【完結】誰も殺されない殺人事件

文字数 9,140文字

「だから、俺は戻りたいんだって」
「僕はいやだよ。せっかく合格したんだから」
「私は、どっちでもいいかな。ちょっとまって、やっぱり戻りたくない」
 4月7日の日曜日。朝食を済ませ、朝の8時からもう2時間たった。ちょうど10時だ。大田原家は家族会議で相当もめている。もめている原因は、過去にタイムリープできるこの置時計についてだ。話は昨日、4月6日の土曜日にさかのぼる。

 大田原純一は昭和四十九年生まれの団塊の世代ジュニア世代という世代が二つもついてしまうよくわからない世代だ。青春のすべてが部活と少年誌で作られている。記憶に残っている歌や音楽は、地元ローカルのCMソングとアニメのオープニング曲、八十年代のアイドルの曲。頭の中がアップデートされないまま、受験戦争を、就職氷河期を、昇進レースを、と人生は競争の連続だった。中小の広告代理店クリエイティブ局部長になったのは四年前のことだった。競争に勝ったというよりも、同僚たちが転職でステップアップしていくなか、そのまま会社に残った。会社も消去法的に、部長職を純一に与えたようなものだった。息つく暇もなく、駆け抜けて、もうすぐ五十歳を迎える。

 だが、先週常務に呼び出され、リストラ候補にあがっていることを知らされた。常務の吉川は同期入社だ。リストラされる前に行われる早期退職に手を挙げて、少しでも退職金を多く手に入れろと、同期としての“親心”で忠告してもらったばかりだ。

 息子の大田原洋一。地元の高校ではトップクラスの成績だったが、所詮は地元の高校。全国レベルでは中の下だった彼は、三浪の末有名私立大学の経済学部に合格。長かった浪人生活が終わった。来月には二十一歳になる。

 大田原佳代は、純一の取引先で勤めていたグラフィックデザイナーだ。年齢は純一よりひとつ年下。当時は性別による偏見もあったが、彼女がつくる制作物は純一の会社の先にいる本当のクライアントをいつも納得させ、満足させていた。
 純一の会社を飛ばしてさまざなクライアントから直接ご指名で依頼が来るほどだった。息子の洋一を出産してからは、自分で事務所を構え個人事業主として独立した。

 そんな彼らのもとに、宅配便が届いた。小さな段ボール箱だ。送り主は不明。誰も通販で買い物をした形跡はなかった。
「開けてみればいいじゃん」
 洋一はベリベリと雑に開けた。中には小さな置時計が入っていた。横長のデジタルタイプだった。よくアメリカの映画で見るようなものだ。
「ば、爆弾?」
 佳代は置時計を手に取りながら、口を突いてでた言葉と異なって落ち着いた様子だった。置時計の入った箱には四つ折りに畳まれた説明書が同梱されていた。純一は説明書を開いて読んだ。

「これは、タイムリープクロックである。時間を逆回転させることにより、過去へと戻ることができる。ただし、未来へは行けない。戻った過去には記憶ごと連れていける。希望の西暦・月・日・時を選び、上部のボタンを押し込んで使う。【注意】未…の…時…ん、かすれてて読めない」
「そんなバカなことがあるかっての。ほら、電源入った。あれ、これ西暦も月と日も表示されるんだな。よくわかんないけど、昨日の
同じ時間にしてやる」
「洋一、やめなさい」
「そんな、タイプリープなんて起こるわけないだろ。母さん、今の科学じゃぁ未来にも過去にも行けっこないんだって」
洋一は置時計の日だけを昨日の4月5日に変えた。上のボタンを押した。
「ほら、何もおこらないじゃん」
洋一が得意げに佳代に言った。洋一はスマホを取出し、音楽を聴こうとした。ロック画面の時間はボタンを押した夕方4時29分から2分過ぎて、31分になっていた。

ただ、日付けは4月6日(土)のはずが、4月5日(金)と表示されていた。
「え、父さん。これ」
純一は洋一のスマホを見る。自分のスマホも見た。
「佳代、お前のスマホも貸してくれ」
「いやよ」
「なんで、スマホのロック画面の日時を見たいんだよ」
佳代は自分で手に持ったまま、スマホを純一に見せた。4月5日(金)だ。時間は4時34分になっていた。
「どういうことなんだよ。テレビ、テレビつければわかるよ」
テレビはニュースが流れていた。4月5日・金曜日のニュースです。とアナウンサーの原稿を読む声が聞こえた。
「これは。すっごくシンプルに時間が戻る機会なのか」
 純一は置時計を手にしながら言った。
 佳代が驚いた。
「このニュース知ってる、ほらおじいさんが子どもを車で轢いちゃうやつ。偶然だれもケガしなかったけど。ほら、それからこのあと」
「そうだ、このあと地震が起きる!」
 純一は身構えた。昨日、ややこしい4月5日・金曜日の夕方5時前に、震度3の地震が起きるんだ。そして、夕方4時55分ちょうどに地震が起きた。
「記憶をそのまま、持って過去に戻れてる」
「私も地震のこと覚えてた」
「お、おれも。覚えてた」
大田原家が騒然とした。

