スクールタイム・フォーエバー

文字数 4,455文字


 携帯に「公衆電話」から着信があった。夜中に誰だろう、と出てみると、大学時代の先輩だった小鳥遊さんからの電話で久しぶりに会いたいという。
「最後に会ったのゼミの飲み会だっけ?」
「違いますよ」
「そうだったかなぁ。まあどっちにしても久しぶり。元気にやってたの?」クスクスと堪えきれないように笑いが溢れる。
「学生の頃と変わらないですよ。あの頃と同じアパートにまだ住んでますし」
「そうなの?でも元気そうじゃんね。なんか安心した」
 小鳥遊さんは大学を卒業すると東京に行った。それからボクが何度か連絡するも返信がないままで、お互いに近況を伝え合うことがなかったのだ。
「小鳥遊さんも元気そうで」
「あはは、ありがとう。いま駅まで来てるんだ。山田くん出れるなら飲みに行こうよ」
「もう夜の十時すぎてますよ」
「久しぶりなんだし関係ないよ」
 そう言って小鳥遊さんはまたクスクスと吹き出す。笑い上戸なところは昔と変わらず、その声に誘われて、結局、ボクは行くことにした。

 小鳥遊さんはボクの一つ上の学年で大学の映像研究部で一緒だった。「研究部」という名前と裏腹に流行りの映画を観て感想を言うだけのゆるいサークルで、当時はわりとおとなしめの学生が集まっていたのだけれども、その中で彼女は異色の存在だった。
 パンク風ファッション、演技がかった口調、自意識過剰なその姿はいわゆるサブカル女子という奴だ。一見とっつきにくそうで、でも全然そんなことはなく、ボクは彼女とたまたま趣味の方向性が一緒だったこともあっていつの間にか親しくなっていた。

 人通りのない駅前には薄暗い外灯がひとつ、電話ボックスを照らして中には誰もいなかった。ぐるり廻ってたら、中央の丸い花壇スペースの一角にポツンと座っている小鳥遊さんを見つけた。
「久しぶりですね」声をかけると、彼女は顔を上げた。
「おそいよ」
「十分もかかってないですよ」
 そうだねって笑う。
「このあたり店ありませんよ」
「山田くんの部屋にでも行く?」
「何言ってんですか」
 とはいえ、どうしようかと思ってたらコンビニが目について、ドリンクを買って外飲みをすることにした。せっかくだから海行きましょう、夏も終わりだけどまだまだ暑いから大丈夫ですよ、なんてたわいもないことを言いながら堤防沿いの道を歩いていく。
 徐行もせずに飛ばす車、海岸線に浮かぶ漁船の灯、残暑はいまだ厳しく歩いてるうちにだんだん汗がふきだしてくる。海岸に着くころには二人ともバテてしまい口数が少なくなっていた。そうして「いいのがありますよ」とボクが砂浜に転がってたタイヤに腰かけたとたん、小鳥遊さんの「死ね!死ね!死ねええええええええええ」のシャウトである。
「いきなりどうしたんですか」
「なんでもないよ」火照ったような声で返す。「海で叫ぶのって定番でしょ」
「いやいやいや、もう遅いし、変なヤンキーとかくるかもですし」とぐだぐだ言ってたら小鳥遊さんは一切反応せず、いたって真面目な顔でチューハイを開けて、ぐいぐい飲み始めていた。
「死んでほしい人がいるんすか」
「そうだね、なんか一杯いる」さらに飲む。「山田くんは生きててオッケーよ」
「そりゃよかったですよ」そう言ってボクもビールを開けた。
 思い起こせば、小鳥遊さんは昔からエキセントリックなところがあった。メンバーを集めてジョン・ウォーターズ作品の連続上映会を始めたり(しかも「ピンクフラミンゴ」が一番手だった)、当然ながら皆からは大ブーイングを受けて、三十分もしないうちにボク以外は全員帰ったりして、とかく癖のある人なのだ。
「ずっとこの町にいるの?」一息ついて話し出す。「ほんと変わってないんだね」
「きっかけがないんです」
「きっかけねえ」ダルそうに首をまわす。
「山田くん、長老キャラになってない?」
「長老キャラ?」
「卒業してもいまだに大学に来てサークルに顔だしちゃう、年齢不詳のOBの人。いつまでそこにいんのよって思う」
 痛いところをついてくる、でもそれが小鳥遊さんらしかった。自分の思ったことをそのまま口に出して、その距離感のこわれっぷりがボクは好きだったのだ。
 彼女の口は止まらない。就職したの?彼女できた?給料いくら?だいぶ酔いも回っているせいかオブラートもどこかに置き忘れたようで、終いには「今のままでいいの?」なんてダメ出しまでしてくる。彼女に言わせれば人生は家と同じで、しっかり生きてないとすぐに傷んでしまうという。それはもう大笑いして、月明かりに照らされた小鳥遊さんはどこまでも無邪気な笑顔で語りかけ、ボクはボクで酔いが回って、起きているのか眠っているのか曖昧なまま彼女の話を聞き続けていた。


