩との約束通り、協力しよう。
 僕はつまるところ、告白されると思ったら勘違いだったことが、恥ずかしくてたまらなくていたのだ。この羞恥は全面的に協力することでしか晴れない。
「あのさ、知ってる? 三年の佐藤先輩。綺麗な人だけど」
「あー、あの人かな。綺麗か?」
「失礼だな」
「だって好みじゃねえもん……三白眼だし」
「三白眼は朝生じゃん」
 段々面倒になってきた。
「いいから。佐藤先輩はかわいい。だろ?」
「お前ああいうのが好きなの?」
「そうじゃなくてお前が好きなの」
「うんっ?」
「お前が佐藤先輩を好きなの」
「あっ、なる、ほど……?」
 朝生は馬鹿だ。馬鹿なのだ。思い込ませれば勝てる。
 愛するミステリー小説の探偵たちの勇姿を思い起こす。物証を集め、推理し、真実を突きつける姿。そんな探偵にこそ、ずっと憧れていた。これはチャンスだ。つまりは成り立たせたい真実のために、物証をつくれば良いのだ。
 後で思ったけれど、これってどっちかっていうと犯人のやることだよね。
「日曜日、先輩とデートするぞ」
「付き合ってんの?」
「僕じゃない。いやとりあえず僕もいるけど、お前も来るの」
「お、おう? 分かった?」
 その後は定番コースをなぞれば良い。朝生と佐藤先輩と僕の三人で待ち合わせて、僕が適当なところではぐれれば任務完遂だ。
 朝生に強引に約束を取り付けて、佐藤先輩に連絡を入れた。

**

 多分、柚木は佐藤のことが好きなのだ。多分じゃない。絶対。あいつは俺のことを馬鹿だ馬鹿だというけれど、それくらいは分かるのだ。
 柚木に話を振られたとき、佐藤のことをよく知らないように振る舞ったけれど、嘘だった。柚木がずっと目で追っている相手に興味を持たないはずがない。だから、佐藤のことはリサーチ済みだ。身長、体重、両親の仕事、得意な科目、志望大学から、好きな人まで。
 待ち合わせは隣町の駅前。同じ学校の生徒に見つかると困るから、と柚木は彼女たちに説明していた。
 ここは小さいときから育んできた友情を発揮させる時だった。柚木はせっかく佐藤の連絡先をゲットしたのに、二人きりでデートするのにも怖じ気付いたに違いない。それで俺を呼んだのだろうが、そんなことでどうするのだと思う。頼られて嬉しい気もするが、真の友人は一番友人にとって良い行動を取るものだ。
 佐藤の恋する相手は柚木じゃないけれど、青春は一度きりだ。束の間かもしれなくたって、夢を見たって構わない。
 途中ではぐれようと決意して待ち合わせ先に時間通りに着いて、そして俺は戸惑っていた。
「この子、花菜っていうの。よろしくね」
「は、はい……?」
 唐突に新キャラが登場していた。柚木を見るが、こいつも挙動不審になっている。なるほど状況が分からん。考えるのは、苦手なのだ。今の高校に入るのだってかなり無理があったし、大学も柚木と同じところに行きたいから、他に割けるリソースがない。
「じゃあ行こっか」
 この場の主導権は佐藤の手にあるらしい。自然と柚木と佐藤が並び、俺はなぜか花菜サンと喋る羽目になる。
「ごめんね朝生君、急に。驚いたでしょ」
「そんなことはないっす」
「ふふ、朝生君かっこいいから、嬉しいな」
「そうっすか? あざっす」
 まあでも相手は先輩なので、あしらって逃げるわけにはいかない。そもそもこの状態で抜け出したらどうなるんだ? 柚木と、佐藤と、花菜サンの三人。さすがにそれは駄目だと思う。いくら周囲に人がたくさんいるからって、なにが起きるか分からない。こういう場合、どうすればいいんだ。花菜サンと抜け出せばいいのか? なんと言って?
 ゲームセンターに行って、女たちの買い物に付き合って、タピオカなんたらを飲みながら一人混乱していたら、救いの手は相手の方から伸ばされた。
「ね、朝生君」
「はい?」
「二人でさ、抜け出しちゃわない?」
 チャーミングに微笑まれる。渡りに船の提案に乗らないわけにはいかない。二つ返事で頷こうとしたその時、それは起きた。
 駅前の商店街を、悲鳴が切り裂いた。

