第三章

文字数 7,603文字

第三章

マークとトラーが住んでいる家は、小規模であったけれど、客をもてなす客用寝室もちゃんとついていた。ということはやっぱり西洋では、家に泊まるということは珍しいことではないのだろう。

「お邪魔します。」

二人が家に入ると、玄関先にくまのぬいぐるみが沢山おかれていた。

「わあ、ぬいぐるみがたくさん、、、。」

杉三が思わずそういうと、

「はい。あたしがどこかに行くと買ってきたくなるんです。中には、もう十年くらい前に買ってきた子も少なくなくて、なんだかぬいぐるみも家族みたいな気がしちゃうんですよ。」

女性らしく、トラーがそう答えた。確かに、色あせているぬいぐるみも多くあり、年季の入っているのが感じられた。

「でも、なかなか綺麗なお宅じゃないか。師範免許もらった記念に買ったんだってね。」

杉三が聞くと、

「まあ、半分くらいは師匠に出してもらったんですよ。師範免許持ったお前が、古臭い集合住宅では、かっこわるいぞって、散々後押しされて。まあ確かに、そう考えると、ちゃんと一戸建てに住んでいたほうが、いいのかなと考え直しました。」

マークが照れくさそうに言った。

「じゃあ、この子たちは?」

「ええ、集合住宅から、一つ残さず連れてきました。引っ越しの邪魔になるから、処分しようといい聞かせても、言うこと聞かないので。こいつに言わせれば、パパとママの思い出がいっぱい詰まっているので、捨てられないんだそうです。」

「パパとママ?」

「はい。仕方ありません。母は早くに家を出てしまいましたし。そのあとは、ずっと父が僕たちの世話をしてきて。その父も十年前に逝っちゃいましたし。あとはずっと、兄妹二人暮らしですよ。そういうわけですから、父や母の事を忘れられないんでしょう。」

「なるほどねえ、、、。」

杉三は、疲れて息切れしている水穂を、とりあえず中に入らせて椅子に座らせ、お茶を出したり、冷蔵庫に入っていたお菓子を出したりなどしているトラーを、なんとなく見つめた。

「ずいぶん世話好きだな。」

「はい。世話好きというよりは、おせっかい焼きというべきだと思います。もちろん、日本語は、複雑なので違いがよく分からないんですけどね。でも、これのせいで、相手のほうは得をすることはあまりないんですよ。やり方もがさつだし、言い方が乱暴で、それななのに手を出すから、かえってやめてもらいたいと言われるほうが多くて。」

「注意しないのか?親代わりの兄ちゃんとして。」

「しましたよ。しないわけないでしょう。でなれければ兄妹じゃありませんよ。ですけど、いくら注意しても直らないので、ほとんどあきらめています。学校も除籍になっちゃいましたしね、もう、お嫁さんにもらってくれる人もいないんじゃないかな。」

「あきらめちゃいかんなあ。直してほしいなら、注意しなきゃ。今だって、多分本来の目的とは、ずれているんじゃないかな。」

杉三は、そういって、トラーを顎で示した。

「おい、おとらちゃんよ。こんな食べにくいもんばっかりだしても、しょうがないんだよ。クッキーじゃなくて、もっと食べやすいお菓子ってもんはないの?例えばそうだなあ、ここは、水まんじゅうはないのか。そうなると、アイスクリームとか、そういう柔らかいもんはないかな?」

トラーはポカンとして杉三のほうを見る。

「杉ちゃん、こんな冬場だし、アイスクリームはどこにも売ってないよ。」

マークが急いで口を挟んだ。

「じゃあ、ほかに何かないかしら?すぐに買ってくるわ。クッキーがだめならケーキでいいかしらね?」

「そうじゃなくて、もっと喉につるんと入って食べやすいもんはないのかい?ケーキもさ、いろいろあるじゃない。あんまりボロボロしたものは食べにくいだろ、もうちょっと柔らかくて、食べやすいのはないかな。」

「柔らかい、か。難しいわね。こちらでは、わりとカリカリしたものが多いから、、、。」

トラーは、該当するものを一生懸命考え始めた。まあ確かに、この地域では「フランスパン」に代表されるように、パンにしろお菓子にしろ、がりがりに焼いた、固いものが多いことで知られていた。

「何もないか。じゃあ、作るしかないな。明日、買い出しに行くか。ないんだったら、作るしかないよな。気にしないでいいからね。国が違えば食べるもんも違って当り前よ。でも、台所がちゃんとあれば、作れるからな。台所は不思議な場所よ。同じ道具があれば、何でも料理が作れるよ。」