 そして翌朝、4月6日・土曜日何事もなかったように一日を過ごした。家族のだれもが、この不思議な現象を理解するのに時間が必要だった。

 4月7日・日曜日の午前10時、冒頭の家族会議につながっていく。

【大田原純一の主張】
「だから、俺は戻りたいんだって」
純一は四年前に戻りたがっている。クリエイティブ局部長に昇進する前だ。そのころは課長代理だった。課長から部長への昇進ならわかるが、いきなり課長代理から部長というのは解せない話だった。上のポジションの二名、課長の田中、部長の嶋浦が二人ともライバル会社に引き抜かれたのだ。会社の業績も緩やかに右肩下がりとなってた今、優秀な管理職ほどエージェントに登録して、手近な同じ業界へと転職していく。二人ともライバル会社からご指名でエージェントに声がかかり、体裁としてはエージェント登録してから、ライバル会社に転職した形になっている。
 直接ライバル会社の人事部が引き抜いたとなれば業界的に後ろ指さされることもあるからだ。職業選択の自由の考えから言うと、誰がどこでどう働こうと、知ったこっちゃない。後ろ指刺されるなら、中指立ててやるぐらいだ。純一はひとり取り残されているような状況で課長代理から、部長に昇進した。飛び昇進なんて言葉があるのか、ごぼう抜き昇進なんてまわりから言われたが、抜き去った相手はそもそも会社にいない。転職したのだから。
 部長になると給料もあがる、だが、結果についてもシビアだ。四年間部長職について、予算計画を達成したのは最初の一年目だけ。あとは、すべて未達。そうなると、リストラ候補にもしやすくなるってものだ。
 俺は、嵌められたんだ。去年あたりから純一の酒量が増えてきた。どうせなら部長になる前に戻って、部長昇進の打診を断り、平々凡々と課長代理のまま、いや、平社員でもいい、誰からも注目されないままこっそり、ひっそり定年まで会社に残りたい、そう考えていた。

【大田原洋一の主張】
「僕はいやだよ。せっかく合格したんだから」
 大田原洋一は三年の浪人期間を経て地元の有名私立大学に合格した。本当は法学部に進んで、弁護士への道をと子供の頃から思っていたが、私立大学の法学部に二浪もしているようじゃ、難関資格の司法試験なんて合格できっこないと悟った。三浪目で法学部は諦め、同じ大学の経済学部を受験。まもなく入学式と言ったところで、このタイムリープ問題に遭遇している。
 父がなぜ、過去に戻りたいかはなんとなくわかる。戻って人生をチート的にやり直したいとでも思っているんだろう。最強無双状態で、サラリーマン生活完全クリアみたいな妄想でも抱いているのか。
 僕が今の頭脳のまま四年前に戻っても、現役で大学に合格するとは思えない。過去にもどったからといって、同じかそれ以上の成果が出せるとは言えない。少なくとも俺は。とにかく、あの地獄みたいな覚えても覚えても忘れる英単語に古語に世界史に、何から何まで、あの時間に戻ることはこりごりだ。

【大田原佳代の主張】
「私は、どっちでもいいかな。ちょっとまって、やっぱり戻りたくない」
 佳代は仕事は順調だ。最近は首のシワのたるみを気にしている。エステに通う回数が増え、日々の美容クリームも2ランクほどアップしたものを使っている。過去に戻るということは若返ることではないとわかっている。同じように時間は進むし、過ごした同じ時間を再び繰り返すだけだ。仕事でせっかく好評いただいた大型のプロジェクトももう一度やり直すとなったら、うんざりする。このあたりは息子の洋一と同じような考えだろう。彼もできるとわかっていても、もう一度受験をし直すとなれば、うんざりだ。同じ結果が保証されているとは限らないから。
 でも、それよりも、仕事が理由で過去に戻ることを拒否しているわけじゃない。伸二朗のことだ。四年前に仕事で知り合ったコピーライターの米倉伸二朗。同じフリーランスで、キャリアも似ている。仕事でコンビを組むようになり、自然と意気投合。

