第1話

文字数 19,714文字

第1章:始まりはアッサムティーの香り

俺の名前は高木優斗(たかぎ ゆうと)。探偵をしている。依頼人に会うときや状況を整理したい時は、だいたい「カフェ・ラブリー」に入る。適度に開放的かつ、隔離されたボックス席、うるさすぎないBGM。依頼人と話をするにはもってこいの場所だ。問題はカフェを経営しつつ、ロマンス作家をしているオーナーだ。彼女はエイミーといい、青い瞳と黒茶色の髪をもち、整った顔と白い肌、繊細そうな華奢な体はまるで人形のようだ。見た目だけ見れば美人の部類に入るんだろう。俺も嫌いじゃない。あくまでも外見は。

だが、人形のような外見とは裏腹に、口を開けば、理想の恋愛は〜だの、愛とはこうあるべき、妄想癖に近い恋愛観を語りだす姿には呆れてしまう。ロマンス作家ってみんなあんな感じなのか?

高木はコーヒーを飲みながらエイミーの方を見る。

私は桜井 レオノーラ 愛美麗(アメリア)。みんなはエイミーって呼んでくれるわ。このカフェのオーナーをしながら、大好きな恋愛小説を書く仕事をしているの。

カウンターの隅でコーヒーを飲んでいる男性は高木さんっていう探偵で、よく依頼の時はラブリーでお話されてるみたい。でも、個室じゃなくてカウンターに座ったってことは今日は依頼人と会う日じゃないのね。資料整理かしら。彼は私のことをロマンス作家と呼び、私の理想の恋愛観も鼻で笑うような、共感力のないNOT紳士な男性なんだけど、依頼人は彼を信頼してるみたいだし、孤児院にも差し入れを持っていったりしてるみたいで、悪い人ではないみたいなのよね。それに、清潔感がないだけで、良く見たらかっこいい、ような気もしないでもないのかも。

どんどん高木の方を見てしまうエイミーは、バチッと高木と目があってしまった。お互い恥ずかしそうに視線を逸らし、エイミーは気を紛らわすように軽く頬を叩いた。

後日。

高木はカフェの店員にコーヒーを注文し、浮気調査で撮りためた資料を整理していた。

エイミーが近づいてきて、「探偵さん、今回は浮気調査ですか?」と尋ねる。

高木は無愛想に答える。「守秘義務があるので。」

エイミーは笑顔で返す。「そんな事言わずに。探偵さんはコーヒー1杯で夜まで粘るんですから。」

高木はため息をつきながら、「…ええ、なかなかボロを出さない男でして、24時間見張ってなんとか…」と話す。

実際、資料整理の日は、夜まで何杯もコーヒーを飲むのをエイミーは知っている。嬉しいことだが、前から高木の胃を心配しているのだった。

エイミーは興味津々で、「浮気なんて絶対に許せない。ですが、話し合って仲直りできると良いですのに。真実の愛は、もっと深い信頼と理解に基づいているはずだから。」と語り始める。

「依頼人はどう慰謝料を取るかしか考えていませんよ。」高木は答えた。

エイミーは少し拗ねたように、「探偵さんはいつもそうですね!まあ、探偵さんには真実の愛が理解できないのかもしれませんけど!」と言った。

「例えば、私は理想の恋人と毎日、紅茶を飲みながら朝食をとりたいの。彼は無糖で、私はジャム入りのアッサムティー。決まって私のをひと口飲んで、『相変わらず甘いね。エイミーと一緒だね』って。えへへ。休日には、執筆している私の横で読書したり、私の創作活動を応援してくれるの。出かけるときは一緒に公園を散歩して、ピクニックをするのが夢なの。夜はキャンドルライトの下でディナーを楽しんで、静かな音楽を聴きながら過ごしたいわ。」

高木は半ば呆れたように、「現実は小説とは違うんだよ」と思ったが、注文した飲み物と一緒に飲み込んだ。

「え?これは…紅茶?」

「そうです。初摘みのアッサムティーです。実家から送られてきました。」エイミーはにっこり笑って答えた。

「この茶葉は売り物じゃないので、今回は御馳走しますね。」髙木は驚いた。「それはご馳走様です。実家って…」

「イギリスのサフォークに実家があるんです。」何となく、いいところの娘さんなんだろう。孤児院出身の高木には縁のない話だった。

「私はアッサムティーにミルクやジャムを入れて甘くするのが好きなんです。あの甘さが、満たされた〜って気持ちになりますから。」

大きくて青い瞳をキラキラさせて自慢気に語るエイミー。高木は見た目のとおりに、

「甘党なんですね」

と思ったが、もちろん紅茶と一緒に飲み込んだ。甘さの中に苦みもあり、意外と口当たりが重い。高木はたまには紅茶を注文してもいいな、と思った。

エイミーはブラックコーヒーばかり飲む高木の胃を心配して紅茶を出したが、それを悟られるのは何か恥ずかしかった。上手くごまかせたようでホッとした。

第2章:二人の関係はブラックコーヒー?

「では、以上になりますね。お支払いは振込で…」

エイミーは角のボックス席で依頼人と話をする高木を見て、浮気調査が終わったと確信した。

「オーナーってあの探偵のこと気になってますよね?」

店長の茜がニヤニヤしながら、疑うようにエイミーを見る。

「まままさか!私の理想の彼氏には程遠くっ!」

慌てて否定したが焦って、舌を噛んでしまった。

「そのくらいにしておけよ、茜。オーナー困ってるだろ。人形みたいな白い肌が真っ赤になって。」

3年前、茜と良介の夫妻はこの町でカフェを始めようとしていた。エイミーはカフェの知識がなかった上に、小説に専念したかったのでラブリーを貸し出すことにしたのだ。

「///」良介の言葉でさらに自分の顔が熱くなるのが分かり、うつむくしかないエイミーだった。

「でも今日で仕事一段落みたいっすね。そしたらまた、あそこじゃないっすか?」

この子は良介夫妻の一人息子の、玲児くん。高校1年生だけど、将来自分のお店を持ちたいと、放課後はラブリーを手伝ってくれている。

「多分そのはず」困った様子でエイミーは高木の方を見た。

高木は報酬が入ると必ず孤児院に寄って、ささやかな差し入れをしている。それは自分がこの孤児院の出身だからだ。3歳の頃に両親を交通事故で亡くし、自分だけが助かった。その後は親戚をたらい回しにされ、最後はこの町の孤児院に行き着いた。15歳でこの町の色んなアルバイトをしてい人たため、人とのつながりは多い。そんな苦労人の高木を心配する人は、いつしか報酬付きで仕事を頼むようになり、今では探偵のような、何でも屋兼、お助け屋みたいな仕事をしている。

