誰がために穴はある

文字数 4,546文字

「うひゃぁあああああっ?!」

 情けない悲鳴をあげ、ナルセス様が私の目の前で姿を消した。
 いや、正確に言うと、私に掘らせた落とし穴に


 私の罠作りの腕前を見たいからとナルセス様が言うので、実際に落とし穴を掘ってみせると、彼は素晴らしい、君こそ僕の求めていた人材だ!と叫びながら私に駆け寄ろうとし、見事この即席の罠にはまってしまったというわけだ。

 土埃にまみれた金髪を照れくさそうに掻きながら、ナルセス様は穴から這い出てくる。近寄らないように何度も注意したのに、人の話全然聞いてないし、この人……やっぱりバカなのかな?

「いやぁ~、これほど立派な落とし穴なら、黄泉蛇も簡単にしとめられるね。さすがは『穴モテ』のサーシャのつくった仕掛けだ。これでようやく僕も無事に『勇者ノ儀』を終えることができそうだよ」

 衣服の土を払うと、その人はどことなく軽薄そうな笑みを浮かべた。
 整った目鼻立ちに鋭い顎、波打つ長い金髪、そして硬革鎧をまとう均整の取れた長身。外見だけは非の打ちどころがない。胸に光る大鷲の徽章が、彼がれっきとしたこのフォルシス王国の騎士であることの証明だ。王族が騎士を束ねる存在である以上、このナルセス王子は騎士の中の騎士である……はずだ。少なくとも名目上は。

「うん、この僕の目すらあざむくほどの罠を作れるとは、君は聞きしにまさる腕の持ち主のようだね」

 いや、単にあなたが間抜けすぎるだけなんですけど?
 なんだか頭が痛くなってきた。こんな人をいずれ国王にするために、私はここへ来てしまったのか。
 「勇者ノ儀」とはフォルシス伝統の儀式で、手ごわい獣や大蛇を狩って武勇を示すことで、王位継承者の資格を得るために行うものだ。この国の王は、その地位にふさわしい勇者でなくてはならないのだ。
 でも最近はこの儀式も形骸化してきていて、獣と戦うのは従者でもよく、最後の一太刀を浴びせるのが王族であればいい、ということになっている。長く平和が続いたせいで、この国の空気もかなりゆるんできているらしい。そんな体たらくだから、今はお隣のウィルダニア央国の属国にされてしまっているのだけれど。

「それでは、お前を猟犬に任命する。今日はナルセス様のため励め」

 カジム様が鷹のような鋭い目で私を睨みすえた。砂漠の民ファキール族の出身らしく、頭にターバンを巻き、鮮やかな空色のマントを羽織っている。この人は「勇者ノ儀」の目付役で、ナルセス様と私の狩りの一部始終を見守り、不正が行われないか監視する役目を負っている。
 カジム様に「猟犬」、つまり狩りの供をする従者に任命された私は、これからナルセス様の黄泉蛇退治につき合わなくてはならないのだ。

(お前ガソノ気ナラ、カノ者ヲ喰ラッテヤッテモイイ)

 右手の肘から先がうずき、耳障りな声が直接心の中に響いてきた。
 この右手に宿している悪魔、「終わりなき貪欲と飽食の(あぎと)」の声だ。
 この悪魔は空間を丸ごと喰らう力を持っている。ナルセス様が落ちた落とし穴も、この右手の力を使い、一瞬で掘ったものだ。
 即席で罠を作れるこの能力は、獲物をしとめるときも、敵から逃げるときも、大いに役立つ。おかげで私は冒険者仲間から重宝されるようになり、ついには「穴モテ」なんてありがたくないあだ名を頂戴することになった。

(私はあの人を助けなきゃいけない立場だから、今は我慢して。不本意だけど)
(ソウカ、気ガ変ワッタラスグ我ニ知ラセロ)