 あとは、大人の流れというか、お互いに家庭はあるものの、好意の先にあるものを抑えきれなかった。自然と男女の関係になり、三年半。洋一の二浪が決まったときから、夫が仕事で悩み始めるようになったときから、伸二朗と付き合い始めた。

 ダラダラと付き合い、彼の奥さんに不倫関係がバレそうになったのを機に、別れることにした。慰謝料の相場は500万と聞いた。
 今の自分に払えない額ではない。だけど、彼との付き合いにそこまでの価値を感じられなかった。それよりも、もっと若い男に自分の美しさを経済力を、使いたかった。過去に戻って、伸二朗ではない若い男を探せばいい。今より私は若いってことだから、今より可能性はあるかもしれない。

 迷っていたのは、そう若い男ともう知り合っていたからだ。自分より一回り近く年下のウェブデザイナー。紙媒体ばかりを経験してきた佳代にとって、ウェブは未知の領域。ウェブデザインのスクールに通い始めた頃に知り合い、お互い惹かれ始めている。だから伸二朗との別れも即決できたのだった。そう、佳代は不倫がやめられない女になっていた。

 置時計が11時ちょうどを知らせた。0分のタイミングでピピっと音がなる。
「もうやめない、今日のところは。この辺でいいんじゃない」
「僕は断固拒否だから」
「みんなよく考えろよ、この記憶のまま過去に戻れるんだ。やり直せるんだよ」
 純一は堂々巡りの話をしている。誰も賛同していない。
「佳代、お前、昨日スマホを俺に渡そうとするの、すごく嫌がったよな。アレは……」
「あ、あれは、仕事の機密メールがきちゃうからよ。あなたのライバル会社からだって、仕事もらってるのよ私。守秘義務ってやつよ」
「ねぇ、お昼にしようよ。僕おなか減ったよ」
洋一が立ち上がり、キッチンに向かった。
「焼きそばなら、僕作れるからさ」
「ありがと、洋一」

 佳代はスマホに来たラインの返事をしながら答えた。純一は食器棚のガラス扉に移りこんだ佳代のスマホを見入った。
〈い…ち…から・…、す前9家に〉
(鏡文字だ、反対だから読めない。家って。ん、写真はウチじゃないか!)
“ピンポーン”場違いみたいに、ボクシングのインターバルを告げるゴングのようにインターホンが鳴った。だがそれは、ラウンド終了のゴングというよりも、ラウンド開始のゴングのようなものだった。

 不用意に洋一が玄関へと向かう。隣近所と密接している一軒家だが、玄関前まで来られると外からは誰が来たかなんてわからないものだ。不審者の侵入をいかに阻止するか、外壁を高くしすぎると外から見えにくくなる。ご近所さんにも様子がおかしいなんてわかりにくくなる。だから、わが家の外壁は低めで外からリビングの窓が見やすい。のぞき見防止のために、レースカーテンは遮像タイプのもので室内灯をつけても外から見えにくい。

 洋一が廊下を走る。ピーマンを切るための包丁を持ったままだった。玄関ドアを開けた。普段はモニター画面を見てから、ドアを開けるのだが。

 洋一の悲鳴が聞こえた。廊下から土足のような足音が聞こえてくる。そのままその足音の主はリビングに入ってきた。

 血だらけのその男は右手に鎌、左手にスタンガンを持っていた。
「伸二朗!」
 その一言で純一は確信した。こいつは、佳代の不倫相手だ。米倉伸二朗は無言のまま、佳代に向かって歩みを進め、そのまま鎌を首に突き刺し、力強く引っこ抜いた。血しぶきが噴き出るとともに、佳代は前のめりに、ストローの飲み口のように首が折れ曲がった。
「ダンナさん、彼女、自業自得ですよね」

 米倉伸二朗はそう言うと、純一までの距離を一気に詰め、スタンガンを当て同じように太腿に鎌を突き刺した。
純一に刺さったまま、米倉は大田原家のリビングに火を放ち、逃走した。
 米倉が逃げる際に、純一がテーブルにあった置時計を右手に掴み、朦朧とする意識の中、タイムリープを試みていた。西暦・月・日までは変えられなかった。今は12時15分だ。時間だけをダイアルを回しながら変えていた。12時5分に。そして、置時計のボタンを押し込んだ。事件が起こる10分ほど前だ。

 時間が戻る。特にドラマティックな光や音が流れるわけではない。ただ、時間が戻るだけなのだ。
 洋一は出血はしていないものの、シャツは血まみれで玄関で目覚めた。佳代も首回りがベタベタして、ブラウスが血まみれだった。純一はズボンが血まみれだったが、ケガはなかった。