杉三が、頭をかじりながらそういった。マークも、

「そうですね。僕たちが何とかするより、本人に選んでもらったほうが早く決まりますよね。商品名や、値段なんかは、僕が通訳しますから、明日買いに行きますか。今日は、多分これからだと、間に合わないと思います。」

と言った。杉三が、なんでまたもう間に合わないんだ?と面喰ったが、

「いや、ここでは、長時間営業が認められてないんですよ。大体企業は4時でおしまいだし、店舗も、晩御飯の終了後はもう店じまいで、夜遅くまでやってるところはないです。24時間営業なんて、あり得ないですし、土日はスーパーマーケットもしまって仕舞うことが多いんですよね。」

と、「御国事情」が語られたのであった。

その同時に、疲れてしまったのか、水穂がまた咳き込んでしまったのである。

「疲れちゃったんかね。又なんでこういう肝心なときに咳き込みだすかな。」

「杉ちゃん、そういうとかわいそうだよ。長旅で疲れてるんだから、休ませてやろう。」

マークが、椅子に座って咳き込んでいる水穂に、

「大丈夫ですか?」

と声をかけたが、返答はできなかった。

「水穂さん、のってもらえますかね。」

と、彼をよいしょと抱きかかえたが、信じられないほどの軽さに一瞬驚いてしまう。

まるで、若い女性よりも軽かった。

「おい、客用寝室、案内しろ。」

「はい。」

トラーの先導で杉三たちは客用寝室に案内された。やっぱり、西洋の家であり、各部屋のドアが開けっ放しになっている。

これではハウスツアーをしている暇などなさそうだったが、マークもトラーもそのようなことは口にしなかった。

とりあえず、客用寝室に入らされた。所謂、ホテルのツインルームによく似た設備がされていた。マークが抱きかかえていた水穂をベッドの上に寝かせてくれた。

「あたし、クッション一つ、持ってきましょうか!」

と、トラーがそういうが、

「馬鹿だな。家にそういう大きさのあるクッションはないじゃないか。」

マークがそう訂正した。なるほど、このとらちゃんは、心配事があると、すぐにとっぴな行動を取ってしまう癖があるようである。そういうところは蘭にそっくりかもしれない。

「すみません、大丈夫です。暫く寝かせていただければ、何とかなりますので、」

と、切れ切れに言いながら、水穂はそういったが、又さいごまでいいきれずに、咳き込んでしまった。

「まあとにかく、食べ物とか、日用品は明日、買いに行って来るよ。さっきも言ったけど、通訳はするからね。そこは大丈夫だからね。」

「おう、わかったよ。それにしても、晩御飯の前に店が終わってしまうんなんて、早すぎるねえ。」

「いや、日本人は働きすぎだとみんなが言っているよ、杉ちゃん。ただの小売店では間に合わないと思うから、明日の朝一番の電車で、郊外の百貨店までいってくるか。」

朝一番というのが、引っかかるが、なるほど、電車の始発時間は、日本よりも遅いのだという事が見て取れた。

「じゃあ、明日そうするから、トラーは悪いけど水穂さんのこと、見ててやって頂戴ね。」

自身が損をしなければ、人に変な風に頼まないし、あまり不安にも思わないで人任せにしてしまうのも、西洋人であった。

「よし、それじゃあ、今日は長旅でお疲れでしょうから、よく休んでくださいね。あんまり疲れすぎて、悪化しないようにしてくださいね。」

そういう淡白なところも西洋人である。個人的に取引が終了してしまえば、もうそれ以上はない。

「あいよ。まあ、それではよろしく頼むなあ。長くお世話になるけどね。」

「いいえ、せっかくこっちまで来たんですから、ゆっくりしていってくださいね。どっか行きたいところでも出てきたら、日付を決めて出かけましょうね、、、。」

杉三とマークがそう話している間に、水穂は疲れ果てて、眠ってしまったのであった。



翌日。

水穂が目を覚ますと、日は既に高く上っている時刻だった。いつまで寝てしまったんだろうと考えながら、ベッドの上に起きると、

「おはようございます。」

入ってきたのはトラーであった。

「あ、あ、すみません。もう眠りすぎるほど眠ってしまって、、、。」

「朝ごはん、もって来ましょうか。」

と言ってくれるのだが、とても食べる気にはなれなかった。

「今日は具合いかがですか?咳き込んでいないから、まだいいのかな?」

悪いというわけではないが、眠ったくせに、かったるいのだった。でも、このような曖昧な表現が彼女に通じるとは思えなかった。なので、それは口にしなかった。

「随分遅くなってしまいまして、すみません。すぐに着替えますので。」

「いえ、何も気にしなくて良いですよ。こっちでは、まだまだこれから、出

勤するという方だって珍しくないわよ。」

と、いうことは、随分のんびりした国民性だなあと思ってしまった。日本では、もうとっくに学校や仕事が始まっている時刻だというのに、こちらではまだまだこれからだというのだから。そして、終わりは、日本より早いという、なんとものんびりした生活をしているんだと思う。

