宇宙離婚旅行

文字数 1,855文字

「はい、その件は、すでに進展がありまして、必ずやご期待に添えるかと……」
 電話の途中で、ちらっと、俺を見た。
 受話器を置くと、
「どうぞこちらにお座りください」
 こちらも、あちらもない小さな事務所に、小太りで、さも愛想笑いとわかる表情で俺を窓口の椅子に座らせた。
「はい、どちらの方面をご希望でしょうか」
と言っているわりに手には俺の望む旅行のパンフを持っている。
「こちらで取り扱っている〝宇宙離婚旅行〟について知りたいんだけど」
「ありがとうございます」
 小太りの旅行インストラクターは、表立って公開されていない旅行プランを問い合わされたことには興味はなさそうだった。ちょっと姿勢を正して、
「私どもの業界には、〝無人島の恋愛〟というカテゴリーがございます。外界と遮断されることで、必ずカップルが生まれる。というものでして、我が旅行社はそれを宇宙空間で展開し、しかもその逆を考えたのでございます。すなわち、男女を別れさせるために、宇宙船の中に二人きりにしてやる。すると、船から降りる頃には、二度と顔を合わせたくない関係になると。なんとなく熱が冷めたお相手と手早く離婚したい方や、不倫などの弱みがあるものの慰謝料を払いたくない方からの絶大な支持をいただいております。そんな簡単ではない。とお考えかもしれませんが、我が社のデータがそれを実証しております」
 男は、一気に、しかも自信たっぷりに言い切った。
 数日前、妻と共通の友人から、酒の席で、
「昔、昔。〝成田離婚〟ってのがあってな。慣れない新婚旅行先の外国で、おたおたしている彼氏に嫌気がさして、日本に着いたとたん別れ話となる。今や、新婚旅行は宇宙時代だから、その宇宙版となると〝ロケット・ステーション離婚〟とでも云うのかな。しかも、裏社会では、わざと離婚できるよう仕組まれた旅行プランを発注できる旅行社もあるそうだ」
 俺にとっては、のどから手の出るほどの情報だが、しれっと聞き流したふうを装った。そして、ようやくこの旅行インストラクターを突き止めたのだ。

 一ヶ月後、俺と妻だけを乗せた自動操縦型の宇宙船は大気圏を抜けるとすぐに事故が発生し、地球その他どこにも連絡が取れない状態になった。計画通りだ。
「あなたの云うことを訊いてうまくいったことはなかったわ。いつもこの有様よ」
 ここだ。ここで怒らせて、性格の不一致という理由で離婚に持ち込まなければ。しかも妻から。
 妻は、散々俺に罵声を浴びせ、怒り狂って別室に移動。こちらから絶対離婚を切り出さず、あくまでも、妻からの提案で渋々離婚に同意するという形をとる。この閉ざされた空間は、妻を追い詰めるのに最適だ。しかも、ここでは、俺の不倫情報にアクセスできない。俺の不倫が離婚の理由にならない以上、財産の取り分は、五分五分になる。しかし、それではだめだ。妻が、一方的に離婚をしたがっている状況をつくりだすことで、条件はこっちに有利になる。離婚の落とし所は、まあ、七対三くらいにすることだ。ここで、離婚のサインを手に入れさえすれば、地球に戻った時には、俺には新しい彼女との生活が待っている。

「もしもし、私ですけど」
「奥様、一応その宇宙船からは、設定上、あまりこちらに連絡をされないほうがよろしいんでございますが」
「ええ、わかっているわ。ちょっと確認したいことがあって。今回の旅行の前に、宇宙旅行用に夫の生命保険の増額をお願いしましたけど、ちゃんと、手続きは済んだかしら」
「はい、完了しております。でも今回は、円満な離婚のための旅行ですので、あんな高額な生命保険は、無意味かと……」
「意味があるか、ないかは、あなたが決めることじゃないわ。あなたには、夫の依頼に忠実に、宇宙船を手配していただいて感謝しているわ。それを前もってお願いしたのはわたしだけど」
「はい、奥様のおっしゃられたとおり、数日後、旦那様が当社においでになりましたので、ご希望の旅行をご紹介いたしました。それ以上のことは関与しておりません。それではよい結果をお祈りしております」
「ありがとう。それで結構よ。でも、もしかしたら、通信機器の事故の最中に、もう一つ事故が発生して、帰りは一人になるかもしれないわ。例えば、夫が、修理のために宇宙船外に出て、そのまま宇宙空間に飛んでいってしまうとか……。そうなると、離婚訴訟ではなく、生命保険が必要なるわけよね。忙しくなりそう。でも、落ち着いたら、新しい彼との旅行を企画していただこうかしら。もちろん安全な奴をね」

「――は、はい」
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