第1話

文字数 4,801文字

こんな夜を私はあと何回迎えられるだろう?昼間の甘ったるさを引きずった生ぬるい春の夜風に髪を撫でさせながらそんなことを考えてしまう。もし今日がその最後の夜だったとしても、残念がる隙もない程に幸福な夜だったと確信した時、少し熱の引いていた興奮はあっという間に再燃し、波のように寄せては返す感動に体が飲み込まれて行くのを私はただ静かに眺めていた。

お守りのようなとある夜の、感情のスケッチ。感想文という名のラブレター。



4時に目が覚めてしまう。あまり眠れなかった。中途半端に引かれたカーテンの間から覗くすみれ色の空を眺めながら、とうとう今日がやって来たことをひとり静かに噛み締める。いてもたっても居られず予定よりずいぶん早く家をでた。朝露に濡れたバラの彩度がいつもより濃く目に映る。真新しい朝の空気にハゴロモジャスミンの甘さが充満する。これから名古屋へ行くというのに東京駅のキオスクでコメダ珈琲のカップ飲料を買ってしまう。こんな早朝から子どものようにはしゃぎすぎてしまう自分が恥ずかしい。はやる気持ちを誤魔化しながらしれっと乗り込んだこだまがぷらっと名古屋に着いたのは、ちょうどお昼の時間だった。

ハワイアン料理のお店に入り、まるで大人版お子様ランチとでも呼びたくなるような賑やかなプレートとパイナップルジュースがテーブルに運ばれてきた時、抑えていたつもりの気持ちがいつの間にかまたはしゃぎすぎてしまっている事に気がつく。ロコモコの隣に添えられたガーリックシュリンプを頬張りながら同じ目的で来ている人を探してみようとTwitterを開くと、ひとつのツイートが目に止まった。

「今日のライブ、行くかどうかすっっごい悩んだけどやっぱりやめておくことにした。楽しみにしてたことをこんな風に悩んで行かないって自分で決めなきゃいけないのすごく辛い。。。」

突然、今ここに居ることがとてつもなく間違っていることのように思えて落ち込んでしまう。行くかどうかはチケットが当たってから考えようと思っていたが、実際に当たってしまうと行かないと決断するのは難しかった。

1年前だったらきっと違っていただろう。実際、1度目の緊急事態宣言が出された去年の4月は、予約していた旅行をキャンセルした。あの頃は、まだみんなが上を向いていた。力を合わせてこの危機を乗り越えようという希望が誰の目の中にもあった。

1年経って、みんな俯いてしまった。改善される気配のない満員電車に疑問を抱きながらも無言で乗り込む。まるで私の責任ではないですからと国民に言い聞かせるように会見をする総理大臣。政治への怒りはもうとっくに通り過ぎてしまっていて、会見の生中継を見ても、絶望とも呼べるような失望が、ドリッパーから垂れるコーヒーのようにポタポタと心に落ちて、黒い染みになって広がっていくだけだった。

iPhoneの画面をスワイプしてTwitterを更新すれば、オリンピック中止を求める過激なツイートが今日も飛び交う。オリンピックの開催中止を求めるオンライン著名が開始からたったの2日で25万筆を突破したと話題になっていた。確かに、命の危機に瀕している人が大勢いて、それを助けようと頑張っている人もまた大勢いて、みんなが泣きながらも投げ出さずに働いてくれているこの状況で、感染リスクの高いオリンピックなんかやっている場合ではないと言うのは最もな意見だろう。事態が収束した後に、またやればいい。それか無観客でと言う決断をいい加減できないだろうか。一体何にしがみついているのだろう?そう思う一方で、今回のオリンピックに人生を賭けているような選手がいることも事実なのだ。選手だけじゃなくて開催に向けて動いてきた人が大勢いる。その人達の気持ちはどうなるのだろう。どんな顔で、中止を求める悲鳴と罵声を眺めるのだろう。そう考えると、中止を求めますと言う自分の声に自信がなくなる。誰も何も示してくれない。1年も経っているというのに。いつもギリギリまで何もわからない。どちらへ向かって歩けばいいか、誰もが迷っている。