「洋一ィイイイッ、玄関開けるな。カギ閉めろ!」
「佳代ぉおおおお、ラインの返事、いま米倉伸二朗の家の前にいるって送れ!」

 純一は置時計の説明者を手に取っていた。注意書きの箇所が気になっていたのだ。気になったら、それをせずにはいられない。純一は目を凝らして注意書きの箇所をよく見た。注意書きに汗が滴る。文字が滲んだとおもったら、ゆっくりと浮き出てきた。悪趣味な仕掛けだが、いろいろ考えている暇もない。

【注意:未来の時間を設定…した場合…ボタンを押したものは、未来にタイムリープする。ただし、時間はゆっくりとスローに】

「気になってたんだ、未来に行けないのかってな。これは未来に行くには不十分な装置ってことはなんとなくわかった」
 風呂場の窓が割れる音がする。人が一人通れるかどうかの小さな窓だ。カンカラと甲高い手桶が落ちる音がする。クソ、米倉が侵入してきたのか。
「ねぇ、アイツも記憶をもったままタイムリープしたってことだよね」
 珍しく佳代の考えが的を得ていた。風呂場のドアが開く音がした。米倉が純一と佳代のいるリビングに向かって、ねっとりとゆっくりとした、濡れた靴で歩くのが伝わってきた。
「あなた、時間戻して!早く」
「いやいくら戻しても、同じことが起きる」
「四年前に戻って、私が米倉と付き合わなければ、いいだけよ」
「そうでなくても、別の人間が同じような事件を起こす。佳代、過去は変えられないんだ。お前は記憶を連れて過去に戻っても、必ず浮気する」
 佳代はぐうの音も出ないようだった。すっかり意気消沈している。
 洋一は玄関を守っている。廊下側から米倉が襲ってくれば、玄関を開けて逃げればいいと判断するだろう。
 ぬっちょぬっちょと、歩く音が止まり、リビングの扉が開いた。洋一とは鉢合わせしていないようだ。
「伸二朗さん、落ち着いて。ねぇ」
 佳代が米倉をなだめる。そこには元不倫相手への甘い声ではなかった。与えてはいけない武器を持った、銃を持った子どもをなだめるような、そんな声だった。

「オレはオマエをユルサナイ」

 米倉は理性をどこかに置いてきていた。タイムリープしたこと自体は理解できていないようだが、俺たちを五分前に皆殺しにした記憶が頭の中で、現実と夢・妄想の中で混沌としはじめているだろう。米倉にとどめを刺すなら、今しかない。タイムリープの存在を知る前に。
「あなた、ごめんなさい。お願い、時間を戻して。せめて、今から逃げましょう」
 俺は近くにあった飲みかけのコーヒーをゆっくりと飲み干した。そして、大声で
「どうして、俺たちが追われている獲物のように、怯えないといけないんだ」
 米倉が右手に鎌と左手にスタンガンを構えている。
「あなた!」
「父さん!」
「試してみたいことがあるんだよ」
純一は置時計のダイアルをクルっと回した。西暦を2024から2044に変えた。二十年先に。そして、ボタン側を米倉に向けて思いっきり投げつけた。置時計はそのまま米倉の額に当たった。ボタンがカシャっと音を立てた。未来へのタイムリープが始まった、米倉だけスローになった。米倉の動きがスローになったということは、米倉側から見ると、純一たちが超高速で動いているということでもあった。

「これって……」
 洋一はほぼ止まって見える米倉から距離を取りながら純一に聞いた。
「未来へ行く、今の状態をキープして行くには、とてつもなくゆっくりと心拍を打ち、歳を取らずに行くってことだ。二十年だから、一年に数回心臓が動く。そんなことじゃないか」
 純一は置時計を眺めながら言った。思いっきりぶん投げたわりに、傷ひとつついていない。そして、佳代は膝から崩れて、泣き叫んでいた。一体なんの涙なんだろうかと、純一は佳代を蔑むような目で見た。洋一はことの顛末を理解していたが、そんなことよりも翌日の大学入学式のことを考えていた。佳代が一緒に入学式に来たいと言っていたが、本当に来るのだろうかということを。

 翌日の4月8日・月曜日、洋一は佳代と一緒に大学の入学式へと行った。純一は昨日から米倉をどうするか考えていた。このまま殺してしまうのは簡単だ。抵抗はされない。ゆっくりとした意識のなかで、殺されるというのはどういう感覚なのか。想像もつかない。
 だが、殺してしまっては、俺は殺人犯になってしまう。そんなのは俺の望む未来じゃぁない。佳代にもこの不倫は償わさせないとと、憎しみが次第に大きくふくらんでいった。

