birthday party
文字数 2,000文字
食材を買い込んだ私が家 に戻ると、もう14時を過ぎていた。
長らくメンテナンスを怠っていた自動調理器が壊れた。トムが戻るまであと3時間。部屋の飾りつけをちび たちに任せ、私は数年ぶりに調理器具を握る。
去年までは、こうじゃなかった。
嘆いても仕方ない。今まで周囲に甘えてきたつけ だ。今年に入って年長の家族 が次々と家を出た。残されたのは不器用なラニと物臭なイーダ、幼いちびたち。自ずと私が皆を仕切るはめになる。「いつかは」と思っていた事態でも、こうも急に訪れるなんて。
Eモールの購入記録に招待客リスト。過去のデータに目を通す。食いしん坊のトムにはせめてごちそうくらい気張りたい。
階上からピアノの音が聞こえる。ラニだ。さっきから同じ小節を繰り返している。芸術家肌のラニは妥協を知らない。トムなんてピアノとオルガンの区別もつかないのに。
私はラニのしたいようにさせておく。彼には彼のよさがあるし、向かないことはさせないに限る。物を壊して余計な手間を増やすだけだ。
ラニはまだしも、イーダがプレゼントを買いに出かけて数時間。さぼる口実だ。午前中に適当なものを通販で頼んでいれば、今頃届いているだろう。
結局パーティーの開始寸前に帰宅したイーダの両手は空いていた。
「プレゼントは」
「あの子が今やってるゲームの通貨 。あたし、結構貯まってるから」
「それって外出る必要ある?」
イーダは肩をすくめた。追及する代わりに、リビングを仮想会場 に繋ぐようイーダに頼むと、数秒後、苛立たしげな低音 が家中に響いた。
「トムの交配親 、2人とも来ないって」
『ハッピー・バースデー、トム。今、私たちは海の中にいます。信じられる? 本物の海! プレゼントにこの素晴らしい景色を送ります』
V-HALLの壁面に水面の模様が投射される。
「自然観測の抽選に当たったんだ」イーダは私を見た。「どうする?」
「どうするって――」私はうろたえた。「仕方ないよ。他の人は皆ログインする んだから、十分でしょ」
しばし沈黙が流れ、イーダから先に吐息を漏らした。
「あいつ、泣くだろうな」
そんなの分かってる。トムは交配親 にべったりだった。
トムが生まれた当時、トムの親たちはうごめく息子を毎日飽かずに眺めていた。幸運にも高齢で交配に成功して嬉しいのは分かるけど、家の中で「3人の世界」を作るのには閉口した。
トムが5歳になった年、彼らは家を出て行った。“社会性を育てるため”息子をここに残して。彼らは結局、新たなステージを望む他の交配親 と同じようにしたのだ。
「血縁 がなによ」
7年を共にした私の親たちは、私に対して他の子供と同様に接したし、私にとって彼らは他の年長者とほぼ変わりなかった。今では記念日にメッセージをやりとりするだけ。トムの親はトムを甘やかしすぎた。
案の定トムは泣いた。ラニ渾身の演奏を絶叫が打ち消す。皆でなだめても無駄だった。プレゼントは開けない。他の料理はおろか、ケーキすら口を付けない。いつもは他人の誕生日でさえ、一番大きいピースを奪おうとするくせに。取り皿は払われ、カーペットの上で生クリームが無残に散った。
「もういい」
私は両手を食卓に叩きつけた。カトラリーが一斉に悲鳴を上げる。
「これでお開きにしよう。悪いけど」
V-HALLの接続を切ると、BGMの絶えたリビングにトムの嗚咽だけが響いた。
私は自室に駆け込み、後ろ手で鍵を閉めた。1人用のベッドと机型端末 、クローゼット。自分の場所 はこれだけ。私はマットレスに身を投げる。
こんな態度はよくない。感情的すぎる。トムのわがままは皆知ってるし、きっとフォローしてくれたはずだ。でも私が耐えられない理由は他にもあった。
準備をさぼる自由。駄々をこねる自由。パーティーの途中で役目を放り出す自由。
家を出て行く自由。子供を溺愛する自由。したいことをし、したくないことをしない自由。
私たちは自由を尊ぶ。他者の自由を脅 かさない限り――つまり、誰かの心身を虐げたり、力でねじ伏せたり、地球環境を破壊したりしない限り、自由は何より大事だ。
私には今日大切な予定があった。
遠方の恋人 とV-ROOMで会う。たかがデートでも、私にはかけがえのない時間だった。
同じ同性愛者 でも、私は単一愛者 で、彼女は複数愛者 だ。