「杉ちゃんなら、お兄ちゃんと一緒に百貨店に出かけたわよ。つい先ほど、始発列車が発車したはずですから。今ですか、何て思うかもしれないけど、こちらでは、時刻表通りに電車が来ることなんて、めったにないから、具体的に何分とはいえないわ。」

なるほど、公共の交通機関でさえも、こうしていい加減なのかとわかった。

演奏家時代に訪問したときも、電車がいつまでたってもこなくて、いらだった事はよくあった。その時は、日本での電車が時間通りすぎるから悪いとからかわれた。

「ねえ、今日、ご飯食べたら外に出ましょうよ。昨日、お兄ちゃんと話したんだけど、クッション一つ、かってこないといけないと思ったのよ。近所にかわいい物がたくさんある雑貨屋があるのよ。行かない?」

「あ、えーと。はい。わかりました。」

トラーが半ば強引にそういったので、水穂はそれに応じることにした。というより、応じるしかなかった。基本的に、変更のしにくい街並みなので、どこの雑貨屋なのか、大体見当はついていた。あそこまでの距離であれば、何とか歩いて行けるかなとは予測できた。

「じゃあ、すこし待っててくれますか?着替えなくちゃいけないから。」

「こっちへ来ても、着物着てるの?ごめんなさい、あたし、眠っている間に片付けしなきゃと思って、荷物の中見てしまって。勝手に人のもの見てはいけないでしょうけど、置きっぱなしでは、まずいでしょうからね。」

「大したもの入ってないので、いじってくれて結構ですよ。着物のほうが楽で良いですしね。洋服は、好きではないので一枚も持っていないのです。」

水穂が正直に答えると、

「それでいいと思うわよ。あたしは、どこの国の人も同じ格好をするのはありえない話だと思っているし。でも、マネはしてみたいわね。着物で暮している人と、どこかへ行くなんて、素晴らしい。それに、着物が似合うのに、無理やり洋服来てみんなと同じってのは、おかしいなと思うわ。」

と、彼女は言った。

「少し待ってください。急いで着替えてきますので。」

改めてそういうと、

「はい。着物を着た素敵なおじさんと、出かけられるなんて、夢みたいだわ。」

と、にこやかに彼女は笑った。やっぱりそういうところは、なんだか色っぽいという、杉三の意見も間違いなかった。



数分後。

水穂は、彼女と一緒に外へ出た。彼女は、着物というものは知っていたが、袴というものは知らないと言った。着物にもズボンとよく似た袴という履物があるんですよ、と、聞かせると、それはどんな時に着用するのかとか、しきりに質問してくるので、やっぱりファッション大国というか、着るものには興味があるんだなあとよくわかった。

そんなおしゃべりをしながら、名物でもあるシャンゼリゼ通りを歩いたが、どうもかったるすぎて、名物通りを歩いて興奮したり、感想を述べることはまるでできなかった。よく、観光客が、ここへ来ると立ち止まって写真をとるから、住んでる人には迷惑だ、かえって黙って通り過ぎてくれたほうがいい、なんてトラーはお世辞をいうのだが、それに相槌をうつので精いっぱいであった。

丁度そのとき、路上でバイオリンを弾いている一人の男性と鉢合わせした。曲は、ヴィヴァルディの「四季」より冬のソロ部分である。路上ライブというか、練習のためにここで弾いているらしい。同じ旋律を何回も繰り返していた。

水穂が思わず軽く会釈すると、彼も一緒にいる女性が誰だかわかったようである。

「チボーよ。あたしの幼馴染の。」

と、トラーが水穂に日本語でそう言ったが、その青年もそれが理解できたようで、ちょっとやきもちを焼いているように彼を見た。

「なるほど、彼も少し、理解しているようですね。」

と、水穂は言ったが、この事実はトラーも知らなかったようである。まったく、どこで習ったのよ!なんて、嫌そうな顔して反発していた。

「しかしよくわかりましたね。僕が日本から来たって。」

「その格好でわかりますよ。そういう格好する人は、日本人だけでしょ。たまにいるんですよね。僕のコンサートで、そういう格好で来てくれた人。」

と、いう事は、この男性、既にバイオリニストとして活動しているんだなとわかる。

「僕、一度か二度、日本の東京で、コンサートしたことがあったんですよね。それに備えて、ほんの少しですけど、練習したんですよ。日本語。ま、すごい大変で、苦労したので、なかなか忘れずに覚えているんでしょ。」

