第3話 長次郎の朝

文字数 2,024文字

一回目の打ち合わせから二週間後、私と斉藤さんはまた共用スペースにいた。八月の上旬になり学校は夏休みが始まっている。

コミュニティセンターの冷房の設定温度はお年寄りに合わせて30℃に設定してあるらしく、額から汗が流れ出す。

夏休みに入って時間ができたので、斉藤さんが作って来た手書きの原案を、去年の要綱と同じ様式にパソコンで打ち直した。

これを斉藤さんに見せると「亜紀先生凄いね、こんなにちゃんとした書類になるなんて」と褒められた。

「私この仕事十年やってるんで、慣れたもんです」と笑った。

「俺もタイピングから慣れようと思って、夜家に帰ると練習してます。譜面を書くのは慣れてるんだけど、パソコンになるともう全然」

彼の譜面という言葉で私はどうしても聞きたいことを思い出した。

「仕事とは全然関係ないのですが、斉藤さんバンド組んでらっしゃったとお聞きしたことあるんですが、担当楽器は何だったんですか?」

斉藤さんはどこか得意気に答えた。

「僕はボーカル兼ギターです」
「へぇ、凄いですね!作詞作曲とかも為されてたんですか?」
「一応やってました」


「えっ、すごっ!メジャーデビューとかされたんですか?」
「しました」「えー凄いじゃないですか!」

彼は気まずそうな顔でこう言った。
「でもしたんですけど、全然売れなくてシングル五個とアルバム二つ出して契約解除になっちゃって、バンド解散で戻って来ました」

「そっか、厳しい世界なんですね。メジャーデビューすると必ず売れるって思ってました」

「俺もそう信じてたんだけど、ダメだったな」

彼が悲しそうに目を閉じ、しばらく無言になった。

自分の人生を賭けて取り組んでたものに、私みたいな仕事先の人間がそう簡単に触れちゃいけなかった。自分の軽率さを反省する。

「話それちゃいましたね、ごめんなさい」

「いやいやいいんです、僕も昔取った杵柄を亜紀先生に自慢できて嬉しかったです。時間があったらヨウチュウブで検索してみて下さい」

「じゃあ探して見てみます。バンド名何ていうんですか?」

彼の瞳が輝いた。
「本当ですか?嬉しいです。バンド名は長次郎の朝です」

「なかなか、渋いですね」

「ベースの奴がどうしてもこれがいいって言うもんだから、俺売れなかったの名前のせいもあるんじゃって未だに思ってるけど」

「あー本当ごめんなさい。でもそうかも」と言って二人で笑った。

「亜紀先生、今32歳だよね?」
「最悪だ、年齢まで知られてた」

「俺30歳だから年下に敬語使わないで、同期のつもりで喋って」
「同期…わかりました、じゃなくて、わかった」

「敬語使われるよりその方が気楽だよ」と彼は笑った。

「じゃあ早速同期のつもりで喋るね。斉藤さん、実は私凄く神経質で細かいの。だからこの間のことをもう少し詳細に詰めてもいい?」

「俺は凄く大雑把なので言ってくれた方が助かる」
「良かった。じゃあ、まず一日目の動きから」

四十分程度の打ち合わせを終え、職員室に戻ろうと図書室の前を通りかかると図書館司書の真美先生23歳と一年生の担任の美雪先生26歳に図書室の中に引き込まれた。

真美先生が興奮冷めやらぬ状態で「亜紀先生!今共用スペースで斉藤さんと密会してませんでした?」と大声を出した。

「仕事だって、ほら夏休みの仕事体験の打ち合わせ」

美雪先生が残念そうに「だと思った」と呟いた。

真美先生は「いや、ここから彼氏ゲットのチャンス!」と無理やり盛り上げてくる。

「仮に付き合ったとしても、村長の家、息子帰ってくるとかで立て替えたじゃん?村長とあの奥さんと同居できる?」

二人は声を揃えて「無理」と言った。

ワンマンで人の話を聞かない村長と自慢と嫌味しか話さない奥さんの最強コンビ。

美雪先生は「私は今年きたばかりで村長さんの事よくわからないけど、無理だな」と言った。

「悪い人じゃないんだけど、ちょっと強烈なんだよね。やりたいことをとことん突き進むみたいな」と真美先生は苦い顔をした。

「だから、その時点で斉藤さんとそうなるのはない!」

二人は声を揃えて言った。

「確かに」

斎藤君の気持ちは無視して、ありえもしない未来を妄想し、好き勝手なことを喋りまくる、それがガールズトーク。

「そういえばさ、さっき斉藤さんに昔やってたバンド名聞いたの、今から見てみない?勤務時間過ぎてるし」

私はそう言って自分のスマホを取り出した。

「長次郎の朝」と入力すると、二人とも「渋いですね」「センスが」と好き勝手なことを言い出した。

動画をクリックするとびっくりした。想像していたのは優し目のロックバンドだったけれど、そうではなくて、ヒップホップバンドだったからだ。

「こっち系なんだ」と呟くと、真美先生が真似し始め、それが結構似ていて3人でまた笑った。
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