「あら、いらっしゃい」

孤児院で高木と同い年の麻衣が出迎えた。成長して、今でも孤児院に関わっている人の中では高木と合わせて最年長だった。

「おう。麻衣もお疲れ。あと今日も差し入れ。お菓子とジュース、それと…」

ふと部屋の奥を見ると、見慣れた姿が見えた。

「お、お邪魔してます」

エイミーがいた。

「あー!優斗お兄ちゃんだ!見てみて!お姉さんからこんなにもらっちゃった!」

孤児院の子どもたちは、高級そうな画材や童話や絵本、画用紙を高木に見せてきた。

高木は差し入れ用に持って来た、塗り絵とクレヨンをさっと後ろに隠した。

「孤児院の皆様には、芸術に触れてもらおうかなと思いまして…あ、こら、やめてくださいまし」

高木は、子どもたちを相手にするエイミーを見て、何故、何不自由ないお嬢様が、こんなことをするのか疑問と怒りが収まらなかった。そしてつい口から出てしまった。

やめろ!「何様のつもりだ?」…それを言ってどうなる。お前の生い立ちは変わらないのに。

「どういうつもりでこんなことしている?自己満足か?慈善事業のビジネスか?」そうか。羨ましいのか、オレは。好きなことやって、お金を儲けて、アッサムティーを飲んで。好きなことだけでして生きている彼女を羨ましがっているだけだ。

やめろ!「俺たちは物乞いじゃない。」自分が惨めになるだけだ。しかし高木の頭が冷え、自制するには時間がかかり過ぎた。

「!?」

高木の言葉は、エイミーが思ってもいなかったことで驚愕すると同時に、『俺たちは』という言葉にエイミーは胸を痛めた。

「すみません。」

高木は気まずい空気から逃げ出すように、走って外へ出た。

「物乞いなんて。私、そんなつもりじゃ…」

エイミーは泣き出してしまった。何事かと院長の武川悦子が顔を出した。

エイミーは悦子から高木の生い立ちを聞いた。自分のしたことの配慮のなさに胸が苦しくなった。

悦子は続ける。「優斗はね、幼い頃から親戚をたらい回しにされて、その度に新しい環境に馴染むことを強いられていたの。親戚たちは優斗をあまり歓迎しなかったわ。まるで重荷のように扱われてね。」

エイミーは静かに聞き入る。

「だから、優斗は人と親しくなるのを避けるようになったの。名前を呼ぶことすら、自分を守るために避けていたのよ。名前を呼ぶことで、その人との距離が近くなり、その関係が壊れたときの痛みを恐れていたの。」

「でも、あの子が本当に信頼している人の名前はちゃんと呼ぶのよ。私や麻衣、そしてここにいる子供たちの名前は呼ぶわ。それだけ深い信頼が必要なの。」エイミーは悦子の言葉を噛み締めながら、ロマンス作家と呼ばれているのは、そういうことかと寂しいような、納得したような複雑な気持ちになった。

エイミーはどこをどう歩いて帰ったのか、記憶もないまま、ラブリーに帰った。すれ違いのように、孤児院に戻ってきた高木に悦子は話した。

「…エイミーちゃんがね、この前ラブリーにこの子達を招待してくれたのよ。本をたくさん用意してくれてね、読み聞かせまで。」

高木は胸が痛んだ。ピュアで感情豊かな彼女が、ビシネスなどの打算的な理由でそんなことをするはずがない。彼女を知っていれば誰が見ても分かるだろう。「悦子さん、俺、謝りたい。」つぶやくように話した。数日後。エイミーはラブリーにて執筆していたが全く筆が進まなかった。

「最近元気ないっすね〜」良介親子も心配そうに見守る。

カラカラ…来客のチャイムが鳴り、エイミーと良介親子は目を見開いた。ヒゲを剃り、髪を切り、スーツを着て恥ずかしそうな高木が目の前にいたからだ。

い、いやいや。情報量多すぎる。清潔感のある探偵さんなんて、ただのイケメンなんだが!エイミーは筆を落とした。

「ロマ…エ、エ、エイミーさん」高木は声にならない声を出した。「は、はい」エイミーは泣き出しそうになるのをこらえて返事をした。「こ、今晩ディナーをよ、予約してますのでご一緒いかがです、か?」容姿を整えて、紳士的な謝罪がエイミーの好みだというのは麻衣の助言だった。もちろん今日の夜に予定がないことは、麻衣が確認済みであった。

第3章:仲直りは事件とともに

高木とエイミーは、高級レストランでのディナーを楽しんでいた。高木が予約したのはレストランの中でも一番安いコース。それが精一杯だった。

「この料理、とても美味しいですね」エイミーは嬉しそうに話す。「そんな。一番安いコースなんです、これ」「探偵…高木さん、美味しさって料理だけで決まるわけではないんですよ。食事は誰と、どうするかも大切なんです!」それってほとんど告白みたいなものでは!?…言っていて恥ずかしくなるエイミーだった。

「そういうもんですかね。確かに周りを気にしたり、マナーなどを気にして食べるのは少し緊張しちゃいますね」そういうことじゃないんだけど…エイミーは呆れてしまった。

「エ、エイミーさん、この前は本当に申し訳なかったです。俺はあの孤児院の出身で…」高木は真剣な表情で語りかけた。

「高木さん、もうその話はいいの。私も、配慮に欠けていたから…」エイミーは苦笑いしながら答え、すぐに「そんなにかしこまらないでください。楽しめないわ」と笑顔を見せた。「は、はい」その笑顔に高木は救われた気がした。

ディナーの途中でエイミーはトイレに行くと言って席を立った。トイレに向かうと、そこには一人の女性が慌てた様子で立っていた。「どうされました?」エイミーが声をかけると、女性は振り返った。