好きな人を愛する自由。好きな人を全員 愛する自由。今晩彼女が他の恋人に会うかと思うとやりきれない。
私はトムを喜ばせかった。トムが去年のようにケーキにむしゃぶりついてくれるなら、大切な時間を譲ってもよかった。でも期待は外れた。
誰のせいでもない。私の心が折れたのは、何かに期待して、一人で多くを懸けすぎたから。
そろそろ涙を拭う時間だ。いずれラニかイーダが私を慰めに来る。親身になってくれるなら、私はそれに応えよう。
私は決して「気の済むまで塞ぎ込む自由」を行使できる人間ではないから。
長らくメンテナンスを怠っていた自動調理器が壊れた。トムが戻るまであと3時間。部屋の飾りつけを
去年までは、こうじゃなかった。
嘆いても仕方ない。今まで周囲に甘えてきた
Eモールの購入記録に招待客リスト。過去のデータに目を通す。食いしん坊のトムにはせめてごちそうくらい気張りたい。
階上からピアノの音が聞こえる。ラニだ。さっきから同じ小節を繰り返している。芸術家肌のラニは妥協を知らない。トムなんてピアノとオルガンの区別もつかないのに。
私はラニのしたいようにさせておく。彼には彼のよさがあるし、向かないことはさせないに限る。物を壊して余計な手間を増やすだけだ。
ラニはまだしも、イーダがプレゼントを買いに出かけて数時間。さぼる口実だ。午前中に適当なものを通販で頼んでいれば、今頃届いているだろう。
結局パーティーの開始寸前に帰宅したイーダの両手は空いていた。
「プレゼントは」
「あの子が今やってるゲームの
「それって外出る必要ある?」
イーダは肩をすくめた。追及する代わりに、リビングを
「トムの
『ハッピー・バースデー、トム。今、私たちは海の中にいます。信じられる? 本物の海! プレゼントにこの素晴らしい景色を送ります』
V-HALLの壁面に水面の模様が投射される。
「自然観測の抽選に当たったんだ」イーダは私を見た。「どうする?」
「どうするって――」私はうろたえた。「仕方ないよ。他の人は皆
しばし沈黙が流れ、イーダから先に吐息を漏らした。
「あいつ、泣くだろうな」
そんなの分かってる。トムは
トムが生まれた当時、トムの親たちはうごめく息子を毎日飽かずに眺めていた。幸運にも高齢で交配に成功して嬉しいのは分かるけど、家の中で「3人の世界」を作るのには閉口した。
トムが5歳になった年、彼らは家を出て行った。“社会性を育てるため”息子をここに残して。彼らは結局、新たなステージを望む他の
「
7年を共にした私の親たちは、私に対して他の子供と同様に接したし、私にとって彼らは他の年長者とほぼ変わりなかった。今では記念日にメッセージをやりとりするだけ。トムの親はトムを甘やかしすぎた。
案の定トムは泣いた。ラニ渾身の演奏を絶叫が打ち消す。皆でなだめても無駄だった。プレゼントは開けない。他の料理はおろか、ケーキすら口を付けない。いつもは他人の誕生日でさえ、一番大きいピースを奪おうとするくせに。取り皿は払われ、カーペットの上で生クリームが無残に散った。
「もういい」
私は両手を食卓に叩きつけた。カトラリーが一斉に悲鳴を上げる。
「これでお開きにしよう。悪いけど」
V-HALLの接続を切ると、BGMの絶えたリビングにトムの嗚咽だけが響いた。
私は自室に駆け込み、後ろ手で鍵を閉めた。1人用のベッドと
こんな態度はよくない。感情的すぎる。トムのわがままは皆知ってるし、きっとフォローしてくれたはずだ。でも私が耐えられない理由は他にもあった。
準備をさぼる自由。駄々をこねる自由。パーティーの途中で役目を放り出す自由。
家を出て行く自由。子供を溺愛する自由。したいことをし、したくないことをしない自由。
私たちは自由を尊ぶ。他者の自由を
私には今日大切な予定があった。
遠方の
同じ
好きな人を愛する自由。好きな人を
私はトムを喜ばせかった。トムが去年のようにケーキにむしゃぶりついてくれるなら、大切な時間を譲ってもよかった。でも期待は外れた。
誰のせいでもない。私の心が折れたのは、何かに期待して、一人で多くを懸けすぎたから。
そろそろ涙を拭う時間だ。いずれラニかイーダが私を慰めに来る。親身になってくれるなら、私はそれに応えよう。
私は決して「気の済むまで塞ぎ込む自由」を行使できる人間ではないから。