 関節の痛みが、ふとした寒さが、静かに寄せる波の音が、ボクを現実に引き戻した。目覚めきっていない身体は億劫で、乾いた喉を潤すためやっとの思いでミネラルウオーターを取りだす。
 もう空は淡い青色に染まっていた。小鳥遊さんは遠くの波打ち際で遊んでいるようで、ボクが起き上がっているのに気づくと手を振って駆け寄った。
「始発まで時間あるね」
 ボクの携帯は午前五時を表示していた。小鳥遊さんは早く実家に帰ってシャワーを浴びたいという。実家といっても同じ市内だから近いもんである。とりあえず目を覚ますため二人でぬるい缶コーヒーを飲んでいると、小鳥遊さんが朝焼けの海岸を散歩しようと誘ってきた。
「山田くん」先を歩いていた小鳥遊さんが振り返る。「私が何してたかとかあんまり聞かないんだね」
「まあ、そんなに興味ないですし」
 クスクスと笑う。「なにそれ」「興味ない感じなの?なんかショックだよー」嬉しそうに波打ち際を走り回って、また戻ってくる。
「やりたいことがあったんだ」「東京に行ってからもずっと頑張ってきたんだよ」
 控えめな日の光が海面に反射してきらきら輝いていた。穏やかに話をする小鳥遊さんは綺麗で、年月と経験を重ねた、学生時代の彼女とは違う空気感をまとっていた。一瞬、そのミステリアスな雰囲気に気圧されそうになる。ただ、僕は知っている。小鳥遊さんが動画配信者を目指していたことを。なんせボクは彼女のチャンネル登録もしてたし、配信も追ってたし、スパチャまでしていた。けれどもそれを口に出すと、さすがにストーカー感が強すぎて小鳥遊さんが引いてしまいそうで、それに何より彼女自身が動画配信のことを知られたくないのかもしれない。
「でも全然ダメダメで、理想と現実のギャップを感じたよ」
 ボクは小鳥遊さんが本気で頑張っていたのを知っている。話し方もその内容もどんどん洗練されていって、個人勢としてはチャンネル登録者数もそれなりにあったことを知っている。再生回数や同時接続数も少しづつ増加して、だからそんな風に思う必要なんて全くないんですよ、と言いたかった。
「小鳥遊さんなら大丈夫ですよ」
 けれども、ボクはそれ以上に踏み込めなかった。小鳥遊さんはクスクスと笑って、一言「ありがとう」とだけ言った。