「すみません、ちょっとトイレで人を探しているんです。友達の明美がここで会おうって言ってたのに、見当たらなくて…」その女性は困惑した様子で話した。

「友達が?それは大変ですね」エイミーは驚いて尋ねた。高木さんなら力になってくれるかも知れないと思い呼びに行くことにした。

「高木です。これでも一応、探偵業をしています。何か困ったことでもありましたか?」「探偵?探偵なんですか?ちょうど良かった」女性は安心した様子で話すした。レストランの静かな場所で、真理子は詳細を語り始めた。「私は山田真理子です。O製薬会社に勤めています。居なくなった人は、倉橋明美といい、O製薬会社の内部で行われている違法な薬品開発や不正な臨床試験の証拠を集めていました。彼女の目的は不正を公表することのようです」

「なるほど。その情報交換の場所としてここを選んだのですね?」高木は真理子に確認した。

「ええ。明美は命を狙われている、警察は信用できない。話を聞いてほしいと言っていました。私たちはここで情報を交換しようと約束していたんです。お互いに別々のテーブルでディナーをしてから、トイレでこっそり会おうと…でも、彼女が見当たらなくなってしまって」

「なかなか慎重な方ですね」高木は驚いたように答えた。 「ええ、彼女はとても慎重な人でした。不正をしている大手製薬会社を相手に、証拠を集めていたら当然のことかもしれません」

「どうしてそこまで不正を公表したいのですか?」エイミーは疑問に思った。「分かりません。でも電話越しでも鬼気迫るものを感じました」

高木は、情報を整理した。「今までの話を合わせてみると、やはり誘拐の可能性が高いですね。次に狙われるのは不正の証拠になるでしょう。人間ひとりの証言は簡単にもみ消すことができても、データまでは簡単にはもみ消せないので。」

「そんな…」エイミーは胸を痛めた。

「彼女の自宅のパソコンに詳細なデータが入っているはずです。」真理子もショックを受けている。

「明美さんを誘拐した連中は、明美さんからデータのありかを聞き出し、次にパソコンを狙うでしょう。パソコンはどこに?」高木は即座に答えた。

「彼女の自宅にあります。彼女は慎重な性格だから、データは厳重に暗号化されていると思いますが…」と真理子が答えた。

真理子は住所を教え、高木は迅速に計画を立て始めた。「エイミーさん、一緒に来てもらえないか?ここまで山田さんと長く接触していた俺たちも危険な可能性がある。い、い、一緒にいた方がいいと思う」目をそらす高木。

エイミーはクスッと微笑みながらうなずき、「もちろんです、高木さん。私も手伝います。」と答えた。

彼らは急いで明美の自宅に向かった。到着すると、高木達は慎重に周囲を確認しながら、いつも持ち歩いているという針金で鍵を開け家に入った。

高木は明美のパソコンを見つけ、すぐに起動させた。しかし、予想通り厳重に暗号化されていた。高木は自分のスマホを繋いで、パスワードを解析し始めた。

解析を続ける高木。緊張がピークに達した瞬間、パソコンのロックが解除された。普段、迷い猫探しや、浮気調査でエッチな写真を撮ってる割にはとても優秀なのでは…エイミーは驚いた。

「どういうことだ?」高木が難しい顔を見せる。次に現れたのはさらなるセキュリティ質問だった。「今度は質問だと?この質問に答えなければ、次に進めない」と高木は呟いた。

「質問は何ですか?」エイミーが尋ねる。

「『真実の愛とは何か』」高木は質問を読み上げた。「真実の愛?分からないな」高木は天を仰いだ。 「真実の愛なんて幻想だろ?」

高木は「幻想」と入力した。しかし、画面にはエラーメッセージが表示され、あと2回と表示された。「だめか」ダメ元だったのかしれっと軽口を言う高木。それを見て呆れるエイミー。

エイミーは少し考え込んだ後、「真実の愛をテーマにした詩集、エドワード・グリーン著書の『愛の語り部』で言っていたのは…『真実の愛とは、相手の幸福を自分の幸福とすること』。もしくは、エリザベート・D・ハリソンの『愛と執着』より…」

一瞬呆然としたが、高木は再びキーボードに向かい、「相手の幸福を自分の幸福とすること」と入力した。すると、次の画面が表示され、ついにパソコンの中のデータにアクセスできた。

「すごい、エイミーさん!これで明美さんの秘密に近づけるかもしれない。」高木はエイミーの知識量や情熱を尊敬した。「たまたまです。恋愛に関しての資料は、仕事柄良く読んでいるので」パソコンの中には、大量のファイルが保存されていた。高木はすぐに「不正」というキーワードで検索をかけ、該当するファイルを見つけた。

「ここに何かあるみたいだ。」高木はファイルを開き、内容を確認し始めた。すると、そこには製薬会社の不正行為に関する詳細な資料が含まれていた。内部の利益操作や偽装報告、危険な薬品の隠蔽などが明るみに出る内容だった。

「これが明美さんが握っていた証拠だ。これを公開すれば、製薬会社の悪事が暴かれる。」高木は資料を読み進めながら、状況の深刻さを実感した。

「待って!誰か来る!」玄関の近くにいた真理子が外の足音に気がついた。

高木は即座にパソコンを強制終了し、「みんな、隠れる場所を探せ!」と指示を出した。

エイミーは急いで部屋の隅にあるカーテンの後ろに身を潜めた。高木はそのすぐ近くの棚の後ろに隠れ、真理子はキッチンのカウンターの下に身を伏せた。

緊張の中、足音が近づいてくる。高木はエイミーを心配して隠れた場所に視線を移す。すると、四つん這いになって、お尻を向けるエイミーの姿が映った。しかも、スカートがめくれ、桃のようなヒップと下着が見えている。

「くそ…」高木は心の中で焦りを覚えつつも、視線を逸らそうとしたが、なぜか目が離せない。そのとき、エイミーがふと振り返り、高木の視線に気づいた。「え、何ですか?」顔を真っ赤にしている高木が見える。

すぐに自分の状況に気づき、顔を真っ赤にして、「ちょ、ちょっと!こんなときになんて破廉恥な!見ないでくださいまし!」エイミーは顔を真っ赤にして怒っている。

「しーっ!ご、ごめん…」高木は小声で謝罪したが、その一瞬で心臓がドキドキと高鳴るのを感じた。

部屋のドアがゆっくりと開き、二人の影が部屋に入ってくるのが見えた。「コレが問題のデーが入ったパソコンか。回収しろ。」一人の男の声が響き、部屋を見渡しているのが分かった。

高木は息を潜めながら、エイミーを見ると恐怖からか震えている。高木は意を決してエイミーの背中に手を当てた。最初はビクッと体をこわばらせたエイミーだったが、不思議と落ち着き、次第に力が抜けていくのを感じた。

パソコンを回収した後すぐに、二人の気配はなくなったが、高木とエイミーは触れ合っているぬくもりが心地よく、なかなか動けずにいた。

第4章:優斗さんって呼んでいいですか?

