第1話

文字数 2,484文字

 与志朗と三吾は月明りのない夜道を歩いていた。人々が寝静まった町で、二人は砂を踏みながら唇を噛んでいた。
 ずっとこの黒夜の中で歩いていたい。
 永遠にこの時が続き、朝なんてこなければいいのに。
 二人は同じ思いを抱えながらも口には出さなかった。
 三吾はじわりと目の奥から湧き出る涙をこらえるが、震える唇からは「うっ」とこらえきれなかった声がもれた。
 静寂の中、その声は与志朗の耳に届いた。
 ごめん、ごめん。
 与志朗は心の中で何度も謝った。

 明日、与志朗は良家に婿入りをする。
 望んだ婚姻ではない。与志朗は三吾と一緒にいたかったし、三吾もまた与志朗と生涯を共にしたかった。
 同性の婚姻は認められていないが、そんなことをせずとも二人は一緒にいるだけでよかった。
 しかし、現実は残酷にも二人を切り離す。
 それは最初から分かっていたことだが、それでも、二人は希望を持っていた。死ぬまで一緒にいたい。そう思っていたが、やはり婚姻から逃れられない。

「明日の昼には、向こうの家に行くんだ」

 与志朗は声を絞り出した。
 だからこれが最後だ。
 そんな言葉は言えなかった。

「そっか」

 三吾はそう言うだけで精一杯だった。

 与志朗の家は貧しく、弟が四人もいる。父は早くに亡くなり、母は病気で伏せている。兄は所帯を持ち、家にはいない。与志朗は毎日働き稼いでいるが、借金は一向に減らない。母と弟を背負いながら借金を返済する余裕はなかった。
 そんな時、良家の娘が与志朗に惚れた。
 誰にでも優しく、朗らかな笑顔を浮かべる与志朗に惚れたのだろうと三吾は確信している。
 なぜなら三吾も、そういう与志朗を好きになったからだ。
 与志朗が金に困っていることを知った良家の娘は、婿入りと引き換えに金銭的援助を申し出た。婿入りすれば金が手に入る。母の薬代や生活費、借金がすべて解決できる。
 家族を選ぶか、三吾を選ぶか、与志朗は悩みに悩んだ。

「おふくろさんも、楽になるな」
「……あぁ、そうだな」
「三男の末太はやせっぽっちだから、たらふく食わせてやれよ」
「……あぁ、そうだな」

 与志朗の背中を押したのは三吾だった。
 愛した男に酷な選択をさせたくなかったため、与志朗の悩みを知った三吾は痛む胸を抑えながら婿入りをすすめた。
 そうするしかなかった。「俺を選んでくれ」なんて死んでも言えない。与志朗がどれだけ家族を大切に思っているか、三吾は理解していた。
 本当は、嫌に決まっている。
 嫌で嫌で仕方がない。
 行かないでほしい、婿入りなんてしないでほしい。ずっと傍にいてほしい。
 婿入りなんて召使と変わらない。肩身の狭い思いをしながら毎日を過ごすのだ。外へ出るときは許可を得なければならないし、子づくりの使命もある。毎夜伽をさせられるなんて想像するだけで吐きそうだ。そんな生活を与志朗にしてほしくない。
 しかし、家族のためにはそれが一番良い選択であることは明らかだ。

 このまま連れ去りたい。
 与志朗の手を引いて、どこか遠い町でひっそりと暮らしたい。
 気を抜けば、与志朗の手を掴みそうだった。

 この闇がすべてのみ込んでくれたらいいのに。
 歩を進めた先に光は待っていない。
 静かに涙を流しながら、二人は黒夜を歩く。

 互いの手が触れた。
 三吾は与志朗の手を掴んで走り出したい衝動に駆られるが、拳を握ってその衝動をかき消す。
 三吾の心情を悟った与志朗は、三吾の拳を左手で包む。

 後悔することになるかもしれない。あの時、この手を掴んで走っていれば、と。
 それでも、与志朗を連れて逃げ出すなんてできない。与志朗は家族を見放すような薄情者ではない。そんな薄情者に、させたくもない。

 三吾は息を吐き、ゆっくりと与志朗と指を絡める。
 つながった手は、互いの体温を確認するように、感触を忘れないように動く。
 きっと、これで最後だろう。
 与志朗は良家の娘と夫婦になり、子をつくり、家庭を築く。周囲からは婿殿と呼ばれ、肩身の狭い思いをし、血のつながった子よりも低い立場となるのだ。
 それでも、もしかしたら、良家の娘が素晴らしい人間なら、与志朗を同等に扱ってくれるかもしれない。
 三吾は少しでも与志朗の幸せを願っていた。
 その幸せな未来には、三吾がいるはずだった。

「与志朗」
「うん?」
「もし、お前が不幸になったら、俺は殴り込みに行くからな」
「はは、捕まっちまうよ」
「いいんだ。俺は、お前に幸せになってほしいからな」

 周辺は暗く、明かりなんてないはずなのに、三吾が苦しそうに笑って涙を流しているのが分かった。
 与志朗はそれを見て、何も言えなかった。
 ごめん、ごめん。
 何百、何千と心の中で謝罪した。
 貧乏でごめん、借金があってごめん、家庭が重くてごめん、一緒にいられなくてごめん。
 口に出せば楽になるだろう。けれど、言ったとしても、三吾は優しいから許してくれる。許す言葉をくれる。
 自分が楽になりたいために吐き出し、許してもらい、慰めてもらうなんて、与志朗にはできなかった。

「なぁ、もし」

 三吾はごくりと喉をならし、言葉を切り、足を止める。
 せめて、これくらいは言わせてほしい。
 贅沢は言わない。
 だからほんの少しの欲張りを許して。

「もし、良家の娘が死んで、その親も死んで、子どもが巣立って、お前が一人になったら、その時はまた一緒にいてくれるか……?」

 二人の瞳から大粒の涙が瞳からこぼれる。
 声を出して泣く三吾の頭を撫でた。

「当たり前だ。俺にはずっと、三吾だけだ」

 三吾は声を押し殺しながら顔を覆う。
 自分のせいで、三吾が傷ついている。泣かせている。その事実が与志朗の胸をえぐった。

「三吾、三吾、絶対にまた一緒にいよう。俺は長生きするから」

 三吾は大きく何度も頷き、しゃくりあげながら「俺も」と答えた。
 愛おしくて、哀しくて、離れ難くて、与志朗は両手を三吾の背中にまわした。
 もうすぐ、朝がくる。
 離れる時が近づいている。
 あぁ、嫌だ。
 与志朗は唇をかみしめ、三吾を抱く腕に力を入れる。
 このまま時間が止まればいいのに。
 二人は互いの体温に触れ、永遠を願った。
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