なれのはて

文字数 1,509文字

 ちかごろ妙にトイレが近くて夜中に目が覚めるのだが、布団を抜け出してトイレに行こうと廊下に出ると、ワンルームの細い廊下に長い黒髪の女のおばけが立っていてびっくりする。あわててドアを閉める。
 開かないように背中で全体重をドアにかけて、いま見たものがなんだったのかを考えるけれど、なにをどう考えたところでおばけだ。長い黒髪を前に垂らした白い服を着た女で、だいたい貞子。でも俺よりも全然背が高い。2メートルくらいあるかもしれない。
 ガタガタ震えながら必死で扉を押さえているけれど、別におばけが廊下のほうからドアを開けようとしてくる気配はない。というか、なんの気配もない。いつまで経ってもなにも起こらないので、必死でドアを押さえてガタガタ震えているのが、なんだかアホらしくなってくる。
 時間が経って冷静になってくると、あれ? ひょっとして見間違いか? まあ寝ぼけてたしな。夢の残りが現実にちょっと混じってきたのかもしれないなと思う。そりゃそうだ。2メートルごえの貞子のおばけなんて現実に存在するわけがないのだから、普通に考えて寝ぼけてたに決まっている。ドアを開ける。
 やっぱりいる。
 またあわててドアを閉める。2メートルごえの貞子はただ廊下に静かに立っているだけで、さっきから1ミリたりとも動いていないけど、やっぱりいる。見間違いじゃない。
 俺はトイレを諦めてベッドにもどり、頭から布団を被ってガタガタと震えている。頭から布団を被ってガタガタと震えていたはずがいつの間にか眠っていたようで、ハッと目を覚ますと朝になっている。
 あれ? やっぱり夢かな? と思うけど、次の日も夜中にトイレに起きて、ドアを開けると2メートルごえの貞子が立っている。俺はまた慌ててドアを閉める。
 貞子はただ立っているだけで、完全に昨日と同じポーズで1ミリたりとも動いていない。どうやら動きはしないらしい。けれど、夜中にトイレに起きると毎回同じ場所に立っている。出るのは夜中にトイレに目を覚ましたときだけで別のパターンでは出現しないし、出現したとしても動かないから実害はない。ただいるだけだ。
 だんだん俺も慣れてきて、うわまたいるよ、と思うだけでそんなに驚かない。動かないのは分かっているので、ドア慌てず落ち着いて閉める。というか、俺はトイレに行きたくて起きたわけで、ただ貞子の横を通らないとトイレには行けないから我慢しているだけで、膀胱は破裂寸前なのだ。
 そのうち、貞子のためにトイレを我慢するのもアホらしくなってきて、俺は貞子の横をスッと横を通り抜けてトイレに行くようになる。間近で見ても、貞子はおばけって感じじゃなくて、普通にそこに物質として存在しているように見える。透けてたりはしない。
 人間、なんにだって慣れてしまう。俺は夜中にトイレに起きて貞子がいても驚かない。横を通り抜けてトイレに行く。気にしなければ不便はない。
 貞子がいるのにもすっかり慣れて、夜中に目を覚ましフラフラとした足取りで貞子の横を通り抜けようとしたときに、寝ぼけていたせいで、うっかりドンッと貞子にぶつかってしまう。俺は反射的に「あ、すいません」と言って、貞子の顔のほうを見上げる。間近で見上げるかたちになったせいで、長い黒髪に隠れていた貞子の目が見える。
 目が、あう。
 ああ、やっぱりこいつは悪いおばけなんじゃないかと俺はやっと気づいているが、今さらそんなことに気づいても、もう遅い。俺の身体からは急速に熱が失われていき、立っていられなくて、床に崩れ落ちる。
 おばけがいることなんかに慣れてしまうべきではなかったのだ。
 寒い。すごく寒い。
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