第1話

文字数 659文字

 沙紀はお茶を入れると、二つの湯飲みをお盆にのせた。ピンクの湯飲みは、向かいの席の中村さんのものだ。丸い顔の絵の下に「おばあちゃん」というつたない文字。孫が幼稚園で絵を描いてプレゼントしてくれたと、話していた。沙紀が湯飲みを机に置くと、中村さんは「ありがとね。ああ、おなか減った」と、手提げカバンから弁当箱を出した。事務所の中は二人だけだ。奥の部屋にいる社長もさっき「昼飯行ってくる」と、出て行った。
 自分の机にも湯飲みを置くと、沙紀も弁当箱を出した。昨日炊いたご飯と、スーパーで買ったおかずの残りをつめてきた。蓋を開け、沙紀はかすかに眉をしかめた。もう一度蓋をして、湯飲みのお茶を飲む。
 手作りらしい筑前煮やご飯を口に入れていた中村さんがけげんな顔で「どうしたの」と、尋ねた。
「ああ、なんか食欲なくて……昨日食べすぎたからかな」
「そうなの? わたしなんていくら食べすぎても、次の日は平気だけどね。食欲ないなんてうらやましいくらい。でも、だいじょうぶ?」
 心配顔の中村さんに沙紀は笑顔を作って見せ「そこの薬局で胃薬買ってきます」と、立ち上がった。
 制服の上にダウンジャケットを羽織っていると、ドアを開けて大谷駿が「こんちは。寒いっすね」と顔を出した。沙紀の顔を見て、うれしそうに笑う。
 大谷駿は、沙紀の勤める小さな製菓会社に出入りする、パッケージ会社の営業だ。24歳の沙紀より二つ上だった。
「遅いじゃないの。午前中って約束だったわよ」
 中村さんの声に「すみません」と頭を下げる駿の横を通り、沙紀はドアを開けて外に出た。
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