今回の緊急事態宣言の延長を受けて、おばあちゃんがやってる小さなスナックも5月いっぱい休業することを決めた。当然スタッフから「そんなの無視して営業した方がお金になる」と声が上がる。おばあちゃんは、うちには自民党のお客さんもいるから、できないのよ、と疲れた声で、それでいてはっきりとした口調で言うだけだった。みんな、それきり何も言わなかった。

緊急事態宣言の延長どころか更に愛知と福岡の追加が決まったこの状況の下、わざわざ東京から名古屋までライブを見に行くという行動を私に取らせたのは、我慢ばかりのこの状況がもういい加減馬鹿馬鹿しいというほとんど投げやりな感情に他ならなかった。誠実に悩んで出したつもりでいた答えが単なる身勝手で幼稚なものだったと気がついた時、まるで犯罪を犯してしまったかのような罪悪感と居心地の悪さに襲われた。目の前の賑やかなランチプレートが急速にとてつもなく恥ずかしいものに変わり、逃げるようにして店を出た。いつの間にか太陽は重たい雲に隠され、湿気に閉じ込められた名古屋は、街も人も全部がグレーに染まっていた。口の中に残ったニンニクの臭いが鬱陶しかった。



開場時間に会場に着くと、検温とアルコール消毒の為の長蛇の列ができていた。以前のライブでは無かったその光景は、今私たちが暮らしている世界と過去の世界は全く別物であるのだと強く私に認識させた。同時に、同じ罪を犯して来た人がいるという後ろめたい安心感に包まれる。

令和3年5月8日午後5時半。『尾崎世界観の日』と銘打たれたクリープハイプのボーカル尾崎世界観による弾き語りライブは、夕方が夜に飲み込まれるように、ゆっくりと静かに始まっていった。

集まった人々はみんな、指定された席に行儀よく座り、静かにステージを見つめる。静かに見つめる余り、「なんで無視するの?」とステージ上から言われてしまう一幕も。それぞれのマスク越しの小さな笑いが集まって大きなそれになって、会場全体の緊張をほぐす。

力強い前奏に歌が乗った瞬間、私の体は頭で感じるよりもずっと早く反応して勝手に涙が溢れてしまう。予想外の涙に困惑する。1曲目からこんなに泣いてしまうなんて恥ずかしい。隣の人に泣いているのがバレたくなくて涙を拭えない。ハンカチは膝の上で畳まれたまま、涙はとめどなく頬を伝ってマスクをびしゃびしゃに濡らす。予備のマスクを持ってきていた自分を心の中で褒めた。

気づかれないように拍手の音が鳴っている間だけそっと鼻を啜った。

今日までずっと恋焦がれて聴いてきたその声が今目の前に実体を持った存在として私の目に映っている事がただただ嬉しかった。音源で聴くのとは違う震える高音がたまらなく愛しい。ありがとうの囁きに彼の体温を感じられる。

曲も声も私の体の一部だと見紛う程こんなに近くにあるのに、それらが近ければ近いほど当の本人の遠さが際立ってしまう。尾崎世界観は私を見てるけど、見てない。遠すぎれば気にならないくせに、目に映る距離まで近づいた途端、途方もない欲が顔を出す。恋だと勘違いしてしまいそうな苦しさに溺れそうになる。

あれもこれも、この言葉のあの声も、持って帰りたいものが多すぎて、でも抱えきれなくて、かき集めればかき集めるほど、指の間からこぼれていく感覚も大きくなって、それがたまらなくもどかしい。どの瞬間も絶対一生忘れたくないのに、一瞬は一瞬の時間で正確に私の前を通り過ぎて行ってしまう。そうだ、ライブって、いつもこんな感じだったっけ。