「パソコン持っていかれましたね」真理子は悔しそうに話す。

「データを扱う場合、まずコピーするのが鉄則だ」高木はSDカードを取り出した。

「すごい」普段、商店の店番や、家の雨漏りを直している姿からは想像できないエイミーだった。

「オレはこのデータを調べてみます。新たに何かわかり次第、連絡します。真理子さんは大事を取ってホテルに泊まってください。」

真理子と別れ、ラブリーの方へ向かう高木とエイミー。「今日はすみませんでした。こんなことに巻き込んでしまって」

エイミーは優しく微笑んで答えた。「気にしないでください。巻き込んだのは私ですし」

「それに一歩間違えれば、またエイミーさんを危険な目に合わせてしまうかも知れない」「どういうことです?」エイミーは聞き返した。

「パソコンを盗られる時に、データにアクセスした痕跡をわざと残してきた。」何故そんなことを、という顔をしているエイミーに続けて話す。

「もし、連中がデータを手に入れた場合、用済みの明美さんの安否が心配だ。まだ関係者がいる、聞き出す情報があると思わせておけばとりあえず安心だから」

「あの瞬間にそこまで考えていたなんて」エイミーは驚きを隠せない。途中、先程のレストラン周辺で高木とエイミーは呼び止められた。「すみません、警察の田中直樹です。少しお話聞かせてください」田中はそう言って警察手帳を見せた

高木は緊張を感じながら、「何の件ですか?」と尋ねた。

田中はポケットからメモ帳を取り「先程このレストランで、倉橋明美さんが行方不明になっていると報告がありました。何か情報がありましたら教えて下さい」と話した。

高木とエイミーは知っていることを話した。

「なるほど。探偵として依頼されたと。明美さんの自宅で何があったのか、詳しく教えていただけますか?」

高木は一呼吸置いて、「我々は明美さんの同僚である真理子さんからの依頼で、明美さんの家を訪れました。彼女の持っていた重要なデータを確認し、安全を確保するためです。」と答えた。

田中は眉をひそめ、「そのデータについて詳しく教えてください。何のデータなのか?」

高木はエイミーをちらりと見ながら、「どこかの企業の不正をあつめた資料みたいです。パソコンのセキュリティが強くてデータを見ることができませんでした」

田中はメモを取りながら、「そのデータは今どこにありますか?」と続けた。

「二人組の男にパソコンごと奪われました」

田中はメモを取り、「すみません、失礼しました。また何か情報があったらよろしくお願いします」と言って、足早に去っていった。

「どうして本当のことを言わなかったのですか?」エイミーは聞いた。「真理子さんの話では、明美さんは警察も信用ならないと言っていたので」高木は田中の去っていった先を見た。

ラブリーに帰ってきたふたり。「あとは俺の方でやっておくので。何かあったら連絡下さい。すぐに駆けつけるので」高木はそう言って自宅に戻ろうとしたその時、袖口を軽く掴まれた。「も、もう無関係ではないのでしょう?危険な目に合うかと知れないのに。も、もしかして、こ、このまま帰られるんですか?」良く見たらその細い指は小刻みに震えている。エイミーにとっては初めての体験で怖かったに違いない。エイミーは青い瞳を不安そうに揺らしながら、恥ずかしそうに上目遣いで高木に訴えた。

は、反則級だっ!高木は火が出そうな熱を顔に認識した。「〜」言葉にならない言葉を発したが、エイミーはにっこり笑って、ラブリー内の住居エリアに案内した。

エイミーの部屋は彼女らしく、柔らかい色合いの家具や装飾品で彩られていた。デスクには執筆中の小説がキレイに整頓され、窓辺には紅茶セットが置かれている。高木はかつて無いほどに緊張していた。普段はふわっと香るエイミーの甘い香りが、ここでは部屋中に広がっている。

「ふ、普段は恋愛小説を執筆していますが、殿方を部屋に入れたことはなくて。い、いい機会ですし、小説の参考になれば…」エイミーの緊張が伝わる。「お、俺も女性の部屋に入るのは初めてで…参考になるかは分からないけど」高木も緊張していた。

「こ、紅茶淹れますね。毎回コーヒーだと胃に悪いから」そそくさと支度を始めるエイミー。「そういうことか」前に紅茶を勧めてくれたのは、自分の胃を案じくれていたのか。クスッと笑う。

それに気づき、「感が鋭すぎですよ」エイミーは少し拗ねているようだった。そんなエイミーを高木は愛おしく感じた。

エイミーの紅茶は高木の集中力を高め、作業は効率よく進んだ。「明美さんの妹は不正薬物の人体実験をさせられていたんだ。副作用でベッドから起きられない体になっていると考えられる、らしい」

「そんな!?」

高木はさらにデータを読み進め、重要な情報を見つけた。「この人物たちがこの不正の中心にいるようだ」と言いながら、高木はスクリーンに表示された情報を指し示した。

「まず、山崎俊介(やまざき しゅんすけ)。50歳で、O製薬会社の取締役だ。彼は冷酷で計算高く、会社の利益を最優先にしている。以前、告発しようとした社員を解雇し、その後行方不明にさせたこともある。」

エイミーは驚いた顔で画面を見つめる。「そんな冷酷な人が、これほどの権力を持っているなんて…」

高木はうなずき、「そしてもう一人、村田一樹(むらた かずき)。48歳で法務部長だ。彼は山崎と共に不正を隠蔽している。告発しようとした社員を訴訟に巻き込み、信用を失墜させたこともある。」