 いつまで気が変わらずにいられるか、私にも自信がない。
 ナルセス様に目を向けると、このバカ王子は見送りに来た女たちを両腕に抱き、まるで今生の別れでもするかのように涙目になっている。しなを作り、妖しく笑いかける女たちを見ているうちに、やはり噂は本当だったんだ、と苦々しい気持ちになった。
 娼婦も自室に引き入れるほどの女好き。賭博と酒におぼれる放蕩者。ウィルダニア央国から課せられる軍役をすべて弟のマクシムス様に押し付ける怠惰な王子。目の前のナルセス様を見る限り、これらの評判はすべて事実としか思えなかった。
 2年前の南方戦役の折には輜重隊の警護をまかされたものの、フォルシス西端の国境で山賊の襲撃にあい、武器や兵糧をすべて奪われるという失態も演じている。ナルセス様はこの時以来、政務を放り出して遊びほうけるようになったらしい。
 なぜこんなろくでなしを助けることになったのか、それを語るには、少し時計の針を戻さなくてはならない。




 ◇ 




 今からちょうどひと月前、私はフォルシスの王都ティントに買い出しに来ていた。中央市場の露店を見てまわっていると、野菜も果物もまた値上がりしている。戦費調達のため、ウィルダニアが食品にまで税をかけているのだ。少しでも安い野菜を物色しようとしていると、路傍に幼い声が響いた。

「お花、いりませんか」

 季節はずれのタンポポを手に、必死に通行人に声をかける少女に振り向く者は誰もいない。家の近くから摘んできたのだろうが、どこにでも生えている花を欲しがるものなどいない。幼い彼女には、これくらいしか売れるものが思いつかなかったのだろう。

「お花、いりませんか。こっちのは綿毛もきれいです!」

 涙目になりつつ、彼女は声を張る。そのとき急に風が強く吹きつけ、少女が右手に持ったタンポポの綿毛が残らず秋風にさらわれた。丸裸になったタンポポに目を落とし、彼女は大粒の涙をこぼした。

「ねえあなた、これをいくらで売りたいの?」

 見ていられなくなった私は、そう声をかけてみた。少女は顔をあげると、涙をぬぐい、か細い声を出した。

「……ギルダス」
「なあに?もう一度言ってごらん」
「5万ギルダス」

 これには驚いた。大人一人がゆうに半年は暮らせる額を、一輪のタンポポで稼ごうというのだ。

「なにか事情がありそうね。どうしてそんなにお金がいるの?」
「5万ギルダス払えば、お兄ちゃんが兵士に取られなくてもすむって、お母さんが言ってた。でも、うちにそんなお金はないから」

 少女はまた泣きはじめた。

「うちはお父さんがいないし、お母さんは病気で寝込んでるし、お兄ちゃんがいなくなったら誰も研ぎ師の仕事ができなくなっちゃうの。ウィルダニアの兵士になればお兄ちゃんは食べていけるけど、あたしは……」
 
 フォルシス王国は大陸中央を占める強国・ウィルダニア央国の属国となって以来、この国の先兵となって南方の遊牧民ファキール族と戦わされている。ファキール族は多くの暗殺者を抱えているので、時にはフォルシス軍主将のマクシムス様の身に危険が及ぶことすらあった。ウィルダニアは属国の国民に軍役を課し、戦功をあげればその国の民に市民権を与えると約束していたが、その約束が果たされる気配はなかった。

「なるほど、お兄さんが南方に行かされそうになってるわけね。あなた、名前は?」
「……ロア」
「わかった。じゃあロア、そのお花、5万ギルダスで買ってあげる」

 少女は目を丸くした。まさか本当にそんな大金で買ってくれる客が現れるとは思わなかったのだろう。この5万ギルダスを軍役代納金としてウィルダニアに納めれば、この子は兄と引き裂かれずにすむ。
 少女の手に金貨を握らせると、彼女は祈るようなしぐさでそれを胸に押しあてた。

