第1話 野獣との出会い

文字数 1,988文字

私の人生は何て呪われているのでしょう。何せあの野獣と、結婚しなければならないのですから。

あの夏の日、私の運命が決まったと言っても過言ではありません。まさに運命のイタズラとしか言いようがないのです。

本当はあの日、私は町へ出かけるはずではありませんでした。月に一度、アリソードの町へ買い物へ行くのは妹の役目であり、その日もいつも通り彼女が出かける予定でありました。しかし前の晩から熱を出し、急遽私がかの町へ赴く事になったのです。

普段通いなれている妹ならば、ものの2時間もあれば家族に言いつかった用事を済ませられたでしょう。しかし町に不慣れだった私は、買い物に三時間以上の時を費やしてしまったのでした。

あぁ、もっと早く帰っていれば、あの野獣に出会う事もなかったでしょうに。

私の運の悪さは、それだけではありません。後で聞いた話なのですが、本来ならばあの日、野獣が町にやって来る予定はなかったそうです。普段ひいきにしている商人から使いがあり、新しい馬車の試乗にアリソードの町へやって来たのでした。

もちろん私だってあの野獣の事は存じておりました。しかしまさか出会ってしまうなんて、一体誰が考えつくでしょうか。私にとってあのひどく忌まわしい生き物は、はるか遠くの存在に過ぎなかったのですから。

私が最後の買い物を済ませ、アリソードの町を離れようとした時に悲劇は起こりました。村を通る最終の乗り合い馬車の時刻に遅れそうになった私は、大変あわてておりました。その馬車を逃すともう村へ帰る事はできず、この町の宿へ泊まらなくてはならなかったからです。しかしそんなお金の余裕はありません。

急いでいた事に加え、町に不慣れな事もあって、私は道に迷ってしまいました。まっすぐ馬車の停留所へ向かっていればあの野獣と出くわす事もなかったのです。私は本当に運命の女神を呪います。

小さい路地を横切ろうとした瞬間、あいつを乗せた馬車が猛然と私の方へ進んできたのです。思わず身をかわしましたが、私は地面に突っ伏してしまい、馬車も大きく路地をはずれました。最初は何が起こったのかわかりませんでしたが、すぐにそれが人生最大の悲劇の始まりだと悟りました。

馬車の中から世にも恐ろしいダミ声が聞こえてきたのです。私は一瞬にして事態を把握しました。なぜなら一度、あの野獣の声を聞いた事があるからです。

それは、少し離れた村にある親戚の家を訪ねた時でした。あいつはその村に所有している畑を視察に来たのです。親戚は、私が野獣の目にとまらぬよう、納屋の奥へ私を隠しました。私は納屋の壁の隙間から、ほんの少しではありますが、あいつの恐ろしく醜い姿と声を聞きたのです。生まれてこの方、経験した事のない恐怖を感じ、私は納屋の中で声を潜めて泣きました。

その野獣が今、あの馬車に乗っているのです。

私は、恐怖の余りその場から立ち去る事が出来ませんでした。やがて馬車の扉が開き、中から身の丈2メートルはあるでしょうか、顔は毛むくじゃら、常に獲物を狙う虎のような目をしたおぞましい姿が現れました。

地面に降りた時は本当に地響きが鳴ったように感じます。また破壊的なまでの筋肉は、贅沢な服の上からでもすぐにわかる勇姿を誇っておりました。あの熊のごとき両腕で、今まで何人の人が犠牲になったのでしょうか。

のっそりと私の目の前に歩み寄った野獣は、大丈夫かと尋ねました。私が答えあぐねていると執事のような小男が近寄り、ご主人様にお答えしなさいと責め立てます。

更に私が黙っていると、野獣はその醜い鼻面を私の顔に近づけ小男にこう言いました。余り責めるものではない。きっと馬車に怯えているのだと。しかし私が怯えていたのは馬車ではなく、この野獣にです。でもそんな事、言えるはずがありません。

そして私は非常に恐ろしい事に気がつきました。それは野獣の目です。これは間違いなく私を見初めた眼差しでした。

なにを自惚れているかと仰る方もいるかも知れません。でも、こういう経験は一度や二度ではないのです。自分で言うのも気が引けるのですが、私は村ではもちろん、近隣の村々を含めても、比べる者がないほどの美形でした。いまこの野獣がしているような眼差しを向けられたことも数多く、村長や村の実力者を通じて縁談の話が来た事も一度や二度ではありません。

もちろん野獣がこの噂を聞きつけて私に求婚する可能性もあったので、両親はそれを心配し、私を家の近所以外には余り出さなかったのです。妹が月に一度、町へ買い物に行かされたのもその為です。

あぁ、それなのにそれなのに。妹が熱を出したその日に限って、あいつが町へやって来るなんて……。

野獣に耳打ちされた小男は私に「ご主人様は、お前をいたく気に入られたようだ。ついては詫びも兼ねてお前を家まで送ってやる事にしよう、お前の両親に大事な話もある事だしな」と言いました。
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