フラレ花火

文字数 4,308文字

夏は嫌いだ。休みの前にテストがある。
今回のテストは、俺にとってかなり重要なものだ。
なにせ、夏休みの小遣いが全額かかってるんだから。
それに夏にはいい思い出がない。

「恵吾くん、今の問題、わかったかな?」
「あ、はい! よくわかりました」

もう一回言う。俺は夏が嫌いだ。
だけど、今年の夏だけは少しだけ悪くないと思っていた。
だって、家庭教師の理奈先生が勉強を教えてくれているんだから。

テスト前限定の家庭教師だけど、俺は……彼女に一目惚れしてしまっていたんだ。

「ま、今日はこんなところかな。それにしても暑いわね」
「そうですか? クーラー強くしましょうか?」

俺がリモコンに手を伸ばそうとすると、理奈先生の身体に近づいて
ドキドキする。
心臓の音、聞こえないかな。
そっとボタンを押すと、またイスに座る。

「ありがとう。ところで恵吾くんは、夏休みの予定は決まってるの?」

そのまま勉強中の休憩に入る。
母さんが運んでくれたアイスコーヒーに口をつけると、
理奈先生はたずねた。

「えっ? 決まって……ませんよ」
「そうなの? 高校生の夏休みなんだし、いっぱい遊ぶ予定、あると思ったのに」

意外そうな顔をする先生に、俺は言った。

「夏は嫌いなんです。暑いし、どこに行っても混んでるし。それに、いい思い出ないから」
「何かあったの?」
「……去年の花火大会の日、彼女にフラれちゃって」

俺がつぶやくと、先生は口に手を当てた。
まずいことを聞いたと思ったんだろう。
でもそんな表情は一瞬。
グラスに手を戻すと、ふと笑った。

「そうなんだ。奇遇だね」
「え?」

「私も去年の花火大会に、フラれちゃったんだ。おんなじ境遇だね」
「……お互い変なこと聞いちゃいましたね」
「私は別にいいよ。だけど、今年の夏には間に合わなさそうだなぁ。
一緒に行く彼氏、結局見つからなかったもん」

彼氏、見つからなかったってことは、俺にもチャンスはあるってことだよな!
俺はがたんとデスクを揺らして立ち上がろうとした。

「それなら俺が……っ!」

そう言いかけて、俺はストップする。
俺は高校生で、彼女は大学生。
うまくエスコートする自信がない。というか、財布の事情もある。
今回のテストに、夏休みの小遣いが全額かかってる。
今度のテストで悪い点を取れば、小遣い没収。花火大会どころの話じゃなくなってしまう。それだけは避けないと。

休憩を終えて1時間ほど勉強すると、定時になった。

「さて、私はもう帰るかな。今度のテスト、頑張れっよ!」

先生は俺を元気づけるように背中を叩く。

「はいっ!」

先生に喝を入れられたことよりも、一緒に花火大会に行けるかもしれない。
それなら絶対いい点を取らないと!
そんな下心を持ちながら、俺は夜も勉強を続けた。

22:00。
この時間になると、俺はいつもヘッドフォンをつけてラジオを聴くことにしていた。
毎日やっている番組で、勉強をしながら聴いている。
学校の授業、理奈先生との勉強、自己勉のあとだ。
さすがに集中力がなくなる。
でもラジオを聴きながらだと、気分転換できるんだ。

コーヒー用のミルクのCMが終わると、ラジオ番組のジングルが鳴る。

「さーて、今夜も始まりました! 『ミッドナイト・カフェ』!」

『ミッドナイト・カフェ』には、たまにリクエストメールや懸賞も応募している。
デスクに向かいながら、聴こえるラジオのパーソナリティ。
しかし耳のヘッドフォンは、急に取られた。

「あんた、何聴いてるの! 真面目に勉強しなさい!」

くそっ、母さんかよ……。
うるせえな。

「勉強はしてるって! これは息抜きにもなるんだから、そのぐらいいいだろ?」
「わかってるでしょうね? テストでひどい点数だったら、お小遣いなしよ?」
「あーもう! あっち行ってくれって! 集中できないっての!」

母親を追い出すと、もう一度ヘッドフォンをつける。
すると、ちょうどラジオ番組は懸賞の当選者名を発表していた。

「今回の3万円当選者は……」

ドラムロールが鳴る。
俺のラジオネームは呼ばれるんだろうか。
応募回数はもう覚えていない。
名前を呼ばれたこと0回の俺。
今日こそは……今日こそは!

「当選者発表! 千葉県在住、ラジオネーム『夏なんてクソくらえ』さんです!」
「うぇっ! ま、マジかよっ!」

呼ばれた名前は、間違いなく俺のラジオネームだった。
『夏なんてクソくらえ』なんていう学生は、俺くらいだろう。
3万円の臨時収入。
これなら、テストで赤点取って小遣いがなくても、出かけられる。

