第1話

文字数 3,956文字

 深夜の首都高、車を180キロで飛ばし思い切りサイドブレーキを引いて死にたい。冬のオホーツク海、真夜中に飛び込み流氷なんかをぶん殴りそのまま凍死したい。全く知らない大男なんかにいきなりハンマーを振りかざされ意味のわからぬまま、死にたい。機関銃で心臓を撃ち抜かれ死にたい。東京タワーなんかから笑っちゃうくらい綺麗な夜景めがけ飛び降り死にたい。明石大橋を崩落させたい。すべての屋形船なんかを炎で包みたい。都庁を爆破したい。何なら月を破壊したい。この世に人間など必要か。物事は永遠ではないから美しいのか。愛とは何だ。
 そんなことばかり考えていた。夜は、眠れていなかった。目の下にあるひどいクマにはいつも悩まされていた。

 4月12日。午前3時08分。時計の秒針を目で追い、深呼吸をして天井を見つめる。いつからだ、いつから私はこんな人間になってしまったのだろう。『何のために生れて~何をして喜ぶ、わからないまま終わる、そんなのは嫌だ~。』そんな愉快なメロディが頭をよぎる。あの愛されるべき正義のヒーローは、本当は愛されることでさえ憎んでいたら少しくらいこの世の中を許すことができる。そんな気がする。天井が揺れ始める。口の中が少ししょっぱい。クソッ、クソって舌打ちをした。もう何がクソなのかもわからない。きっと何もクソなんかじゃないのだろう。だけど、だから、れっきとしたクソなのだ。そのまま頭まで布団をかぶった。
 
