幸せってなんじゃろね

文字数 1,788文字

 ただ漠然と、幸せになりたかった。それなのに、幸せになる方法が分からなかった。
 腹が満ちれば、それは幸せ。美味しいもので腹を満たせれば、更に幸せ。
 しかし、それはその時だけの幸せだ。幸せを持続する方法は、ずっとずっと分からなかった。
 ある時は、その理由を過去の自分のせいにして、過去の自分を呪っていた。数年以上は、そうしていただろう。だけど、ある時に気付いてしまった。自らの呪いで、過去の自分から幸せを奪っていたのではなかろうか……と。

 それに気付いてからは、徐々に過去の自分を呪うことはやめた。未来の自分を祝福してみようとも試したが、こちらは持続しなかった。祝福したところで、何も良いことは起きはしなかった。過去も変えられはしない。過去は既に存在してしまっている。そうして、それに気付いて、漸く自分はスタートラインに立てた。
 兎と亀は、兎が油断したから勝てただけ。兎が油断しなければ亀は勝てない。人間だって同じだ。持たざる者が、他者に勝つには努力だけでは覆えせない差がある。スタートラインに立つのさえ遅れてしまった自分が「人並みの幸せ」を手に入れようと欲するなら、並大抵の努力では足りないだろう。

 持つ者は、道を進むのも速い。例え、道の途中で躓いたとしても、それを挽回することも出来る。持たざる者は、ただひたすらに進むしかない。それも、道ならざる道を進むしかない時さえあるのだ。
 そして、道ならざる道だけに、ゴールへ向かって進んでいるかすら分からない。ゴールとは別の方向に、持てる力の全てを使っておきながら、無駄な方面だけに力を使っている時もある。それは、大きく道を外れるまで気づかず、また違和感を覚えていても、見て見ぬふりをすることさえある。

 本来進むべき道が苦難に満ちている程に、間違った道を進みに進み、手遅れになって漸く気付く人も居るだろう。それこそ、間違った道が行き止まりになった時に。取り返しのつかなくなった時、正しい道に引き返すことも出来ない程に進んでしまった後で、それに気付く人も居るだろう。
 そんな時は、今まで持っていた地図を破り捨てるのが良いかも知れない。今までの凝り固まった考えは捨て、新しいやり方を模索する。当然、それは容易なことではない。だが、やらなけらば前には進めないのだ。

 地図を破り捨てた後、何処へ向かえば正解なのか。とあるミュージックビデオを真似て、鏡を覗いてみることにする。否、その一連のミュージックビデオが公開された頃に沼ったキャラを勝手に参考にする。
 幸せを求めてもがいたキャラを参考にすれば、何処かに幸せになれるヒントがあるかも知れない。「エッセイ漫画で毒親育ちが幸せを手に入れるパターン」では、ほぼほぼ「優しく理解のあるパートナー」と出会っている。だから、それらのエッセイ漫画は、私には全く参考にならない。なんなら、「白馬の王子が幸せを連れて来るのを待っているのは、幼稚園児で卒業しておけよ」位に思う。それ位に、他者が幸せを運んで来るとは考えられない人間だ。ついでに言えば、なんやかんやで白馬より鹿。王子と言えばスシ。

 常々、「クソみたいな精神科医に金を落とす位なら、傷の舐め合いの方が心の傷は癒される」と思っている人間ですが、それは鬱状態になった時に、運悪くクソみたいな精神科医に担当されただけの話。患者の話を聴く精神科医に当たっていたなら、そこまでの皮肉を言うこともなかっただろう。そして、これは話に出した漫画の中の話だけど、メスを持ち歩く外科医強い。しかも、処方した薬は効果抜群であった。
 いや、薬が効く前に、処方箋を受け取ったキャラが死にかけてはいた。だが、こちとら熱を出した時に受けた定期試験で満点を叩き出した身。体力的に追い詰められた時に、逆に思考がスッキリすることは否定出来ない。むしろ、「死にかけた方が、冴え渡る説」さえ唱えたい。

 そんなこんなで、何となく該当キャラが幸せを手に入れたら、自分なりの答えが見つかる気がしていた。そして、見事にそのキャラは戦いの中で成長を遂げ、照れ笑いをしてくれたのである。そんな訳で、私も照れ笑いをしておこうと思った次第。
 漫画のキャラと自分を重ねるのことに否定的な人も居るだろう。だが、そう言った楽しみ方もまた一興だ。漫画の読み解き方など、それこそ読者の数だけある。私はそう考える。
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