エイミーはさらに驚き、「そんなことが現実に起こっているなんて…」

高木は真剣な表情で、「まずは明美さんの無事を確認しなければ。妹さんの様子も見に行ったほうがいいか」ブツブツと独り言を話す。

「高木さん、根詰めすぎないで下さいね」エイミーは紅茶を淹れ直した。

「思っていた以上に危険な仕事になってしまった。正直、不正に深く関わってしまったエイミーさんが心配だ」困った顔をしながら高木は話した。その子犬のような顔が愛おしくてエイミーはつい本音が出てしまった。

「高木さん。あなたが他人の名前を呼ぶことが苦手なのは悦子さんからお聞きしました」高木は気まずそうにうつむいた。本当は名前を呼んでほしい。あなたの大切な人の輪に入りたい。その気持ちを抑えてエイミーは言った。「だから、私が優斗さんって呼んでもいいですか?」エイミーの上目遣いはもはや悪魔との契約だ、高木は確信した。

第五章:アイドルを取り戻せ

暗いオフィスの一室で、山崎俊介と村田一樹が対峙していた。部屋の空気は緊張感に包まれている。

「どうやら、あの女のパソコンにはデータにアクセスした形跡があるみたいです。」村田が静かに話し始めた。

山崎の表情は険しくなる。「何だと?あのデータが世に流出してはならん。必ず関係者をあぶり出し、ここへ連れてこい。」

「はい。」村田は冷静に頷くと、ある人物に電話をかけた。「心当たりがあるだと?すぐ準備を進めろ。」高木、エイミーに危機が迫る。

「ゆ、優斗さん」改まって名前を呼ぶのはまだぎこちない。

「これからどうするのですか?」「あ、相手がこのまま何もしなければ、データを公表する。そうすればを明美さんを拉致している理由はないはず」嬉しい反面、高木も気恥ずかしいのだった。

「でも、本当の誘拐事件なんて初めてです。フィクションと違ってすごく怖い」エイミーは暗い表情をした。「もし、私が誘拐されたらすぐに助けに来てくれますか?」エイミーは目をキラキラしながら聞いた。「…そうだな。まずはエイミーの安全を確保するために相手の要求を確認すると思う。交渉してる間は無事だろうから」…まぁ分かってたっていうか?半ば諦めていたエイミーだった。

エイミーは少し拗ねながら、「この前見た恋愛映画の『Mission: Retrieve/必ず取り戻す』では、ヒロインが誘拐されて、恋人がダクトを通って助けに来て、最後は恋人の名前を呼んで窓から一緒に…。すごく感動したわ。別のシーンでも…」と話しだした。

苦笑いしながら「そうならないように願うよ」また始まったか、と思う高木だった。

その夜、高木は病院の清掃員に扮して、明美の妹、倉橋由美の様子を見に行った。高木は慎重に周囲を観察しながら、病室に入った。

由美はまだベッドに横たわっており、容態は変わっていなかった。ベッド周りを掃除するフリをして、持ち物を調べる。床頭台には、メッセージ付きの写真立てがあり、写真には小さい頃の明美と由美が笑顔で写っている。『家族の愛は思い出とともに』と記されていた。

高木は調べた情報を思い出していた。由美は体調不良が続き、病院に行くも治らず、明美の勧めでO製薬の治験プログラムに参加した。しかし、その治験は違法な未承認薬の臨床試験で、由美の体調はさらに悪化し、ベッドから起き上がれない状態になった。明美は社内の機密文書から、由美が人体実験の被験者にされたことを知り、驚愕した。

明美は不正を暴く決意をし、証拠を集め始めた。これが今回の事件の真相だった。高木は由美が危険に晒されていないことを確認し、帰路についた。

一方、高木が由美の病院に行く前。

高木とエイミーを監視している人物がいた。探偵がラブリーを出たことを確認し入店する。「すみません、本日の営業は終わりました。あ、田中さん、お疲れ様です」エイミーは会釈した。「ご無沙汰してます。この前は情報提供ありがとうございました。あの後、新しい情報はありましたか?こっちはさっぱりで」田中は困ったような顔をした。「パソコンは知らない二人組の男性に取られてしまいましたが、優斗さんがデータをコピーしていて、高木さんが色々調べてくれています。高木さんが戻って来るまで待っていますか?」田中は不敵に笑った。「いや、むしろ戻ってこられたら面倒だ」エイミーの腕を力強く掴んだ。

高木がラブリーに着くと、エンジン音がして一台のバンが通り過ぎていく。変だなと思い、ラブリーに入ると、店内は静まり返っていた。「エイミー?どこだ?」高木は不安に駆られ、店内を探し回ったが、エイミーの姿はなかった。高木は急いで状況を理解した。

「しまった。迂闊だった」高木は自分の不甲斐なさを呪った。

エイミーは車の中で、田中に手足を縛られた状態で監禁されていた。「助けて…優斗さん…」

エイミーには不安と恐怖もあったが、高木が助けに来てくれることを確信していた。

第六章:救出劇とキスの味

ラブリーのカフェで、高木は絶望に打ちひしがれていた。良介夫婦は高木にアッサムティーを入れた。「それで探偵さん、どうやってオーナーを助けるんですか?」良介が問いかけた。

「もう警察に任せようかと…」高木は消沈した声で答えた。アッサムティーの味は尚更エイミーを恋しくさせた。

「ちょっとそれはあんまりですよ。早く助けてチューでもしてください!」良介は強い口調で反論した。茜も「こっちは毎日じれったい恋愛小説をリアルで見せつけられてるっていうのに、エンディングを見ないままにしろっていうのかい?」と続ける。

「どっちかと言うとラブコメって感じっすけどね」と玲児も同調する。「…」高木は呆然として開いた口が塞がらない。

「現状に腐るな、歩き続けろ」高木はハッとして顔を上げた。声の主は警察署長の光山署長。15才でアルバイトを始めたときも、18才でひとり暮らしを始めたときも、親身になるわけでも、突き放すでもなくただ見守っていてくれた一人だ。光山署長は一時期、非行に走りかけた高木を修正した人物でもあるが、それはまた別のお話。