**

 佐藤ちゃんが死んでしまった。朝生君と話しているうちに、佐藤ちゃんと柚木くんとはぐれてしまってたみたい。抜け出すまでもなかったな、なんて、佐藤ちゃんの遺体に縋り付きながら思う。
「なんで……」
 佐藤ちゃんは歩道に乗り上げた車によって、何メートルも吹き飛ばされて、死んでしまっていた。
 彼女の無念は私が晴らしてあげないとならない。
「なんで、佐藤ちゃんを殺したの」
 だから私は、涙を拭って立ち上がり、指差すのだ。
「――柚木くん!」
「えっ」
 真実を言い当てられたからか、途端に挙動不審になる柚木くん。
「いや、待って、誰がどうみても事故……」
「本当に?」
 最初から疑ってかかるべきだったのだ。このデートは柚木くんからの提案だったけれど、佐藤ちゃんがきっかけではある。朝生くんのことが気になると相談した私のために、佐藤ちゃんが柚木くんに話をつけてくれたのだ。
 けれど私は知ってる。佐藤ちゃんは柚木くんが好きだった。だから、私のためとかこつけて、柚木くんの連絡先をゲットするだろうって。つまり私は別に朝生は好きじゃない。好きどころか――。
「朝生くんのことばかり気にして、君のことを警戒しなかったのが私の落ち度ね……。この町に来ようと提案したのも君だったから、反対できなかった」
 私たちの町だったら、佐藤ちゃんに手出しができる人間なんていない。あの地域の組長の娘たる佐藤ちゃんを陰ながら守る黒服は沢山いるし、私もその一人だ。けれどこの隣町は、私たちのテリトリーじゃない。表向きは普通の町だし、一般人はそのことを知らないけれど、何世代も前から抗争は続いていた。
 私は朝生を――ボディーガードの女性たちに囲まれていない状態の朝生を、始末したかっただけなのに。
 欲をかいたから、失敗したのだ。
「あはは、リサーチ不足だね、花菜さん」
 睨みつける私に対して、柚木は朗らかに笑っていた。
「隠すのはやめたの?」
「隠すより脅す方が良いと思って」
「私が脅しに屈するって?」
「そうだね、屈しなければ、例えば先輩の死体を見るも無惨な状態にするよ、とかどうかな」
 それだけは、嫌だった。下唇を噛んで私は拳を握りしめる。
 朝生は嘆息して柚木の隣に立っていた。頭は良くないが、さすがは若君といったところか、戦闘力は随一だと聞いている。私では相打ちが精々、と目算したところで、ようやく周囲の違和感に気付く。
 野次馬たちの様子がおかしかった。私たちの会話を聞いて怪訝にするでもなく、油断なく立っている。
「ここにいる、全員……」
「ご名答」
「私を殺さないの」
「もう一人始末するのって、面倒だからね。監視カメラもついてるし」
 分かってていってるでしょ、と柚木が笑う。音声は入らないけれど、ここで起きるすべての映像は残る。自分の身を犠牲にして、彼らを法の下で裁こうという魂胆は見抜かれていた。
 ここは立ち去るしかない。私の町に。佐藤ちゃんをみすみす殺された責任と、敵を前にして逃げたことを問われに。
「佐藤ちゃんは、君のことが、好きだったのに……」
 我ながら情けない捨て台詞を吐いて、彼らに背を向ける。復讐の機会はきっとこれからもある。物証を集めて、真実を突きつけてやる。
 佐藤ちゃんがどうしてもと懇願したから、今日のデートにどうにか漕ぎ着けたのだ。絶対に黒服たちが反対するのは分かってたけれど、彼らを撒いてまで。だって青春は一回きりだ。普段わがままなんて言わない佐藤ちゃんが、珍しく引かないから、どうにかしてあげたいと思ったのだ。
 でもきっと、柚木たちはそんなこと、どうとも感じない。
「一つだけ、訂正するぜ、花菜サン」
 ただ黙って成り行きを見守っていた朝生が、静かな声で告げる。
「佐藤が好きだったのは、アンタだよ、花菜サン」
 思わず振り返る。彼の顔には、想像していたような嘲笑や、揶揄の色はなかった。ただただ真剣に、事実を告げるだけのそれ。
 だからこそ私は、朝生の言葉が嘘ではないと確信してしまう。
 佐藤ちゃんは、私が朝生が好きだと、きっと本気で信じていた。だからこのデートをなんとしてでも成功させようとしてくれていたのだ。
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