これで事情がはっきりわかった。海外演奏となると、多かれ少なかれ、地元の人に道を聞いたりすることもあるだろうから、ある程度勉強しておくことは必要になる。

「随分熱心じゃないですか。そこまで練習したんですか。」

「ええ。通訳雇うのは、金がかかりますからねえ。でも、着物で来てくれたの、殆どが年寄りでしたよ。若い人って、自身の民族衣装があまり好きじゃないのですかねえ。それって、おかしいなと思うんですよ。中東とかでは、そういうところはしっかり大事にしていて、国を挙げて民族衣装を保護しようという、取り組みもあるでしょ。民族のサラダボウルと言われるアメリカだって、少なくとも、自分の出身民族の衣装はしっかり持っている人が多いですけどねえ。日本人は、そうじゃなくて、要らないから捨てようとおもっているのかなあ?と思ってしまうほど、着物の人がすくない。」

「まあそうかもしれません。おかしな歴史のある所ですから。」

彼は多分親しみを込めて言ってくれているのだと思うけど、結構この発言は批判的であり、水穂は応答するのに結構難しいなと思ってしまうのだった。

「今日も、家で練習してたら、ご近所に迷惑だからどこかよそで弾いて来いって、お母さんに叱られちゃったの?」

トラーがそう尋ねると、

「そうなんだよねえ。そんなにバイオリンにのめりこみすぎたのかな?どうも、怠けるのは苦手なところがあってさ。」

チボーは笑ってそう答えた。

多分きっと、外国人であるから、よほどのことでない限り、そういうことは言わないと思うので、多分やりすぎるほどやっているのだろう。それに、怠けるのが苦手という人は、ヨーロッパでは少ないと思うので、かえって嫌われてしまうかもしれない。

「練習熱心なのはわかるけど、やりすぎはだめよ。あんまりやりすぎると、手首怪我するわよ。まあ、他の演奏家に比べたら、多少不利なのかも知れないけど、無理をしたら、演奏家としても、だめになっちゃうわよ。」

トラーのいうことから判断すると、よく事情は知らないが、彼も演奏家としてあまり良いキャリアを有していないんだなという事は読めた。もしかしたら、自分以上に複雑なのかもしれなかった。

「もうそれでも、やるときはやらなきゃね。若手のバイオリン弾きなんて、大して良い事あるわけでもないしねえ。やっぱり実力が文句言う世界であることはいうまでもない。」

「そうですね。僕も、そこだけは認めますよ。僕も短い間ですが、演奏したことありましたから。バイオリンではなくピアノですが。」

「そ、そうですかあ。その顔では結構日本でも人気があったのではないですかね?」

水穂がそういうと、チボーは、音楽仲間ができてうれしいなという気持ちをもろに出して、そういった。

「いえ、それはありません。端くれのうちに、脱退してしまいましたからね。」

「な、なんだかもったいないと思いますけどね。そこまで端麗な人はなかなかいませんし、それなら、イタリアの体格のいいソプラノ歌手なんかと一緒にやれば、美男美女としてかなりいいところまでいけるんじゃないですか?」

「無理なものはむりですよ。体のほうが、許してはくれませんもの。」

「へえ、、、。」

といって、チボーは首を傾げた。

「ちょっと一曲聞いてもらったらどうなの?みんなからは、ぱっとしない演奏と言われることが多いけど、人が変われば、また違うかもしれないわよ。」

トラーがまた口を挟んだ。思ったことは何でも口にして、空気も読まずに発言してしまう癖があるようである。

「あ、そうですね。日本人は結構厳しいと聞きますからね。ちょっとやってみますね。えーと、よくやってた曲はこれですが。」

そういって、チボーはマックス・ブルッフのバイオリン協奏曲の独奏部分を弾き始めた。

なかなか難しい曲として有名であるが、ぱっとしない演奏どころか、結構流麗に弾きこなしているので、思わず聞き入ってしまった。しかし、

「あ、、、。」

急に、胸部に激しい痛みが来た。

「どうしたの?」

トラーが思わずそう聞くと、返事をする前に激しくせき込んで、何が何だかわからなくなってしまったのであった。

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