さらに町の人々がラブリーに押し寄せてきた。「話聞いたぞ!俺たちだって街のアイドルエイミーちゃんがお前に取られるんじゃないかってヒヤヒヤしてるんだ。おまえがそんなに腑抜けてるなら、もう任せておけねぇ」と次々に叱咤激励の言葉をかける。

悦子が諭すように話した。「この町のみんなは15才でアルバイトを始めた頃から、お前を町のみんなの息子だと思っているんだよ。困ったときはみんなを頼ったらどうだい?」

「みんな…」高木は泣きながら答えた。「これからエイミー救出作戦を計画する。みんな協力してくれるか?」

「もとからそのつもりだ!」みんなの意思が一つになった。

高木にはエイミーを助けるアイディアが一つだけあった。エイミーが話していた恋愛映画のように、ダクトから侵入してエイミーを救出する方法だった。エイミーならきっと察してくれる。そう確信する高木だった。

計画開始から3時間。すぐに警察を動かすとエイミーの身が危ないと、光山署長とその部下は、監視カメラからエイミーを乗せたバンと、止まった廃ビルを突き止めた。徹夜の作業だった。

ビルの修理会社のみんなからはダクトを通りやすくしてもらった。ホテル業者のみんなはからは、マットレスや布団を何枚も貸してもらった。運送業者のみんなからは、大型トラックを動かしてもらう。町の人々のサポートを受け、高木は感謝しかなかった。夜が更け、救出作戦が始まった。高木はダクトから慎重に侵入し、エイミーが監禁されている部屋に近づいた。エイミーは田中に手足を縛られた状態で監禁されていた。

「さぁそろそろ王子様が来る頃じゃないかな?」田中はエイミーに話しかける。「案外、私より、データが大切なのかも知れませんよ?」エイミーは鼻で笑った。

そんなわけないだろ!高木は悔しさで唇を噛んだ。「オレは反抗的な女より、従順な女が好きなんだ」「それは残念でした。あなたのタイプではなかったみたいですね」エイミーは青い瞳で田中を睨みつけた。そうか、田中の思い通りになるまいとエイミーも戦っているんだ。

しかしそれすらも田中の興奮材料にしかならなかった。「ふふふ、ちょっと教育が必要なようだ」田中がニヤニヤしながらエイミーの頬に手を触れようとした。ガツン!ダクトを開けて高木が天井から着地した。間髪入れずパンチを田中に当てる。

「ぐはっ!野郎!!」田中は拳銃を出して応戦の構えだ。高木はエイミーの手の拘束をほどき、ナイフを足元に置いた。時間を稼がないと…高木はSDカードを取り出した。「撃つな!売ったら最期の時間でSDカードを飲み込む。そうしたら解剖のときに発見される。それともお前たちでやるか?遺体の処理は面倒だぞ?」田中は手を止めた。「ここにデータが入っている。このSDカードは一度データを書き込んだら、書き換えや他へのコピーが不可能な、裁判でも信頼性の高い特注品だ」

「これを渡したら、エイミーは見逃してくれるか?」高木は交渉を持ちかけた。田中は笑って答えた。「いいだろう。SDカードを地面に置け!」地面にゆっくりとSDカードを置いた。

プップー!外からクラクションの音がした。準備は整った。「そのまま手を挙げて、SDカードから離れろ」高木は手を挙げてゆっくりと動き、田中を挟んで彼の後ろにいるエイミーの見える位置に立った。高木は田中を挟みながらエイミーとアイコンタクトを取り、彼女の足の拘束が外れていることを確認した。

高木が窓の方へ走ると同時に、田中はSDカードの方へ駆け寄った。SDカードを手にした田中は勝ち誇った表情で「バカめ、SDカードさえ手に入ればこっちのものだ。このままお前達も明美と同じ運命を辿るんだ」と言い放ちながら、拳銃の狙いを定めた。「エイミー!時間がない!俺を信じて、胸に飛び込んできてくれ!」出口と反対方向にいる高木に飛び込んだところで窓しかない。「あ、あ、アメリア!」エイミーの大きくて青い瞳がさらに見開かれる。エイミーはこの瞬間全てを理解した。高木が名前を呼んだ意味と、エイミーが名前を呼んでもらえた意味を。「優斗!」エイミーも高木も、もう離れないと誓うかのように抱き合った。

「行くよ」そういうと高木は自らがクッションになるかのように、静かに窓の後ろに倒れ込んだ。

ガシャンと窓ガラスが割れ、数秒間の違和感。次の瞬間、二人はトラックの上に敷かれたマットレスに落ちた。強い衝撃が身体に伝わったが、マットレスが緩衝材となり、二人は無事だった。高木は抱き合ったまま、片手を上げ合図し、トラックは出発した。「クソ!まさか飛び降りるとは」窓から再度拳銃を構えるが、トラックは走り出し、まだ暗い時間なこともあり、正確に狙うことはできなかった。

トラックが走る震動を感じる。なんとか逃げ切ったとホッとしながらも、まだお互いの体温を感じたかった。

「優斗、来てくれたんだ。嬉しい」「当たり前さ、怪我はないか?」「今のところ痛いところはないよ」「一緒に飛び降りるの、映画と一緒だね」「ビルの5階と2階じゃ全然違うさ」「でも映画みたいで素敵だった」「気になるんだ、その、映画の続きが」「そ、そうだよね。映画の続きはね…」エイミーはそっと高木に口づけた。 「キスをしてから…」「アメリア、愛してる」「…なんで分かるの?」「恋愛映画はワンパターンだからかな。それともオレの願望かも。」高木はエイミーにキスをした。

ラブリーに戻ると町のみんなが待っていた。「エイミーちゃん」麻衣はエイミーに抱きついた。「大丈夫です。優斗さんが…助けてくれました。」恥ずかしそうに話した。茜や悦子も頭を撫でたりしている。

「優斗、良くやった。とりあえず無事に戻ってきてくれたよかった。」町のみんなは喜んでいる。「まさか、警察内部にも仲間がいるとは思わなかったな」光山署長は話す。

「すみません、光山さん。SDカードを持っていかれました。相手はかなりのやり手です。証拠がないと、証言だけではもみ消されるかも知れません。」高木が悔しそうに話す「そうか。ここからは慎重に証拠を探っていく必要があるな。あとは警察に任せてくれ」光山は話した。