ふと気づいたらベランダの鉄格子に規則的に水の当たる音がした。ああ、雨が降っているのだろう。確かに昨日の天気予報ではしばらく雨が降る。そんなことを言っていた気がする。雨の日が好きだ。地球が生き生きとしている気がする。いつも傲慢であるような太陽が静かであるからだろうか。人間がみんな不機嫌になり、そんな醜さを地球が暴露してくれるからだろうか。そんな雨の日が私にとってはとても生きやすい。不意に時計に目をやると、その針はもう朝の8時を回っていた。やばい、遅刻する。急いで身支度をし、学校に向かった。
学校にいる私はできるだけ目立たないように一日を過ごした。ほとんど誰とも口は交わさなかった。そうこうしているうちにあっという間に放課後になっていた。
 雨の降る教室の放課後。時刻は18時26分。下校時刻からすでに2時間が経っていた。本を片手にこの教室に残っている生徒は私と雪中ハナ(ユキナカハナ)2人だけだった。私たちは特に仲が良いというわけではない。2人の共通点は、放課後の教室でよく本を読んでいる。それだけだった。
 『何読んでるの?』そう問いかける。
『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないだよ。黒髪さんは?』
『旅の終わりの音楽。』
ハナは私を黒髪さんと呼ぶ。
『ふーん。』そこで会話は終わる。
私たちはお互いをあまり詮索しない。どんな本なの?その本面白いの?聴きたいことはやまほどあったがそれらの問いは圧倒的に正しくない気がした。それになんとなくどんな本を読んでいるのかなんて知りたくなかったし、知られたくもなかった。
『おーい。お前たち、そろそろ帰れよ。』校内を見回る担任にそう言われ帰り支度を始める。退屈だ。毎日が退屈だった。朝起きて学校に行き、本を読んで家に帰りまた眠りにつくまで夜更かしする。それだけの毎日だ。ふと、辺りを見回すともうハナはいなかった。
『もう残ってるのは、お前だけだぞ~。』ニコニコとした担任が話しかけてきた。彼の名前は山岡と言う。生徒には岡ちゃんと親しまれている。
『先生、なんで人間は生きていくのだと思いますか。』そんなことを聴いていた。
『どうした?いきなり。なんか悩みでもあるのか。オレで良かったら聴くけど。』話しかけたことを猛烈に後悔した。担任は私の次の言葉を相変わらずニコニコしながら待っている。
『いいえ。悩みなんてありません。人間はいつか必ず死にます。私の大切な人だって死んで、大切だと思われることのなかった人も死にます。大切だって気づく前に死んでいく人もいるのでしょう。しかもタチの悪いことに当人はそのことに気づかないまま死んでいくんですよ。こんなに私は思っていてもそのことは一生伝わらないのです。』
『そんなこと考えなくて良いよ。』
『どうでも良いようなことが、私にはどうでも良くないのです。理由を求める弱さはあります。それでも理由があると安心するのです。それとも理由を求めるのは弱い人間がすることだ、そうお考えですか。だから、教えてください。何のために人は生きているのか。』
『お前は生きている。それでもお前は生きている。それじゃ、いけないの。』
『答えになってません。』
『じゃあ、伝えたら良いじゃん。好きも嫌いも、大切も大切じゃないも。それを伝えるために生きてるんじゃないの。昔さ、愛してるって言えなくて月が綺麗だね、そう伝えた人が居ること知ってる?』
『はい、存じ上げています。』
『この世の中さ、花言葉とやらも存在していて色んな方法で色んなことを伝えようとしているんだけど、オレにはちっとも美しくないんだよね。』
『どういうことですか。』
『傷つきたくないだけなんだよ。伝わらなくても自分の言葉以外のものに責任を押しつけたいだけ。そんなの全然美しくないでしょ。』
『先生は綺麗ですね。』
『昔お前みたいなやつがいた。人生なんてちっとも楽しくなさそうでいつも一人でいて、殻に閉じこもってもがいてた。そう、オレだ。いいか。お前は生きろよ。わかんないなら考え続ければ良い。だから生きろよ。じゃあ、また明日な。』そういって山岡は帰っていった。
はあ、もう帰ろう。荷物を持ち、歩き始めイヤホンを耳につける。宇多田ヒカルが好きだった。宇多田ヒカルを聴いているとき、少しだけ大人になれる気がするし、彼女の音楽は人が孤独で居ることを許してくれる。傘に落ちる雨も水たまりの黒さも赤から青に変わる信号機も彼女の歌はすべてをその姿のまま許してくれる。そんな弱さとも強さとも言える歌声を愛していた。
横断歩道を渡り、交差点を曲がる、今日は帰りたくなかった。涙があふれ出す。何をしているのだろう。
『ねえ、黒髪さん。これ、ハンカチ。』後ろにはハナがいた。
『そこの公園行かない?』そう続ける。私は、無言でハナの後ろをついて行った。海の見える公園だった。こんな所に公園があったのか。15年間散歩し続けていたが初めて知った。遠方には船が見え、向こう岸にはまだ私の知らない町がある。風の音も波の音も優しくてどんな態度でそこにいたら海に失礼がないかそんなことを考える。
『ねえ、黒髪さん、黒髪さんって人生楽しい?』
『ううん。楽しくないよ。私には耐えられないことが多すぎるんだ。人生で一番後悔していることは両親が私を受精したことなんだ。なんで生れてきたのかわからない。みんなはさ、友達と言える人をつくって遊んだり、話をしたりしているけど、そんなことをして傷つかないのかなって思っちゃう。今だったら、毎日会って遊んでいるような人だっていつかそれは年に数回になって確実に考える時間も考えられる時間も減っていくのにそんなことに耐えられるのかなって。人間なんて孤独でしょ。結局、一人なんだ。寂しい。寂しいんだ、だから、楽しいなんて時間があったら今以上に寂しいのかなって。』
『そっか。そうなんだ。黒髪さん、生きててね。黒髪さんは生きててね。』
目の前には桜が咲いていたが、雨だからか全くにおいを感じなく、そんなことに救われた。『ありがとう。』もう涙腺は微動だにしなかった。
ハナに別れを告げそれぞれの家路に戻る。そんな時、スイセンが目に入った。憤りを感じた。スイセンには悲しい物語がある。美少年のナルキッソスに、ニンフのエコーが恋をした。しかし、エコーは思いを伝えられずやせ細ってしまった。それを哀れに思った神がナルキッソスが誰にも愛されなくなるように仕向けた。彼は、誰にも愛されず、水面に映った自分の姿に恋をして、叶わぬ恋に苦しみ死んでいった。ああ、ああ。ああ、もうひたすらにああ、なのだ。私は勢いよくスイセンを抜いた。1つ残らず。でもどうしたことだ。次から次へスイセンが生えてくるではないか。気づいたら私はスイセンに囲まれていた。かみ砕いた。スイセンは有毒だ。致死量は10gだと言われている。死んでしまったら、それはそれで何でも良い。必死でかみ砕いた。それでも一つ一つスイセンは増えでいく。なんだこれは。私は火を放った。スイセンを燃やそうとした。燃え上がるスイセンの中にハナがいることに気づいた。え、なんで。待って。ハナが死んじゃう。ねえ、お願い、ハナを殺さないで。ねえ、ハナ、ハナ、ハナ、逃げて。
『黒髪さん、もう黒髪さんは大丈夫だよ。生きててね。』

はっ、目を開けた。頬には涙が伝っていた。ああ、なんだ。夢か。夢だったのか。
イヤホンを耳につけ散歩に出た。ハナといった公園は存在していなかった。それでも桜は咲いており、良い香りがただよっていた。そもそも雪中ハナなんて人物はクラスメイトにいなかったし、私は学校になんて通っていなかった。
今日もスイセンは綺麗だ。

拝啓 今日の自分へ
これは、私からの最後の手紙です。
あなたは、生きていればそれでいいです。
そして、傷ついてでも良いので、最悪で最愛の何かに突っ込んでいったら良いのです。
友達と遊んでもいいでしょう。写真をたくさん撮っても良いでしょう。絵を描いても良いです。文章を書いても。
それでも伝わらないかもしれません。
でも、生きているならそれでいいです。
スイセン、別名、雪中花。
花言葉は、愛をもう一度。
 
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