闇スイマー

文字数 1,997文字

 俺の名前は山崎サトル。冴えないデブのサラリーマンだ。今も会社のトイレの個室に隠れ、糞を気張りながら仕事をさぼっていた。
 そんな俺にも特技があった。一つはどんなものでも“一センチ”だけ動かすことが出来る超能力、移動念力を使えることだ。試しに使って見せるとこうだ。
 カッタン。どうだ素晴らしい。トイレの鍵を手を触れずに閉めることが出来た。俺はたった一センチであればどんな物質でも動かすことができるのだ。

 そんな時だ。手持ちのスマホにメールが入った。金曜の夜の残業メールだ。
 それは大金の稼げる闇バイトの依頼だった。
 雇い主は山菱会会長、山菱 彰。通称、社長と呼ばれる関東ヤクザのドンだ。
 そんな裏社会の男とどこで接点ができたかと言うと、意外にもスイミングスクールだった。
 太った体にコンプレックスを持っていた俺がダイエットがてら水と戯れていたら、元国体水泳選手の隠しきれないオーラが出ていたのだろう。水からあがった拍子に、社長から闇スイマーとして一儲けしないかと声を掛けられたのだ。
 思わずOKしたのは、人生に刺激が欲しかったからだ。怒られるばかりのサラリーマンの世界に俺は飽きていたのだ。

 俺はスイムキャップにゴーグルを乗せ、首には白いタオルを掛け、絶対王者の風貌で試合会場(バトルフィールド)に現われた。
 ちょっぴり出っ張った腹は御愛嬌。闇スイムの無敗の力を今日も見せつけてやるぜ。
「サトル、良く来てくれたな。だが今日の相手はちと強敵だぜ?」
 袴を着込んだ山菱会長が視線をプールサイドに送った。紫のストライプスーツを着、両手に金ぴかの指輪を沢山付けたオールバック野郎が、傍らに長身の美人スイマーを従わせ下衆な笑いを見せていた。
「最近、こっちの世界で幅を利かせ始めている。名古屋の地上げ王、ゴールデンオルカグループ社長、金野玉鯱(たましゃち)って野郎だ」
 愛知の地上げヤクザか。それよりも隣のハイレグ水着の美人スイマーが気になるな。
「社長、約束は守ってもらいますよ」
「あぁ玉鯱。おめーらが勝てば関東進出には何も手出しはしねぇ。だがうちが勝った時は大人しく遠州の関を超えるんじゃねぇぞ」
「えぇ平和的に行きましょう。こっちは現役日本代表候補、鈴本涼香を使いますがね」
 鈴本は玉鯱に肩を抱かれ不敵に笑った。
「ぐぬぬぬぬ。サトル、こおいうことだ」
「えぇ任せて下さい。俺はこお見えて現役時代、帝都のペンギン野郎と呼ばれた男ですからね」

 俺は飛び込み台のうえにたった。
 ゴーグルを装備しながら傍らの日本代表候補に話しかけた。
「闇スイムを舐めないほうが良いぜ」
「この世界にはお金がないと叶わない夢があるのよ。おでぶさん」
 鈴本はゴーグルを付けると顔を引き締めた。
 ふん。高くつくぜ。でぶった体は俺の戦闘服(バトルスーツ)だ。
「セット&ゴー!」
 黒服の合図で俺と鈴本は光り煌めく青い宇宙に飛び込んだ。
 プールに白い飛沫が舞い上がる。先行したのは鈴本だった。
 だがこのお嬢さんはなぜ俺が帝都のペンギン野郎と呼ばれていたかは知らない。俺の得意技は贅肉性流線型ボディを活かした、潜水(ペンギン)泳法、通称バサロだ。
 うぉぉぉっ。俺は水の抵抗を極限まで減らした潜水(ペンギン)泳法で体をうねらせ鈴本を追いかけた。国際ルールでは十五メートルまでしか許されないバサロだが、闇スイムでは距離は問われない。
 にもかかわらず水面で手足を動かす鈴本のクロールには追いつけない。さすがは現役日本代表候補だ。フォームに無駄がない。
「私は負けない。絶対に負けない。豚の屍を乗り越えてオリンピック出場を掴み取るのよ!」
 鈴本の魂の声が聞こえてきた。
 だがこれは大金の掛かった闇レースだ。もし負けてしまえば、社長の逆鱗に触れ、東京湾の鮫の餌にされてしまうだろう。
 怯えるな、山崎サトル。お前はこの血のたぎる闇スイムの世界を無敗で生き残ってきたじゃないか。
 ―――そう全てはわずか一センチの移動念力のお陰でな。
「動け念力!」
 呟くと何かが裂ける音が聞こえた。
 日本代表最有力、鈴本涼香は一瞬で羞恥の世界へと落ちていった。
 俺は得意の移動念力で水着の股ぐらの縫い目を一センチ分だけ動かし、切り裂いてやったのだ。

「良くやったぞサトル。いつも通り賞金は口座に振り込んで置くからな」
 興奮する山菱社長の横で、オールバックの玉鯱が水のなかの鈴本に罵声を浴びせ始めた。
「このくそ女、よくも恥をかかせたな。お前に対するスポンサーの話は全部無しだ。金無しでオリンピックにも行けず野垂れ死んでしまえ!」
「社長、私のことを見捨てないで下さい! テレビでケツでも出しますから!」
 鈴本は鼻水まみれで号泣し玉鯱の足にしがみついた。
 そこにはもう美女の面影はなかった。
 だがこれもまた勝者と敗者を分ける闇スイムの定めなのだ。
 俺は体を拭くために更衣室に下がった。

 今夜もまた残酷の傷を癒すため、ロマネと言う名の特濃珈琲牛乳(カフェミルク)を飲もうじゃないか。
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