第七章:小説と重ね合わせて

それから二日が経過した。進展は特に見られなかった。

「あれから何も進展がない。すでに明美さんがいなくなってから5日経つ。明美さんが心配だ。由美さんもできる限り早く不正薬物の治験を中止させないと」高木は焦っていた。

「優斗…。そういえば由美さんはどんなご様子だったの?」エイミーが尋ねる。

高木は悲しそうな表情で話した。「オレが行ったときは寝ていて、話はできなかった。ただ車椅子があったり、ベッド周り以外はキレイで、ベッドの上での生活が中心なんだと思う」

エイミーも悲しそうに「そう…」とうつむいた。

「写真立てには二人が笑っている写真が飾ってあったよ。『家族の愛は思い出とともに』っていうメッセージが添えられていた」高木が話した後、エイミーは何かに気づく。「写真…家族の愛は…思い出?…写真立て!」

「何か思い当たることでも?」高木が尋ねる。

「もしかしてこれは、『グリーンフォードの丘』の一説かも」エイミーは説明を始めた。「『家族の愛は思い出とともに』この一節は、小説『グリーンフォードの丘』に出てくるの。酪農をやっている親子の絆や、片道二時間かけて学校に通う姉妹の姉エマ、妹リリーが、偏見やいじめを受けても、お互いを支え合いながら生きていく姉妹愛が描かれているの」

「続けてくれ」小説に対するエイミーの知識や情熱には高木も尊敬している。そのエイミーが言うからには何かあるのだろう。高木も真剣に聞いている。

「途中リリーは貴族の男性にプロポーズを受けたの。酪農をやらせたい両親の反対もあり、断ろうとしたけど、エマの応援を受けて、反対を押し切り、夜中のうちに逃げるように嫁いだの。逃げたリリーは酪農をエマに押し付けたことをひどく後悔したまま日々を過ごす。数十年後、その罪悪感も忘れて生活していたリリーに知らせが入る。エマが病気で亡くなったと」

「罪悪感を胸に抱いたまま、遺品整理で実家に帰ってきたリリーは、写真立てに隠されたメッセージを見つけた。そこには、エマが牧場で一人で頑張りながらも、毎日リリーのことを思い、幸せを祈っていたことが書かれていたの。エマは離れていても二人の絆を信じ、困難を乗り越えられたと伝え、リリーに罪悪感を抱かないように求める。そして、エマがどれだけリリーを愛していたかを思い出し、自分を責めずに幸せに生きてほしいと願う内容ね」

高木はエイミーの説明を聞きながら、心の中で整理を始めた。「『グリーンフォードの丘』の姉は妹のことを想っていた。明美さんも由美さんのことを想っている。」

エイミーが続ける。「そうなの。エマは、遠くにいる妹リリーのことを毎日思いながら、自分の幸せよりも妹の幸せを祈っていたわ。きっとそれは明美さんも同じ」

高木は頷きながら「そういうことか。可能性はあるな」エイミーは微笑み、「そう。だから、写真立てに隠されたメッセージがあるかもしれないって」

高木は「よし、もう一度由美さんの病室に戻って、写真立てを確認しよう」とエイミーに言った。二人は再び由美の病室へと向かった。

「ま、まさか私もこんな格好をするとは思わなかったわ」高木とエイミーは清掃員の格好をして由美の病室に向かった。

「こんにちは。清掃ですね、よろしくお願いします」由美は答えた。「いえ、私たちは明美さんの意思を継いでここに来ました」

ここまでの経緯を由美さんに説明すると「そ、そんな」と驚いている様子だった。

「すみません」断りを入れ、エイミーは慎重に写真立ての裏面を外した。

「由美がこれを見ている頃には、私はこの世にいないかもしれません。でも、知っていてほしいことがあります。私たちの家族はいつも一緒です。遠く離れていても、心は永遠に繋がっています。あなたを守るために、この証拠を集めました。もし私が途中で力尽きても、必ず助けが来ると信じています」

エイミーの声が一瞬詰まった。高木も息をのんでメッセージを聞いている。由美は涙を浮かべながらエイミーの言葉を聞き入っていた。

エイミーは深い感情を込めて、メッセージの続きを読み上げた。

「由美、私はいつもあなたを愛していました。あなたが病気で苦しむ姿を見るのは、本当に辛かった。その中で由美を不正な治験に導いてしまったことを後悔しています。私の無知が、あなたをこんな目に遭わせてしまいました。心から謝ります」

エイミーの声は次第に震えた。「でも、あなたに伝えたいのは、私の心の中にいつもあなたがいるということ。あなたの笑顔を思い出すことで、私は前に進むことができました。どうか、私のことを思い出して、強く生きてください。私たちの絆は永遠です」

「由美、私はあなたの幸せを祈りながら、この世を去るかもしれませんが、どうか私の思いを忘れないでください。この証拠を使って、あなた自身の未来を守ってください」

エイミーは深呼吸をし、涙をこらえながら続けた。「いつかあなたが笑顔で過ごせる日が来ることを信じています。あなたは強い。私たちの絆はどんな試練も乗り越えられます。由美、あなたは一人じゃない。私はいつもあなたのそばにいます」

エイミーはSDカードを取り出し、高木に手渡した。「優斗さん、これが全ての証拠です」「由美さん、私たちは必ずこれを信頼できる人に渡すことを約束します」

しかし、その瞬間、病室のドアが開き、田中と村田が現れた。「データを見つけたな。良くやった。それを渡してもらおう」村田は冷たい目で二人を見つめた。田中は拳銃を高木に向けた。

村田は続ける。「倉橋明美に自白剤を飲ませて、データを倉橋由美の病室に隠したことまでは聞き出せたが、肝心の場所が分からなくてね。君たちを泳がせてもらった」田中は拳銃を強調しながら命令した。「さぁ、SDカードを地面に置け!」