「花火大会か……」

先ほど理奈先生と話していたことを思い出す。
もう金の心配はもうない。勇気を出して、彼女を花火大会に誘おう。
俺はほんの小さく拳を握ると、再び勉強に戻った。

そして数日後……。

「うんうん! かなり正解率もアップしてきたじゃない! 
これならテストも高得点を狙えるよ!」

理奈先生は、いつもと変わらない笑顔を俺に向けてくれていた。
……言おう。『一緒に花火大会に行ってください』って。
今日で期間限定の家庭教師も終わりなんだ。

俺は意を決した。

「あ、あの! 理奈先生っ!」
「どうかした? 恵吾くん」
「お、俺と一緒に……行きませんか? 花火大会に」
「え……」

躊躇する理奈先生に、俺はたたみかける。

「ちゃんとエスコートするんで、お願いします! 
俺は夏が大嫌いだ。だから、ひとつでも楽しい夏の思い出を作りたいんです!」

俺が必死にお願いすると、理奈先生はため息をついて苦笑いを浮かべた。

「そんなに女の子にフラれたこと、気にしてたんだ?」
「まぁ……」
「そういうことなら、いいよ。私もいい加減に忘れないとね。あの人のこと……」
「先生……」

勉強を中断して、待ち合わせ時間と場所を決める。

「遅れないでよ?」

にっこりと笑う理奈先生は、本当にかわいい。
年上なのにかわいいだなんて……。
それに今の会話、まるでカップルみたいだ。

先生にOKをもらえた俺は、気分が高揚して……その日は勉強にならなかった。


花火大会当日。
待ち合わせ時間は5時半。
最寄り駅の改札じゃ混むだろうと思った俺は、
駅から少し離れた喫茶店の前で待っていた。
それは多分正解。
もうすでに改札前は人でいっぱいだ。

「お待たせ! 待たせっちゃったかな?」

5時半ちょっと過ぎ。
ようやく先生は現れた。
ちょっと息を切らせている。急いで来てくれたようだ。

「いえ、そんなことありません。それより……浴衣なんですね」

先生は袖を持つと一回転して笑った。

「一年に一度しか着られないからね。せっかくだから着てきちゃった」
「に、似合いますよ! すっごく! 黒地に白い花って……大人っぽくて」
「ま、君よりは大人ですから! お世辞でも嬉しいよ。ありがとう」
「お世辞なんかじゃ……」

お世辞なんかじゃないのに。
本当に先生はきれいだ。
この間はかわいい顔を見せてくれたが、今日の先生は艶やかっていうか。
女の人って着るもので印象が変わるよな。

でも……。

『君よりは大人ですから』

先生、やっぱり子どもな俺は、眼中にないんだろうか。
確かに俺は先生より年下かもしれない。
だけど、あなたが望むなら、いくらでも背伸びしてみせる。
だから……。

「それより、そろそろ行こうか? 遅くなると場所が取れなくなっちゃうから」

ボーッとしていたら、先生が俺に声をかけた。

「そうですね。あ、でもゆっくり歩きましょう。下駄じゃ歩きにくいだろし」
「ありがとう」

今日はちゃんと先生をエスコートする。
そして……嫌いだった夏の思い出を、変えてみせるんだ。


屋台でたこ焼きや焼きそばなどを俺が買いこむと、
河川敷の芝生に座り込んでさっそく食べ始める。

花火開始時間は19:00。
早く来てよかった。俺たちは何とか場所を取ることができたが、
もう周りには人がたくさん。
座る場所なんてないし、身動きもできない。

「花火、楽しみだね!」
「え、ええ」
それ以前に俺はドキドキしていた。好きな人と一緒に花火が観ることができる。
それだけでも幸せだけど……これだけじゃ我慢できないなんて。
彼女にフラれた去年の苦い思い出を塗り替える。
俺は花火の下で、先生に……。
もう俺の胸の内は先生でいっぱいだ。

ドンと花火の上がる大きな音がした。

「わぁ、すごい! 今の見た? 恵吾くん」
「……見てませんでした」
「ええっ? 花火大会に来たのに、花火を見ないなんて、もったいないなぁ~」

くすっと笑う先生の手を取ると、真剣な眼差しを向ける。

「花火よりきれいなものが目の前にあったら、それを見るに決まってるじゃないですか」
「えっ?」
「先生、俺、先生のこと……」

大きな花火がまた上がる。理奈先生は目を伏せた。

「今日、花火大会に誘ってくれたのは、これが目的だったんだ」
「いけませんでしたか? 俺、先生に一目惚れしちゃって……」
「簡単に、一緒に花火大会に行くってOKしちゃダメだったね。うかつだった」

先生は俺のことを弟みたいな存在だと思ってたんだ。
だから平気で花火大会もOKした。
でも、その弟は男だった。
ショックを受けたような顔をする先生。
だけどもう言ってしまった。
逃げることはできない。
俺も……先生も。

「……望みなし、ってことですか?」
「ごめんね。やっぱり今日花火大会に来て、わかった。
まだ私……去年別れた彼のこと、忘れられないんだ」

小さな花火がパラパラと上がる。
俺の心の内みたいだ。

「自爆、か」

夏の恋なんて、花火みたいなもんなんだな。
ドンと上がったら、一瞬で消えちまう……。

「恵吾くんにもいつかわかると思う。この気持ち……。
ただひとことだけ、言わせてくれるかな?」
「何ですか?」

「花火が上がるのは一瞬。でも、一度見た花火は、なかなか忘れられないものだよ。
きっと一生……覚えてるんだと思う。私があの人のことを忘れられないように」

「また、苦い思い出が増えちゃいましたよ。俺は」
「ごめんね……本当に。私、帰るね」

先生が立ち上がる。
俺はその腕を取って引きとめた。

「花火は終わってませんよ?」

付き合うのがダメでも、
花火は……空に大きな華が咲く瞬間を一緒に観てはくれないのだろうか。
その間だけでいいんだ。
俺に、幸せな夏の思い出を……。

先生は俺の手を払って、頭をなでた。

「恵吾くんの気持ちを知ったら、これ以上一緒にいられないよ。
ごめんね……さよなら」

また花火が上がる。今度は連続だ。

俺はもう理奈先生をとめなかった。
先生は家庭教師には来ないし、二度と会えないだろう。でも……。

「今日見た花火……一生忘れないんだろうな」

ひとりで最後まで花火を見終えると、雨が降ってきた。
その雨はだんだんひどくなり、俺をずぶ濡れにした。
また新しくできた苦い思い出とともに、雨は俺の身体を冷やしていく。
俺は涙を誤魔化すために、空を仰いだ――。

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