第1話 センチメンタル・ゴーラウンド

文字数 3,543文字

「いらっしゃいませ! 海女寿司(あまずし)へようこそ!」
 亜里沙が回転寿司店のガラスの扉を開けたとたん、甲高い声が響いた。間を置かず、暗かった店内の照明が手前から奥に向かって灯る。ついでゴウン……と低い唸りとともに、ベルトコンベアが動き出す。
「空いているお席へどうぞ!」
 十歳くらいの子どもの背丈の接客ロボットが、亜里沙を見あげている。
 ロボットに促されて、亜里沙は入り口からほど近いカウンター席へ腰をおろした。
 カウンターは壁から伸びて細いコの字状に設えてある。奥にはボックス席が四つほど。さほど広くはないのだ。
 亜里沙の前をダミーの寿司が流れていく。皿も寿司もプラスチックだ。色とりどり、賑やかしの食品サンプル。二貫ずつ乗った皿が亜里沙の前を流れていく。
「ご注文はタッチパネルからどうぞ」
 きゅるきゅると脚部のローラーを軋らせて、ロボットがお茶とおしぼりを運んできた。
「ありがとう、ソルティーくん」
 今日初めて出した声は、かすれていた。お茶とおしぼり、これだけは給仕してくれるようだ。乳白色のつるりとしたボディに大きく青い瞳、かつての制服だろう。寿司職人のような服装をしている。
「二××八年十一月五日、午後三時五十分。外気温七度、室温十八度。現在調整中です」
 今現在の時間と室温を知らせると、ソルティーは店の入り口へと戻っていった。ロボットはずいぶん長くいるらしく、着ている服はくすんで見えた。
「オヤツに寿司。さて、何をいただきましょうかね」
 亜里沙はマフラーをほどき、バッグを隣の席へ置いた。カウンター上部のタッチパネルに触れたが、反応しなかった。
「あらやだ」
 ずっと車で移動してきた。車内のヒーターで乾燥したのかもしれない。そうでなくとも、亜里沙の手は皺が寄り、潤いなどない。ただ一つの指輪が右薬指に鈍く光る。
 はあ、っと指先に息を吹きかけ、擦りあわせて再びタッチする。パネルはようやく反応し、小さく電子音が鳴った。
()らかいもの……」
 胸ポケットから読書眼鏡を取り出すと、パネルをまじまじと見る。
 玉子焼き、軍艦はネギトロ、ホタテ。亜里沙は歯の具合を確かめるように顎に手を触れて、パネルを操作する。あとは、腹と懐の具合による。
 まずは先の三皿を注文した。左手の壁の奥で、調理器の動作音がした。冷凍されている食材を取り出して調理を始めたのだ。
 無音の店内に、陽気なファンファーレが流れた。天井から吊り下げられ四方に向けた四個のモニターに電源が入り、若い女性が映った。
 女性は小さなリュックを背負って風に飛ばされないよう帽子を押さえている。小麦色の肌にショートヘアがよく似合う。笑うと白い歯が見えた。海外の名所を巡る番組だった。亜里沙が子どもの頃にテレビで放送していた人気番組。すでに何度か見ているはずだ。
「新しいものは作られないものね」
 新しいものや、生の舞台芸術など、亜里沙には無縁のものになって、しばらく経つ。
 亜里沙がモニターを見ていると、サンプルが流れる上にあるもう一つのレーンが高速で動いて、注文した寿司が届いた。
 玉子、ネギトロ、ホタテ。亜里沙の口の端がゆっくりと上がる。
「いただきます」
 小さく一礼してから、亜里沙は箸で玉子をつまんだ。きちんと玉子を細い海苔でくるりと巻いてある。小皿に注いだ醤油へわずかにつけると、大きく開けた口へと入れた。ゆっくりと何度も噛んで、お茶で喉へと流し込む。
「おいしいわねぇ」
 恐らくは、玉子に似た何かだろうけれど。それは、ネギトロの具や剥き身のホタテも同じことだ。新鮮な野菜や果物、飼育された肉や養殖された魚など、亜里沙の口には入らない。
「お気の毒さま、ね……」
 亜里沙は鼻で笑った。つんとしたわさびの辛さで、少しだけ涙がにじむ。
 たった一人の店内に、女性の明るい声が響く。あちらに見えるのが……亜里沙の耳にはよく聞き取れないが、広がる青空の下に、壮麗な寺院が見える。
 テレビを見ながら、ネギトロ、ホタテと箸を進める。ご飯は粒立ち、ほろりと口の中でほどける。少し消毒薬の匂いがするけれど、慣れればどうということはない。たった三皿で亜里沙の空腹はだいたい収まった。
 窓の外をながめると、寿司屋の入り口の街灯が夕焼けを背にして黒い影を作っていた。人一人歩く者も、車も通ることはない。周囲には、商店も民家もない。減少した住民は都市部に集められて暮らしている。郊外の飲食店は、ごくたまにある利用者のために、稼働している。電力は太陽光発電、水は地下水を浄化して賄っている。