「くそ、こんなところで…」高木は悔しさを滲ませながら、SDカードを地面に置いた。

村田がSDカードを拾おうとした瞬間、病室の外から光山署長とその部下たちが突入してきた。「警察だ!全員動くな!」

田中と村田は驚いて銃を下ろし、光山署長たちに制圧された。「間に合って良かった。しかし、どうしてデータが由美さんの病室にあると分かった?」光山署長は不思議そうに尋ねた。高木は感謝しながら、エイミーのおかげなんです、と前置きを入れ、これまでの経緯を説明した。数時間後、「証拠を確認したが、不正の事実は間違いとのことだ。エイミーさんのお手柄だな」「そんな、お手柄なんて」エイミーは遠慮がちに笑った。「エイミーさんを危険に晒した優斗はまだまだだが 」光山は優斗をたしなめる。「優斗さんは何度も私を助けてくれました。私も優斗さんを助けたかっただけです」

光山署長は「そうか、案外ふたりともいいコンビかもしれないな」と言ってふっと笑った。「光山さん後をお願いします」高木は真剣な表情で言った。「ああ。エイミーさんの言う『グリーンフォードの丘』のような展開にならないよう、警察の威信をかけて明美さんを探してみせる」後はよろしくと、光山は病室を後にした。

最終章:エイミーのロマンスは…

数日後のラブリーにて。「いてて」高木は定期的に依頼される迷い猫探しの依頼を終え、猫を捕まえる際に抵抗されてできた生傷にエイミーが薬を塗っている。「優斗さん、いつもお疲れ様です。ばい菌が入るといけませんよ」麻衣はトーストを食べながら、「エイミーちゃん、優斗に甘すぎ。優斗にはもったいないよ」エイミーをたしなめた。「この二人もついに結ばれたかー。嬉しいような、このエンタメを見れないのは、少し残念のような」茜は満足げだ。「オレには眩しすぎだよ」そう言いつつも良介も満足げだ。

テレビにはO製薬取締役の山崎が狼狽した様子で映っている。「この度、弊社において不正な薬品開発及び臨床試験が行われていたことが明るみに出ました。この不正行為により、多くの方々にご迷惑とご心配をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。また、私自身、この事態を招いた責任を取るべく、本日をもってO製薬の取締役を辞任いたします。今後は〜…」

明美が集めたデータのSDカードが公開され、製薬会社の不正が明るみに出た。内部告発者の倉橋明美は、約一週間の監禁と自白剤でかなり衰弱していたが、無事に救出され回復に向かっている。妹の由美も治験を止めリハビリに専念したところ、もう歩けるところまで回復した。日常生活に戻るようになるまで、時間はかからないだろう。

「そろそろ行きましょうか」今日は高木の依頼が一段落し、デートの予定がある。まだ16:00過ぎで、時間はたっぷりある。エイミーは楽しみにしていたが、ラブリーのドアを開けるとマスメディアに囲まれた。「O製薬の事件について、桜井さんの小説の知識が役立ったと聞きました。お話を聞かせてください!」

これではデートどころではないと思ったエイミーは高木の手を掴んで走り出した。「お、おい、いいのか?」高木が問う。「最近はこればっかりです。デートくらいは放っておいてほしいです」エイミーはうんざりしたように言う。「そうだな」高木は笑ってエイミーを抱きかかえた。「きゃ!これがお姫様抱っこ?幸せ…」エイミーは意識が飛びそうだ。「まったく、しつこいな」高木はまだ追ってくるマスメディアを振り切ろうとする。「仕方ない。ここに入るぞ!あれ、エイミー?気絶してる…なぜ?」

しばらくしてエイミーは目を覚ました。そこは柔らかな照明に包まれた部屋だった。壁にはロマンチックな絵画が掛かり、ベッドの上には花びらが散らばっている。「ここは…ま、まさかラブホテルなんじゃ!?」エイミーは即座に高木を見た。「エイミー起きたか?ご、ごめん。なかなか振り切れなくてここに逃げ込んだんだ」高木は申し訳無さそうに答えた。「ちょっと、女の子が寝てる間に、こ、こんなところに入るなんて、ノット紳士!最低です!ま、まさかマスメディアの方々に見られてませんよね!?」エイミーは高木に説教した。「ご、ごめん。それは大丈夫、と思う」高木は困った表情でエイミーを見た。子犬のような高木に毒気を抜かれたエイミーは「もういいわ。今日はここで、優斗さんと久しぶりにゆっくり話したいな」と話した。

それから数時間が経った。ホテル内で夕飯を済ませ、逃げ回って汗をかいたとシャワーも済ませた。高木はエイミーが恋愛に対して、高すぎる理想を持っていることを知っているので、できるだけ叶えてあげたいと思っている。ましてや、エイミーがたまたま入ったラブホテルで、"はじめて"をするなんて考えられないと思ってることも知っている。シャワーを終えた甘い匂いのエイミーに、高木はギリギリ理性を保っている状態だった。高木の視線に気づいたエイミーは「あ、まさかここでしようと思ってるの?だ、だめよ!私には理想の"はじめて"というものが…」あたふたして話す。「大丈夫。エイミーの嫌がることはしないよ。今日は楽しかった。もう休もう」高木はベッドに横になった。「え、ええ」エイミーも横になる。高木はエイミーの不安を察し、優しく彼女の頬に手を当てた。「アメリア、大好きだ。」見つめながら想いを伝えた。

高木の愛のささやきか、ラブホテルの雰囲気か、何がそうさせたのか分からないが、気がつくとエイミーは高木の胸に顔を埋めて、「好きにしていいよ」と伝えていた。

次の日の朝、エイミーが起きると高木も起きていた。「おはよう」高木は笑って、ラブホテルに備え付けのティーバッグで入れた紅茶を差し出した。「!?」全てを思い出したエイミーは赤面し、「わ、私の"はじめて"が…」幸福感と恥ずかしさでいっぱいになった。同時に、理性が効かなかった自分への不甲斐なさを紅茶で飲み込んだ。「ごめん、ジャムもミルクも無くて」備え付けの無糖の紅茶は少し苦かった。

こうしてエイミーの"はじめて"は、飲んでいる紅茶と同じような少し苦い思い出となった。でも、気持ちはジャム入りのアッサムティーを飲んだ時のように、満たされた気分なのだった。

「エイミーのロマンスは謎解きと紅茶」 完
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