「ところで、あなたはどこから来たの?私が家まで送ってあげようか」

 受け取った大金を彼女が途中で奪われないか、私は心配だった。
 最近はウィルダニアに重税を課されているせいか、街にも貧民が増え、確実に治安が悪くなっている。

「ううん、大丈夫。あたしは雲雀地区に住んでいるから」

 雲雀地区ならここの通りのすぐそばだ。私が付き添うほどの距離ではない。

「じゃあ、私はこれで。寄り道しないで帰るのよ、ロア」

 満面の笑みを浮かべる少女の頭をなでると、私はその場をあとにした。
 ずいぶん財布が軽くなってしまったので、私は羽振りのいい友人の家へ足を向けることにした。

「そういうわけで、ちょっとお金を貸してほしいのよ、ジラルダ」

 そういうと、ジラルダは渋い顔をして、テーブルに半円状に広げたカードの中から、無造作に一枚をつまみあげた。

「へえ、小鬼(インプ)かぁ。どうも雲行きが怪しいねえ」
「ちょっと、私はカード占いをしにきたわけじゃないのよ」
「なあサーシャ、そのロアって子、雲雀地区に住んでるって言ってたんだろ?」
「そうだけど、それがどうかしたの」
「あたしの記憶では、雲雀地区にそんな名前の子はいない。妹がいる研ぎ師も知らないしね」

 そういえば、ジラルダも雲雀地区の出身だった。彼女は一度テーブルに置かれたカードを見れば、シャッフルしてもどのカードがどこに移動したかすべてわかるほどの記憶力の持ち主だ。ロアが雲雀地区に住んでいるなら知らないはずがない。

「で、でも、最近引っ越してきたばかりかもしれないし……」
「ねえサーシャ、そんな小さい子がいきなり5万ギルダスも吹っかけてくること自体、おかしいと思わないのかい?これはきっと代納金詐欺だよ」

 目の前が真っ暗になった。確かに子供を使って同情を引くのは詐欺の常套手段だ。私は情にほだされて、半年分の生活費を失ってしまったらしい。

「助けてあげたいのはやまやまなんだけど、今はあいにく手元不如意でね」

 ジラルダは艶のある黒髪を掻きあげ、気だるげに頬杖をついた。大きく開いたシャツの胸元から、豊満な谷間がのぞいている。この外見も彼女の商売道具のひとつだ。凄腕の賭博師である彼女は、対戦相手を惑わせるのに手段を選ばない。

「そんなに余裕がないようには見えないんだけど」
「金はあっても、自由に使えるかどうかは別問題なんだ。悪いけど、今はあんたに貸せる金はない。そのかわり、あたしにもしてやれることはある」

 ジラルダは表情を引き締めると、私を正面から見すえた。

「なんだか太陽が黄色いね」

 ジラルダは窓から漏れ入る光に目を細めながら言った。妖艶なジラルダが言うと、いかにも昨夜の情事を思わせる台詞に聞こえる。でも、これは冒険者としての私に用があるものの台詞だ。

「……私が冒険者だと知っていたの」
「フォルシスの民のため危険を冒す者、それが冒険者だからね。あたしは『ヤリ逃げ』のジラルダ。紅の女王蜂で資金運用を担当している。今後は金がらみで国民を助けたいなら、あたしに相談してからにしてくれ。軍役代納金の貸し付けもうちの仕事のひとつなんだ」

 ヤリ逃げとは、いつも勝ち逃げする彼女の賭博師としての腕前からついたあだ名だろうか。「紅の女王蜂」とは、冒険者の中でも精鋭だけで構成される集団だと聞いている。ジラルダは賭博師としても冒険者としても一流らしい。

「さて、仕事の話といこうか。この仕事は危険が伴うけど、報酬も高いよ」

 こうして、私はジラルダからナルセス王子の護衛の仕事を紹介されたのだった。
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