間違いなく君だったよ

文字数 2,404文字

 雨が降っている。
 僕は、軒下の少し段があるところに座り込んでいた。軒下といっても少し出っ張りがあるくらいで、服も下着までずぶぬれ状態だ。
 雨に打たれた体は冷え切ってしまって、僕は足を抱えうずくまってしまっていた。

 まるで今の僕の心の中みたいだ、と思う。
 死にたい……お母さんと、お父さんの元に逝きたい。

 


 僕の前に何か暖かい物がある。
 冷たい雨に打たれ寒くて意識がもうろうとしている中、そんな感じがした。
 身体がその温かさにすがろうとしている。
 ゆっくりと僕は顔を上げた。

 一人の女性が立っていた。この辺では見たことのない制服を着て、なぜか目をつぶっている。

 そして不思議なことに、その女性を避けるように雨は女性にあたっていなかった。

 女性……お姉さんが目を開け僕に気付く。
「あなた、びしょ濡れじゃない。どうしてこんなところにいるのっ、風邪を引くわよ」
「お姉さんこそ、なんで濡れてないの?」
 お姉さんは、へ? って感じで自分とその周辺を見てる。
 自分の置かれている状態が、わかってないようだ。
「ここ……は、死後の世界? って、そんな事よりあなたのお家はどこ?」
 お姉さんは、自分の状況より僕の事を優先させる事にしたらしい。
 
「帰るうちなんか無い。僕は施設にやられるんだ」
「施設……?」
「お母さんとお父さんが交通事故で死んでしまって、誰も僕の事いらないって」
 それを聞いたお姉さんは無表情になった。

「横、座っていい?」
「う……うん。でも濡れてるよ」
 構わず、お姉さんは僕の横に座る。僕の方に手を伸ばしてきたが……
「さわれない……か」
 いや……お姉さんの手が僕の頭を通り抜けてて、気持ち悪いんだけど。
 それでも、
「そばにいると暖かいよ」
 僕は感じたままをお姉さんに伝えた。
「そう、良かった。私にも存在価値があって……」
 そう言って、お姉さんはにっこり笑う。

「お姉さんは……死んじゃったの?」
「うん、そうみたいね。
 ビルの屋上から飛び降りて、気が付いたらここにいたから」
「いいな……僕も死んだらお母さんたちのところに逝けるかな」
 お姉さんは、僕を見て言う。
「死んだら駄目だよ。
 飛び降りた瞬間、ものすごく後悔したから……何やってるんだろう、私って。
 でももう戻れないでしょ? 飛んじゃったら」
 今頃、私の身体なんて粉々で内臓とか飛び散っちゃってるよ……とか、ぶつぶつ言い始めた。

 いきなりリアルな話をされて、思わずうなずいてしまう。
 想像したら怖い。

「お……お姉さんは、何で死のうと思ったの?」
 まだ、ぶつぶつ言っているお姉さんに、僕は聞いてみた。
 お姉さんは、一瞬きょとんとして、少し不機嫌な顔になって言った。
「ものすご~く好きだと思っていた人が他の女性とも付き合ってたの。
 しかも向こうが本命。
 こっぴどく振られたのよ、私」
「か……過去形なんだ」
「過去形なんて、よく知ってたね。
 よくよく考えたら、なんであんなのに執着してたんだろうって思ってね」
「死んだ後に?」
「死んだ後に」
 僕とお姉さんは、顔を見合わせて笑った。

「ちなみに、いつどこで死んだの? 僕、お墓参りするよ。
 遠くだったら、大きくなってからしか行けないけど……」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん。それだけで成仏できそうな気がするよ。
 あのねぇ。私が死んだ場所は……」

 お姉さんが言った日時、場所は僕の生きる理由になった。



 僕が飛び出した後、大人たちの間で話し合いがあったみたいで、僕は親戚の家で育てられることになった。
 時が流れると、街の様子も随分変わってくる。
 当時、お姉さんが飛び降りたというビルはまだ建っていなかった。
 そのビルの建設が始まり、僕が大学を出る頃にお姉さんが着てた制服を着て歩いている女子高生を見かけるようになっていた。
 
 もうすぐ……もうすぐ、あの時のお姉さんに会える。
 高梨結衣さん。墓参りに行くと言って教えてもらった名前だ。


 僕がビルの屋上で隠れて待っていると、暗い顔をした女の子が上がってきた。
 目には涙が溜まっている。
 彼女は屋上の端まで行って、飛び降りようとした。

 僕はとっさに彼女の手を掴み、思いっきりこちら側に引き寄せた。
「待って、死なないで。高梨さん」
 彼女は、驚いたように目を見開いて、そして気を失ってしまった。



 
 僕は病院通いをしている。
 高梨結衣さんがいる病室に……。
 彼女は家に遺書を書いて置いて来ていて、家族から捜索願も出ていた。
 死ななかったとはいえ、しばらくの間、意識が戻らなかった。
 検査入院という名目で、精神科もある総合病院に入院することになった。

「じゃあ。雨に打たれてた小学生って事? 三谷さんが?」
「そう、高梨さんにとっては数日前の事でも、僕にとっては10数年前の事なんだよ。それでも最初は投身自殺が無かったかとか、探したんだ。
 身内のふりをしたりしてね。自殺はニュースにならない事も多いから」

 そう、10数年前、僕の前に現れたのは、死んでしまった高梨結衣では無かった。僕に助けられたのに気づかず、自分では飛んでしまったと思い込んだ高梨結衣が現れていたのだ。

「なんだか、信じられないのだけど……」
 ぶつぶつとまた何か言っている。
「信じられなくても、僕が今ここにいるのは君のおかげだ」
 僕は、にっこり笑って高梨さんに言う。
「あの時の僕を救ってくれたのは、間違いなく君だったよ」

 その言葉を聞いて、高梨さんは
「そう、良かった。私にも存在価値があって……」
 と嬉しそうに笑うのだった。
 

                         おしまい



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