あの木の下には

文字数 1,983文字

 何十年か、何百年か先の未来の話だ。
 科学は著しく進歩し、競争は激しくなり続けた。そしてある日、世界は崩壊した。誰も防ぐことはできなかった。どうにか人類は滅亡を免れたものの、人口は以前の五十分の一まで落ち込んだ。
 国は消え、県は消え、町や村だけが残った。科学は絶対的な悪となった。生活は原始的なものとなり、人は皆、自分が生きることだけに精一杯になった。

 極東のある村では竜神を祀る文化があった。村では稲を栽培していたが、天候に左右されて収穫量は安定しなかった。雨を司る竜神が信仰の対象となるのは自然なことだった。
 その村では、五年に一度、竜神に若い乙女を「巫女」として捧げる儀式を行っていた。巫女は神社に閉じ込められ、飲まず食わず竜神に祈りを捧げる。飢えと喉の渇きで、儀式の開始から一週間もしないうちに巫女は命を落とすが、その魂は天に昇ると言い伝えられている。竜神はその魂を受け取ると、地上に雨を降らせるのだ。
 当然、巫女になりたがる人は誰もいなかった。

 ユウカが巫女に選ばれたのは身内がいなかったからだ。唯一の身内だった彼女の祖母は亡くなったばかりだった。ユウカを巫女にするのが、村人にとって一番都合が良かった。

 ユウカの祖母は竜神のことを信じていなかった。
「巫女を差し出せば助かるっていうのは迷信だよ。間違った手段に安心しちゃあいけない。本当の神様なら、命を捧げるなんて愚かなことさせないよ。信じるべきは、竜神様じゃあない。別の神様さ」
 まだ元気なころ、祖母は言った。幼かったユウカは遊んでいた手を止め、身を乗り出して尋ねた。
「別の神様?」
「ああ。村のはずれの森があるだろう。ほら、あの薄暗い森さ。その森の中を山の方へ真っ直ぐ歩いていくと、大きな、大きな木がある。その下に住んでいる神様がいるんだ」
「本当?」
「そこで神様に会ったんだから間違いない」
 祖母は自信たっぷりに言った。
 それからユウカはその場所に通うようになった。彼女は木の下に魚や果物を供え、神に出会える日を楽しみにしていた。
 しかし、彼女は神に会えなかった。会う前に、巫女に選ばれてしまった。

 儀式のためだけに開かれた本殿の扉は、外から板を打ち付けられた。中に閉じ込められたユウカは、自分の力ではもう外に出ることはできない。
――せめて苦しまないで死にたい。
 ユウカはそう願ったが、巫女である以上、無理な話だ。巫女は苦しみながら死ぬ運命なのだ。
 村で過ごした日々に思いを馳せ、彼女は目を閉じた。今から、彼女は祈りの文言を唱えなければならない。
 文言を口にしようとしたその時、子供の声がした。
「どうして泣いているの?」
 驚いて目を開けた拍子に頬に冷たい感触がして、ユウカは自分が泣いていたことを知った。目の前には10歳くらいの見知らぬ少年がいて、その背後には閉まったままの扉がある。それを見て、ユウカはハッとした。
「どうしたの?」
「あの扉、外から閉められちゃっているんだよ」
 きっと儀式の前に少年は中に入り込んでいたのだろう。誰にも気がつかれないまま、彼はユウカと一緒に閉じ込められてしまったのだ。
 焦るユウカに少年は言った。
「大丈夫だよ」
「でも、扉が」
「大丈夫。落ち着いて」
 少年はユウカの手を掴んだ。思いがけない力の強さに、ユウカは驚いた。
 彼はユウカを安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよ」
 少年は扉に近付くと、ユウカのほうを振り返った。
「僕、すごく力が強いんだ。ちょっと見てて」
 少年は扉を軽く押した。すると扉はミシリと音をたてた。少年がもう一押しすると扉は外にむかって倒れ、ユウカの足下まで月明かりが入り込んできた。
「ね?」
 少年はユウカにむかってウインクした。
「……どういうこと?」
「実は僕、木の下に住む妖怪なんだ」
 呆然としているユウカを見て、少年はいたずらっ子のように笑った。
「君、よく果物とか持ってきてくれていたでしょう? だから君を助けに来たんだ。今度は僕の番だと思って」
 少年はユウカに近付き、そっと彼女の手を取った。
「さあ、行こう。みんなに見つかる前に」
「……逃げても良いのかな」
 日照りに苦しむだろう村の人々のことを思うと、ユウカの良心が痛む。
 少年は力強い口調で言った。
「行くべきだよ。村のことは村の人で解決するはずだよ」
 それでも迷うユウカに、少年は諭すような口調になった。
「自分を苦しめるものを大事に抱えていても仕方ないよ。君が犠牲になること、お祖母さんだって望んでいないんじゃない?」
 ――信じるべきは、竜神様じゃあない。
 じゃあ、私は何を信じれば良い?
「……そうだね。私、行くよ」
「そうこなくっちゃ」
 少年は無邪気な笑みを浮かべ、ユウカの手を引っ張った。少年に手をひかれるまま、ユウカは神社を後にした。

 その日、ユウカは神ではなく目の前の少年を信じることに決めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み