第1話

文字数 2,286文字

先日、勤めていた会社の経理・財務部門のOB会があった。

この会は平成時代に会社をリタイアした者を対象としていて、平成の末にリタイアした私たちの世代は最若手に入る。
私は30代半ばで財務部門に迷い込んで来て、結局10年間ほど在籍してまた他部門に転出した。
当時の経理・財務部門の人は入社から定年までずっと在籍する人が多かったため、私は何となく「異邦人」の感覚がずっとあった。
だからこの会はよく知らない大先輩がウジャウジャしていて、敷居が高そうな感じがしていたため、これまで一度も出席したことが無かった。
ところが、案内状に今回が最終回ということが書いてあったので、初参加することにした。

会場は東銀座のホテルでの立食パーティで、参加者はいつもより大幅に多い70名以上とのこと。
受付を済ませて会場に入ると予想通り先輩だらけで同期は誰もおらず、私より年下が3~4人いるだけ。
しばらく会場の隅っこで「若手」だけでおとなしくしていたが、そのうちお酒の入った諸先輩方に見つかってしまった。

私は直属の部長だった方とひとしきり中日ドラゴンズの行く末を案じた後、隣の部長だった方に近況報告などをしてから、飲みものを取りにいったら「大物」がそばにやって来られた。
その方(Kさん)は財務部門の担当役員だった人で私は4年間お世話になった。
見た目は明治製菓の「カールおじさん」のような村夫子然とした雰囲気なのだが、Kさんは私が出会ったなかで最も頭の回転が速い人である。

出身は雪深い新潟の山村で、通った小学校では開校以来の大秀才と呼ばれたとのこと。
ただ、昔聞いた話では、東大に入学すると単に勉強ができるだけではなく、文学や音楽などの芸術にも造詣が深い都会出身の同級生が多くて早々に格差を痛感したそうだ。
「僕は受験勉強を無駄なく効率的にクリアすることだけを考えてきた。大学受験を川に橋を架ける作業に例えたら、自分一人が通れるだけの最低限の幅の橋を架けたんだ。」
「ところが、当時の日比谷高校出身者なんかは受験知識以外の教養も豊かで、何十人も横に広がっても渡れるような幅の橋を悠々と構築しているんだ。」

この話にはオチがあって「だから、僕はとりあえず中国伝統文化の研究(要するに麻雀)に没頭した。」とのこと。

私自身はバブルがはじけ始める頃に初めて財務部門にやって来た。
幸い私の会社自体は大きな影響はなかったが、当時は大手証券会社や都市銀行が次々に倒れるようなこともあって、騒然としていた時代だった。
そんな成行きからバブルの後始末や新しいリスク管理ルールの策定などの役回りを仰せつかった。

そんななかでKさんはそれまで無縁だった財務部門の担当役員になられた。
最初はそれぞれの担当ラインで業務状況の「ご進講」をしたが、初担当とは思えない鋭い質問にびっくりした。

当時私は若手の中間管理職だったので、その後はしょっちゅうKさんの部屋に案件の説明に行っていた。
会社では「議論をする時は肩書なし」という不文律があって好き勝手に意見を言えるのだが、その内容がお粗末であれば容赦なく突っ込まれた。
また、時にはいきなりKさんから電話がかかって来て、「XXについてなんだが、証券系のシンクタンクのレポートには○○が肝要とあるけど僕は間違っていると思う。君はどう思う?」という抜き打ち試験みたいな質問までされるので油断できない。

思い返すと懐かしい1000本ノックの日々であった。


Kさんの口癖がタイトルにも書いた F = M V² であった。
これは物理の「運動エネルギーの方程式」であり、Mは「物体の質量」、Vは「速度」、 Fは「発生する力」を示す。
KさんはFを「仕事の成果・インパクト」、Mを「提案内容の出来」、 Vを「スピード」と置き換えて、「提案内容の出来栄えを仮に2倍改善しても効果は2倍止まり。だが、もし、2倍の速さで完成させたら実は4倍のインパクトを与えることができる。」「ナポレオンもこの運動方程式からスピード重視の戦法を採用していたんだ。」「要するに兵は拙速を尊ぶ。早いのが取りえ。」とよく言っていた。

あるとき、急遽Kさんにある案件の初報&基本的な対処方針の確認のために部屋に飛び込もうとしたけれど、これから出張で羽田に出かけられる寸前だった。
Kさんから「急ぎの案件?」と訊かれ「ハイ。」と答えると、
「出張から帰ってから聞くと遅くなるな。 F = M V² だから、時間を節約するために車の中で説明して。」
と言われて羽田空港まで行く役員車に同乗させてもらい、その中で案件の説明と基本的な対処方針に関するQ&Aを行った。

Kさんが空港で車を降りる際に戴いた「君はこの車で会社に戻って。」とのお言葉に甘えて会社のビルの前で役員車から降りたら、同期の一人に目撃されてしまい、「オマエ何してるんだ。百年早いわ!!」とからかわれた。


この羽田の件について、今回「その案件はおかげさまで素早く片付けることができました。」と言ったら、Kさんは「記憶にないなぁ。だけどいい話を聞いた。僕も昔は真面目に仕事をしていたんだなぁ。」と喜んでいただいた。


Kさんは85歳。しかし見た目は昔と全く変わらない。
ただ話を伺ったら、昨年奥様を亡くされて現在は一人暮らしだそうである。
「やれる範囲内だけど、家事も買い物も全部自力でやっている。」とのこと。

昔のKさんは典型的な昭和のサラリーマンで、家事とは無縁の仕事人間だった。
しかし、奥様の介護も3年されたとのこと。

「男子、三日会わざれば刮目して見よ」との言葉通り、80歳を過ぎても人間は進化できるんだなあと感心した。
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