 4月8日・月曜日夕方5時13分、佳代と洋一が大学の入学式から帰ってきた。純一と米倉の姿がなかった。佳代は純一を探した。
「あなた、どこにいるの?」
「寝室だよ、お前も来なさい」

 二階の夫婦の寝室から純一の声がした。
 寝室には去年佳代が買ったマッサージチェアがある。そこに手と足を縛られた状態の米倉が座っている。おそらく、米倉には高速で移動しているぐらいにしか感じられないのだろう。脈を打つタイミングに遭遇できないが、体温が下がっていない。だから、死んではいないだろう。
「あなた、これはどういうこと。米倉さんを警察に突き出さないの」
「そんなことしたら、この置時計の存在が世の中にでてしまうじゃないか。米倉はこれでも生きてるんだ。こんな不思議な現象、いったいどう説明するんだ」

「だったら、これはどうするのよ」
 佳代は米倉を指さしながら言った。
「米倉はこのままこの椅子に座らせておく」
「寝室に、このまま」
「そうさ、そしてお前は老いていく自分を米倉に見せ続けるんだ」
 佳代は純一の復讐心の深さに心底恐れを抱いた。
「そして、二十年経ったら、また今日に時間を戻そう。佳代、お前は同じ時間を、俺と一緒に苦しむんだ」
「そんな……」
 純一の決心は固かった。佳代は家から逃げ出したこともあったが、そのたびに貸金庫に預けられた置時計で時間を戻されてしまう。何度も4月8日のこの時間に戻される。

 記憶を持って過去に戻れる、一体何度4月8日に戻されただろうか。そう考えるたびに、佳代は純一に逆らうことを諦めた。年老いていくなかで、米倉の無様な姿を見て、米倉に自分の老いる姿を見せて、生きていくのだった。
 洋一は大学に入ってすぐに、家を出た。純一の勧めだった。米倉が“家にいること”は洋一もわかっていた。父の復讐心が母を追い詰めていることもよくわかっていた。だから一人暮らしをしてはどうかという父の打診は、むしろありがたかった。不気味な家から早く出たかった。

 一人暮らしをしてからは何度か4月8日に戻っていることを感じていた。大学生活を何度も繰り返せることはさほどストレスでもなかったし、次第に要領を掴んで、就活に恋愛に有利になるような準備ができるようにもなっていった。その後の人生もくり返しやり直せることにもストレスはなかった。
 二十年が経ちそうになると、純一は時間を戻した。今度もまた時間を戻す。四回目だった。大田原家と米倉伸二朗だけが、記憶を持って過去に戻っているのだった。おそらく、この置時計でタイムリープしたことのある人間だけが、記憶を持って過去に戻れるということなのだろう。

 純一は四回目のタイムリープ前に、これまで考えないようにしていたことを、考えるようになっていた。
(この置時計、誰が贈ってきたんだ)
と。だが考えてもわからなかった。わかったとしても、意味はないだろうと思った。
 純一は考えるのをやめて、四回目のタイムリープを実行した。4月8日・月曜日・午後6時ちょうどだった。時間が戻ると、置時計からちょうど6時0分のタイミングでアラームがピピッと鳴った。

「また、時間が戻ったみたいね」
お茶を淹れながら、尚子が独り言をつぶやいた。若返るのは、気分の悪いものではない。記憶もそのままだ。やはり、大田原に置時計を贈ってよかった。きっと思い描いた使い方をしてくれているだろう。
 生かさず殺さず、夫は大田原家で捕らえられているはずだ。何度も繰り返される復讐のタイムリープに、尚子は心から満足していた。
電話が鳴る。夫のクライアントからだ。わかっている。何度も携帯に電話しているがつながらない、という話だ。明日プレゼンなのに企画書とデザインが送られて来ないってこと。
 私は夫のパソコンを起動させ、データをメールで送った。流石に四度目なので慣れた。このタイムリープは何度続いても、本当に気持ちいい。尚子は近くの警察署に行き、四度目の夫の失踪届を出した。何度出しても、警察が捜査しないことを知っていた。

今度はどんな二十年にしようか、そう考えるだけでワクワクしていた。七年後には夫は死亡認定される。保険金は慰謝料のようなものだ。家のローンは夫が亡くなれば免除される。誰も米倉伸二朗を殺していない、米倉伸二朗も誰にも殺されていない。そんな殺人事件がまた繰り返される。

米倉尚子と大田原純一、二人が二十年ぶりに待ちわびていた日、2024年4月8日・月曜日に戻る。そして、置時計は再びゆっくりと時を刻む。
(おわり)
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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