第1話 意地のお蔵入り

文字数 2,019文字

 搬送用トラックの中から撮影に使った衣裳や小道具を始め脚本から編集前のフィルムに到る迄、担ぎ手の搬送スタッフにより次々と蔵の中へ運び込まれて行く様子を、俺は今、唯、呆然と眺めている。
 お蔵入りと言う言葉があるが今回の映画に関わった総ての物が、文字通り今東京郊外のこのクライアント邸宅の蔵へ続々と収まって行く。
 それこそ彼の予測通りに。
 果たせるかな自社を始め日本の主だった映画配給会社と韓国の主だった映画配給会社から興行は出来ないとの通告を受け、今回のこの俺のプロデュースした映画のお蔵入りが決定した。
「掛け合うことは自由だが私の依頼した映画は、どんなに頑張っても今の日本や韓国では上映される機会など得られないだろう。
 そうなるのは分かっている。
 だから完成後にはそれ等の焼き増しを息子や娘に渡してくれ。
 そして然るべき時が来る迄は、完成した映画のフィルムは勿論撮影に使った総ての物を蔵の中に入れて保管しておくように」、と。
 それがこの映画撮影の条件の2つのうちの1つであった。
 もう1つの条件は、「戦前の史実を基に日韓双方の国民が感動を共有出来る作品を撮って欲しい」、と、それだけであった。
 斜陽産業と言われて久しい映画会社のプロデューサーだった俺は、このコロナ禍がなくとも今頃自主退職か解雇を迫られていた筈だ。
 僅かばかりの退職金を元手にバーでも始めるしかなかった俺の首は、そのクライアントによって2年前に繋がったのである。
 2年前の春大手パチンコチェーンの創業者にして会長の金氏が余命一年の診断を受け、彼はこの映画の完成を担保すべく遺言の中に或る条件を盛り込んで撮影を開始させた。
「この映画の完成を果たす迄の間総ての相続人は、如何なる理由に於いても撮影の中止を指示できない。
 もし撮影の中止を指示した者は相続権を放棄したものと見做す」
 その遺言に従って映画を撮れ、と、言う命が制作依頼を受けたうちの会社から俺に下った。
 金会長は完成後の興行収入への条件などは一切付さずに、お蔵入り前提の映画に20億円もの大金を注ぎ込んでくれた。
 肝臓癌に侵されながらも参加した生前の金会長と何度も会議を重ねた結果、ハルビン駅で伊藤博文を暗殺したとされる安重根(アンジュングン)を題材に映画を撮ることが決定した。
 タイトル名は、「安重根の涙」。
 内容は韓国の英雄となった安重根の放った銃弾が実は外れており、未だロマノフ王朝の支配下にあったロシアの特務機関狙撃手の放った銃弾こそが伊藤の致命傷になった、と、言う説に基いたものであり、旧日本政府が当時ロシアとの外交交渉を有利にする為安重根を暗殺実行の単独犯に仕立て上げ、彼を利用したことを現日本政府が認め声明を発表の後韓国政府に謝罪。
 エンディングは両政府の閣僚が涙を流して抱き合うシーンで幕を閉じると言うものだ。
 先ず最初にこの映画を韓国の主だった映画配給会社に打診した処、全社の総意として代理人から強い遺憾の意を伝えられた。
「我々の英雄に対し事実確認の取れない歴史的事象を以て創作された映画など、到底容認出来るものではない」、と。
 次にこの映画を自社始め日本の主だった映画配給会社に打診した処、自社の担当役員を通じて外務・文科両省の見解が伝えられた。
「事実確認の取れない歴史的事象を基に撮られた映画に対しては賛同出来ないし、その点に於いて韓国関係筋と完全なる意見の一致を見た。
 またこの映画に於いて伊藤博文の致命傷になった銃弾がロシア特務機関の銃弾であったと言う点に於いては、日本政府が意見を述べる立場にはない。
 仮に表現の自由を主張され上映に到っても、仮想史実を基にした本件映画に日本政府は進んで賛同しないだろう」、と。
 つまり日韓両政府に於いては史実の検証を後廻しにしても、互いに都合の良い歴史認識で互いに都合良く意見の一致を見た訳である。
 そんなことで意見の一致を見るとは、何とも日韓関係とは皮肉なものだ。
 そう言えば金会長が生前撮影に入る前に言っていた言葉を思い出した。
「結局我々在日は韓国人でも、朝鮮人でも、日本人でもない。
 在日は在日でしかないんだ。
 しかし在日にも意地は有る。
 在日韓国人としてのな。
 だから死んでも意地は通す。
 たとえそれが有り得ないことだとしてもだ」
 そのとき俺は金会長に訊いた。
「意地ってどう言う?」、と。
 そう訊いた後に言い放った金会長の言葉。
 その言葉を聴いて初めて、俺は彼のこの映画に懸ける思いを知ったのだ。
 と、ここで、或る大切なことを忘れていたのを思い出した。
 エンドロールの最後に入れなければならないテロップのことを。
 俺は直ぐに編集ディレクターに電話をした。
(完パケの納品だけは後日にしよう。
 あぁ、今からで悪いがエンドロールの最後に、金会長の言葉を追加してくれるか。
 『日韓両国の眞の和解の為に捧ぐ』、と)
 
                 (了)
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