第1話

文字数 1,998文字

 その写真を見て、妹の16歳の誕生日のことを思い出した。

 妹が高校に入学してチアリーディング部に入った、と電話で母から聞かされて、まず僕が言った言葉は一言「嘘でしょ。」
 母は僕が父と全く同じことを言ったと言って笑った。
 当時、僕は社会人二年目で、既に実家を出ていて、妹とはほとんど会えていなかったが、僕の知る限り妹とチアリーディングを結びつけるものは全くなかった。
 母によると、新入生歓迎会で見たチアリーディングに憧れてという理由らしいのだが、本を読むことが好きで、中学三年間を美術部で過ごした妹がチアリーディングをする姿が僕には想像出来なかった。

 7月の終わり頃、父から妹の高校の文化祭で、妹がチアリーディングの初舞台を踏むので、帰ってくるようにとメールが来た。それは9月の第三日曜日で、偶然にも妹の16歳の誕生日だった。
 僕は夏休みをその前後の日に取って帰省することにした。
 当日、僕は父と母と一緒に妹の高校の文化祭に出かけた。父はこの日のために最新のビデオカメラを購入していて、僕が撮影をするということになった。
 9月にはなっていたが、残暑はまだ続いていて、その日も快晴の夏日だった。
 午後1時に校庭でチアリーディングは始まった。僕たちの他にも多くの人が見に来ていた。走って来て整列するチアガール達の四列目の右から二番目に妹がいた。
 ほら、あそこあそこ、隣で母が父に妹がいる場所を教えている声がした。
 髪の毛をポニーテールにした妹は、黄色と緑の鮮やかな色のユニフォームと見たことのないくらい短いスカートを身に纏っていた。
 僕はビデオカメラを構えた。
 音楽が流れてきて、パフォーマンスが始まった。僕はビデオカメラのファインダー越しに、笑顔で懸命にパフォーマンスをする妹の姿を追い続けた。
 パフォーマンスが終わり、チアガール達がグラウンドを去って、僕はビデオカメラの停止ボタンを押した。
 隣を見ると母が顔を両手で覆って泣いており、父が母の肩に手を置き、優しく頷いていた。

 その日の家の夕飯では、当然、妹のチアリーディングの話題で持ちきりとなった。繰り返し感動を伝える両親に対して、妹は嬉しそうに感謝を伝えた後、振りを間違えてしまった箇所があったことを反省してもいた。
 両親との会話が一段落つくと、妹は僕の方を向いて、「お兄ちゃんはどうだった?」と聞いてきた。その声にはちょっとした心配のニュアンスが含まれているように感じた。
 父と母も僕の方に顔を向けた。
「凄くよかったよ。」と僕は答えた。「女子高生みたいだった。」
「何、それ。」と妹はくちびるをツンととがらせて言った。
「私、ピチピチの女子高生なんですけど。」
 その不満そうな答え方と、ピチピチの女子高生という絶妙にダサいフレーズがあいまって、父と母は吹き出した。
 勿論、これは僕の軽いボケだったのだけれど、妹が今しっかり女子高生になっているということはとても嬉しいことだったのだ。

 妹が中学校に行けなくなったのは、中学三年生の二学期になってしばらくたってからのことだった。クラスメートと上手くコミュニケーションがとれなくなってしまい、心が傷ついて学校に行けなくなってしまったのだ。父と母にとっても辛い時期だった。
 当時、僕は社会人一年目で、家を出て一人暮らしを始めたばかりで、今までと全く違う環境の中で、こちらもアップアップしていた。仕事を辞めたいと何度も考え、辞表を書いたこともあったが、これ以上親に負担をかけられないと思い、なんとか踏みとどまっていた。
 妹は、担任の先生の助けもあり、なんとか出席日数をクリアして中学校を卒業出来ることになった。しかし、高校は第一志望を諦めて、少し離れた学校に遠距離通学することになった。
 一年前は部屋で泣いてばかりいた妹が、溌剌とした笑顔でチアリーディングのパフォーマンスをする姿を見せてくれたことは、父と母にとって、そして僕にとって、本当に嬉しいことだったのだ。
 食事の後、僕は妹に誕生日プレゼントとして腕時計を贈った。入学祝いを渡していなかったので、それも含め、初めて出た夏のボーナスを注ぎ込んで、ある有名ブランドの高級な腕時計を買ったのだった。
「まあまあいい時計だぞ、大事にしろよ。」と僕が言うと、妹は嬉しそうに受け取り「ありがとう。大事にする、する。」と調子よくお礼を言った。

 LINEに送られてきたその写真を見て、妹の16歳の誕生日のことを思い出した。
 自分の娘が高校に入ってチアリーディングを始めたということを嬉しそうに綴った文章と一緒に、チアガールのユニフォームを着た姪と、嬉しそうに笑っている妹の二人が写っていた。その笑顔は妹が16歳の誕生日にチアリーディングで見せた笑顔の延長線上にあった。
 そして、妹の袖口からは、僕が彼女の16歳の誕生日に贈った、まあまあいい時計が顔をのぞかせていた。
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