「味噌汁、あるのね」
 亜里沙は椀物の画面から、味噌汁をひとつ注文する。
 待つ間に、亜里沙は鞄から小さなアルバムを取り出した。合革で装丁されていて厚みがある。表紙をめくると、若い夫婦が垂れ桜の下に立っている色あせた写真が貼ってある。母親はレースのおくるみに包まれた赤ん坊をだいている。若い家族の後ろには朱色の鳥居が見える。お宮参りの記念に撮ったものだ。
 それからは、子どもの成長記録だった。
 沐浴、お昼寝、はいはい、掴まり立ち。
 味噌汁が到着した。亜里沙は熱い椀を慎重に下ろし、蓋を開けた。ふくよかな味噌の香りが鼻腔を満たし、薬味の刻んだ葱の香りが収まりかけた胃を刺激する。味噌汁の具はアサリだった。
「アサリ、アサリ、亜里沙はアサリ」
 子どもの頃に言われた囃し立てを口にして、亜里沙はくすりと笑う。
 ゆらめく湯気が細かく散って消えてゆく。舌を火傷しないように慎重に椀へと口をつける。
 ひとくちすすると、貝の旨味がじわりと口に広がる。
「貝なんて久しぶり」
 おそらくは剥き身にして冷凍していたものだろう。何年前、何十年まえかは分からないが。冷凍技術の向上により、凍らせておけば半永久的に食材はもつのだ。
 亜里沙は味噌汁を飲み終えると再びアルバムを繰った。
 小学校の入学式、所属していたバスケットボールクラブの記念写真。
 アサリ、アサリと亜里沙を呼んだ男の子のやんちゃな笑顔。
 中学高校は女子校へ通った。気の合う友人との出会い。学園祭で仮装して黒板の前でポーズを取っている。亜里沙はナースのゾンビだ。
 卒業式後に撮った、看護学校の前での一枚には、母はいない。
「お茶のお代わりはいかがですか?」
 アルバムを見つめていた亜里沙は、小さく肩を揺らした。
「ありがとう」
 亜里沙はソルティーにお代わりを注いで貰った。
 ゆったりとしたメロディーが流れた。モニターを見あげると、旅番組は終わるところだった。
 小麦色の彼女が視聴者プレゼントの告知をしている。
 しかし、その画面を覆うようにテロップが表れる。
『プレゼントの応募期間は終了しています。
 ※海外渡航が許可されるのは第一・第二階級のみです』
「はい、はい。分かっているわ」
 亜里沙の指輪に刻まれた数字は、『Ⅲ』。
「庶民はたいがい、第三階級」
 アルバムの中の子どもたち。亜里沙をアサリと呼んだ男の子も、おやつに寿司と言った親友も、子どもを持てない第三階級に入れられた。
 三代遡り、これといった功績や華々しい経歴がなければ、無用な遺伝子保持者だとランク分けされたのだ。
 彼も彼女も働いて生きて、すでにこちらから旅立っていった。
「平凡に生きられないわねえ」
 亜里沙はアルバムを鞄へしまい、マフラーをまいた。それからタッチパネルの会計を押してから、カウンターに掴まって立ち上がった。
 亜里沙のもとへ来たソルティーの額に亜里沙は携帯端末をかざす。鈴のような電子音が鳴って会計が終わった。
「ありがとうございます」
 ソルティーは胸の少し下で両手を重ね、深々とお辞儀をした。それから出入口へと誘導しようとしたソルティーを亜里沙は呼び止めた。
「お醤油、はねてるから」
 亜里沙はカウンターからおしぼりを取ってソルティーの顔を拭いた。
 少しさっぱりとしたソルティーの瞳の奥が光った。
 
 店を出ると、外はすでに日が落ちていた。吐く息が白く、空には凍てつくような星が輝き始めていた。
「わたしはまだ恵まれている」
 来春には、実家は雪の重みに耐えられず完全に潰されるだろう。そのまえに写真を持ち出せてよかった。
 アルバムが入った鞄を胸に抱きしめて、亜里沙は車の中におさまった。スタートのボタンを押すと、あとは亜里沙が住み込みで働くお屋敷へと自動運転してくれる。
 いぜん、奥さまに亜里沙は自分たちのことを話したことがあった。奥方は、ただ「お気の毒さま」と言って困惑したように瞳を泳がせると、眉をひそめただけだった。
 こちらの階級に生まれず、お気の毒さま……。
 いつか、この世界は変わるのだろうか。
 窓に額をつけると、バックミラーに小さくなる回転寿司の灯りが、少しずつ消えていった。
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