 少しずつ日差しも強くなり、町が目覚めていく。通勤・通学に向かう人たちが現われ始め、ボクたちも駅に向かった。スーツ姿のサラリーマンは迷いなど微塵もないかのように足取りも強く、学生たちはふざけ合いながら学校に向かう。みな一様に駅に向かっていて、かつて見慣れた、きっとこれからも見続けるであろう風景だった。
 ふと、ボクはウォーターズの上映会のことを思い出した。
 あのとき一人残された小鳥遊さんが不安げに見え、だから、つい元気づけようと「ボクも好きですよ、ピンクフラミンゴ」なんて口走ってしまったことを。そして実際には小鳥遊さんは特にピンクフラミンゴが好きなわけでもなく、むしろ「そうなん?それはちょっとすごいよ」とドン引きされてしまった黒歴史を。けれども、あの一言がなければ小鳥遊さんと親しくなることもなかっただろう。
「また東京に戻るんですか」
 この町の駅は一時間に一本か二本というダイヤのため、乗り遅れると数十分は待たなければならない。ボクたちが到着したときには電車が来るまであと十分といったところだった。
「どうだろうね」思案顔をして彼女は答える。「携帯電話もこわれちゃったしね」
「水の中にでも落としたんですか」
「んーん、思いっきり投げつけたんだよ」
 そう言うと小鳥遊さんはまたクスクスと笑って、ボクもまた「破天荒ですね」とつられて笑ってしまう。朝っぱらからこんなくだらない話をして、スーツ姿の人たちが怪訝な顔で見ているのに、二人で笑い合っているとそんなに気にならなかった。
「今度はボクから誘いますよ。次は無視しないでくださいね」
「そうだね。次はちゃんと返信するよ」
 到着時刻が迫るにつれて次々に人が集まり、田舎なのに改札口は混雑して身の置き所がなくなっていた。日差しはさらに強く、蝉の鳴き声まで響き始める。夏はぎりぎり続いていた。
 駅舎内にベルが鳴り響く。轟音と共に電車が来る。改札に吸い込まれる人たちに交じって小鳥遊さんも人の群れに流されていった。すると、改札の向こう側のあたり、小鳥遊さんはボクの方を振り返って大声で何か言い始めた。周りの人が驚いて彼女を振り返る。残念なことにその内容はセミと雑踏と電車の音にかき消されて良く聞きとれなかった。それでも、ボクも可能な限り、それこそ生まれて初めての大声で返した。やっぱり周りの人が一斉に振り返って『こいつ大丈夫か』という風に見てくる。けれども、ボクは小鳥遊さんに伝わったかどうかだけが気になっていた。

 結局、小鳥遊さんは新規の動画投稿をしなくなった。ただ、チャンネル自体は抹消されていないので、いまでもボクは彼女のチャンネルアーカイブを見る。そこでは以前と変わらない小鳥遊さんがいた。
 いつかはチャンネルも抹消されると思う。その前にダウンロードして動画を保存すればいつまでも見れるのだけれど、どうしてもその気にならなかった。小鳥遊さんがチャンネル削除するならば、そのときがこのコンテンツの寿命なのだ。
 ボクはボクで大学時代から住んでいたアパートを引っ越すことにした。やはり学生向けの物件は狭いし、年齢的にもそれなりのところに住んでいいと思うようになったからだ。高校を卒業してからずっと過ごしていた町を離れるのは寂しい気もしたが、新しい住まいも悪くなかった。ワンルームではなく1LDK、余計なものを置かないシンプルライフを目指した。会社の同僚や後輩たちには好評で、職場に近いからたまに彼らが寄ったりする。おかげで、唯一、お酒だけは切らさないようになった。
 いまのところ小鳥遊さんから連絡は来ていない。自由気ままな彼女の性格からすると、明日いきなり連絡がくることもあるし、あるいは何年も経って忘れた頃にまた連絡がくるかもしれない。
 ただ、いつの日か小鳥遊さんから連絡がきたとき、ボクは、あの日、改札口でお互いに言い合ったことを確認して、この新しい日々の意味を確かめたいと思うのだった。
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