年中無休で生きてるから 間違うけどしょうがねー
いつも謝ってばかりだけど
何かに許されたり 何かを許したりして
そうやって見つけてきた正解

この春リリースされたばかりの新曲「四季」の一節で、不意に嗚咽が漏れてしまうほどに泣いてしまう。止めようとすればする程止まらなくて焦る。矛盾だらけの日常をくしゃくしゃにして、諦めて、平気なフリをして忘れようとしていた。不安だった。今日ここに来るまでずっと。歌声は私のそんな不安を丸ごと包んでくれた。そして許してくれた。今日ここに来たことは、間違っていたのかもしれない。それでも、間違っていたとしても、ここに来てよかったと、そう思えた。

異様な静けさの中、ギターの音と彼の声と息遣いだけが響いていく。曲の間やぽつりぽつりと話す言葉の間に訪れる音の無い時間は明らかに意思を持っていた。無音の息遣いに、私たちは耳を澄ませた。それはこの上なくロマンチックで官能的な行為だった。無音を通して、私と彼はたくさんの会話をした。ありがとうの気持ちは拍手に乗せるしか手段がなかったけれど、それで十分ステージまで伝わっているような気がした。会場全体に響く拍手にはいろんな言葉が詰まっていて、それがなんだか嬉しくてくすぐったかった。

これまでに体験したことのない、文字通り唯一無二のライブがそこにはあった。「逆に良かった」と思うわけではないけれど、こんな状況の中でしか生まれなかったライブであったことも確かだった。ここは谷底なのかもしれない、そんな考えがいつの間にか浮かんでいた。今まで築き上げてきた世界がすべて壊れて、その上で暮らしていた私たちはみんな1年かけて谷底まで落っこちてしまった。なんとなく、まだ落ちている最中にいて、だから何もできないんだと思い込んでいたけれど、足はもうとっくに谷底に着いていたのだと今日やっと気がついた。私よりずっと先に谷底に降り立った事を感知して、その場所で良いものを作ろうと努力している人がいた。みんな俯いてしまっただなんていうのは私の思い込みでしかなかった。諦めない人は目の前にいて、その目の中には、1年前の私の目の中にもかつてあった希望の炎がただじっと燃えていた。

普段はひねくれてばかりだけど、お互いの関係に対しては誰よりも真剣で、少しの違和感も見逃さない。それが尾崎世界観だ。構えることなく相手をまっすぐ見つめる目の奥にはいつも、あなたをあなた以上に好きになりたいという愛情が大きな川のように流れていて、私たちは、その純粋さと力強さに強烈に惹かれてしまう。1年前からずっと、「この状況で何ができるだろう?」と誰よりも深く考えて、開催できる保証も無い中でやると決めて、提示してくれていた。

こんなみんながほとんど諦めているような状況でまだ希望を持つなんて恥ずかしいと、どこかで思ってしまっていたのかもしれない。希望を決して諦めない彼の姿を前にして、私は自分のその投げやりな考えを恥じた。

時計が壊れたからといって時間が止まるわけじゃない。遠い過去の日常がまた戻って来ることを夢見て待っていても、それはもう戻ってこない。新しい日常がすでに始まっているのだから。今出来ることを見つけて実直にやっていくしかない。ここからまたつくっていけばいい。涙のせいでただ光が揺れているだけのステージに目線を固定しながら、私は自分自身が生まれ変わっていくのをじっと見つめていた。

涙を拭って改めてステージを見やると、去っていく後ろ姿がやけに頼もしかった。その背中にほとんど祈るような気持ちで「ありがとう」と心の中から声を掛ける。今日を今日まで諦めないでいてくれた事が改めて嬉しかった。時間も記憶も掬った瞬間に手のひらからとめどなくこぼれてしまう水と同じだった。絶え間なく手のひらに注がれるそれらにいつかこの夜も流されてしまうだろう。そのうち、懐かしい思い出という名の広大な海の一部になってしまったとしても、それで構わないとそう思えた。今日の感動は私の体の一部となり、これから先ずっと共に生きていくことを知っていたから。

最後の拍手が鳴り止むと、そこには静かな幸福がただ横たわっていた。

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