第1話

文字数 2,518文字

先日、92歳の母と日帰りの二人旅をした。
この前、施設にいる母が「生きているうちにもう一度懐かしい場所に行ってみたい。」とぼそっと呟いていたので、車で行くことにした

目的地は名古屋。

母は山口県の瀬戸内海に面した町の地主の家に生まれたが、実家が戦後の農地解放ですっかり没落したため、生活のために働かなくてはならなくなり、当時の女子師範学校を出て地元の中学の教員になった。

一方、父は海軍の職業軍人の祖父の長男として軍港の街、呉で生まれた。自分も同じ道を歩むつもりでいたけど20歳の時に終戦。
祖父はしばらく公職追放になっていたし、父以外に6人の子供がいて生活が苦しかったため、父はいわゆる「でもしか先生」となった。

その二人が山口県の海辺の中学校で出会って結婚した。

かなり前に、二人が「日本が戦争に負けなかったら、若い頃あんなに苦労をしなくて済んだのに」等と話し合っているのを聞いた事があるが、もしそうであれば二人が出会う事もなかったのだから、私も生まれていないはずである。

その後、父は30代前半で当時では珍しかった企業の中途入社の試験を受けて、1年間は仮採用の身分で名古屋に単身赴任し、正式採用になってから私たちを名古屋に呼び寄せた。
当時、私は5歳で、弟は3歳。母もまだ20代だった。

両親にとっての名古屋は、沸き立つような希望と一抹の不安をもって降り立った人生の新天地だったと思う。
瀬戸内海の田舎生まれの私にとっての名古屋はビックリするような大都会だった。
夜行の寝台列車から名古屋駅に降りたときには駅前のビル群に圧倒され、車の排気ガスの臭いに「都会に来たんだなぁ」と思ったことを記憶している。

名古屋の最初の住まいは真新しい団地だった。
鉄筋コンクリート4階建ての住宅公団の建物がいくつも立ち並んだ新しい街が名古屋市の端っこの高台を切り開いて造られていて、当時としては最先端の「都会暮らし」ができると人気が高かったらしい。

日曜日には家族全員でバスに乗って繁華街の栄にあるデパート(我が家は2018年に閉店してしまった「丸栄」が贔屓だった。)に行くことが多くて、私と弟は屋上の遊園地で遊ぶのが無上の楽しみだった

話が脱線するが、当時一緒によく遊んでいた幼稚園の同級生が私と同じ会社に同期入社していたことが入社直後の飲み会で判明し(しかも大学も同じだった)、幼稚園の同じ先生が共通の初恋の人だった事でふたりだけで大盛り上がりしたことがある


それから3年後、私が小学校3年生になる春に両親が郊外の一戸建ての家を買って引っ越した。
そのときは折角できた友達と別れなければならないのと、引っ越し先が名古屋市の外で当時は○○郡▲▲町という田舎にできた新興住宅地だったことから、「都落ち」的なちょっとブルーな気分になった。
しかし、結局この家には、私は大学入学までの11年間、両親は1997年に滋賀県の大津に引っ越すまでの33年間住んでいた。

前置きが長くなってしまった。

当日は朝6時に施設に行って母をピックアップし、そのまま東名高速に乗った。
天気はあいにく曇りがちで時折小雨も降っていたが、母は意気軒高そのもの。
「ゆうべは興奮してなかなか眠れなかった」と遠足に行く子供のようなことを言う。

御殿場のSAで朝食を摂ってから新東名に入りひたすら西に向かった。

浜松を過ぎて愛知県に入ると、母は「ああ、名古屋ナンバーの車が多くなった。もうすぐ名古屋につくのねえ!」と嬉しそうに声をあげた。
ふと「なんとなく昔のハイファイセットの曲のようなコメントだなぁ」と思ったが、タイトルが思い出せない。
気になるので名古屋ICの手前のSAで休憩中に調べたら「水色のワゴン」だった。
そのまま、YouTubeにアップされていたものを車のステレオで聴きながら名古屋ICで高速を降りた。

まず向かった先は、最初に住んだ公団住宅。
と言っても、もう今は公団住宅はなくなって普通の住宅地になっている。
また、住所も昔は千種区だったのだが、今はその後にできた名東区に変わってしまっている。
ただ、私が通った幼稚園と小学校は今も健在だったので近くに行ったら、母は「ああ、ここ、ここ。ここよ!」と鶏の鳴き声みたいな発声で懐かしがった。

その後は、私の通った中学・高校と弟が通った高校の近くを通ってから中心部の栄に向かった。
予定では適当な店で昼ご飯を食べようと考えていたけど、雨が強くなったのであえなく予定変更。
そのまま北に向かい、母が33年間住んでいた街を目指した。

途中でこれも懐かしい地元の「ステーキのあさくま」のチェーン店を見つけて、超久しぶり(多分21世紀になって初めて)に食事をした。
ここは小遣いが少ない中学・高校のころは高嶺の花の店だったが、この年にもなると「まあ普通」である。
なにか昔あこがれていたアイドルのうん十年後の姿をTVで見かけたような気持になった。

濃尾平野の真ん中にあってひたすら平坦なⅠ市(今は市になっている)についたのは13時前。
帰りの時間が迫っているので、そそくさと元の家に向かった。
小雨が降っていたので、「車を降りずに見ていきたい」という母のリクエストに従ってゆっくり運転した。

私たちが住んでいた家は、今の持ち主が建て直したようで全く跡形もないけど、両隣の家の表札は変わりがなく昔のままのようだった。

以前に書いた作品のなかにも登場した小学校時代の片思いの同級生の女の子の実家もちゃんとあった。
まあ、彼女は結婚して今は違う土地で暮らしているのだろうが、ちょっと胸騒ぎがして思わず苦笑した。

結局、元の家の前を3回通ってから、母がかつて勤務していた市役所などの「古戦場」巡りをしてから帰途に就いた。

帰りはちょっと急いで東進する。
助手席の母は「あ~これで気が済んだ」と言って静岡県に入ったころから疲れが出たのかずっと眠っていた。

御殿場を過ぎると今度は横浜ナンバーの車が増えてくる。
これを見て「帰ってきた」という感情が自然に湧いてくるのがなんかちょっと妙な気分だけど、もう関東暮らしが50年近くなっているのでこれも仕方がないのかな。

横浜ICには19時前に着いて、母を施設に送って自宅に戻ったら20時だった。
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