第1話

文字数 4,051文字

 朝の日の光が分厚い雲に覆われた空から地面に降り注ぐ。辺り一面を粉雪が覆っていて、線路には白い雪の層ができていた。スーツケースを持つ手先が冷たくなっている。雪は相変わらず降り続いた。ぼんやりとした意識のまま、ただ遠くの景色を眺めていた。雪はいつだって、この季節になるとやってくる。僕は時々、憂鬱になることがあった。でも今日でようやくこの町を後にして、東京へ行く。電車が来るまではまだ時間がある。駅の待合室にいてもよかったのだが、どうせ最後だし、こうして雪を浴びるのも悪くない気がしていた。
 振り返ると、小学校からの友達の桜井が後ろに立っていた。
「よお」
 彼はそう言って、笑い、白い歯を見せた。
「なんでここにいるんだよ?」
「今日は暇だったんだ。それにしてもお前、全身雪だらけじゃないか」
 彼は僕の隣まで歩いてきた。
「もうこの町も最後だからさ。せっかくだから、雪を浴びてお別れしようと思ってね」
 僕は少し投げやりな気持ちでそう言った。桜井は相変わらずにやにやしている。彼は進学校に進んで、地元の国立大学に進学することになっていた。
「お前、高校で大変だったんだろ?」
「別にそれほどじゃないよ。ただ馴染めなかっただけで」
 僕は高校時代のことを思い出した。なんとなく鬱屈としていて、楽しいものではなかった。運よく東京の私立大学に受かったのがせめてもの幸運だった。
「まぁ頑張れよ。夏休みは帰ってくるんだろ?」
「東京に着いたら電話するよ」
 電車は向こう側からゆっくりとやってきた。僕はいざ東京へ行くと思うと少し緊張していた。桜井は周りの風景を眺めている。昔から一緒にいたせいか、彼には気を許すことができた。
 電車は駅のホームに停車した。ドアが静かに開く。
「じゃあな。頑張れよ」
 桜井はそう言って僕に手を振った。僕は手を振り返し、電車に乗った。体には無数の雪が付いていたが、軽く振り落として、端の席に座る。桜井は僕のことをじっと見ていた。少しだけ寂しそうな表情にも見えた。僕はもう一度彼に手を振り、ドアが閉まって、電車が動き出した。
 窓の外の景色が移り変わっていく。昔から見てきた懐かしい光景だった。家々の屋根も田んぼも雪に覆われていた。徐々に心の中に不安と寂しさが沸いてくる。今までのことを思い出して、別の道もあったのではないかと思う。本当は桜井と同じ大学に通いたかった。でも高校生の頃、周囲と馴染むことができなかったせいで、あまり勉強ははかどらなかった。
 
 終点の駅に着くと、電車を降りた。駅の中を、スーツケースを押して歩いていく。駅にはたくさんの人がいた。スーツを着た会社員もいたし、制服を着た学生の姿もあった。皆それぞれの目的に従い歩いていた。
 改札を抜けて、券売機で新幹線の切符を買った。エスカレーターを上り、ホームに立つと、次の新幹線が来る時刻が表示されている。僕はホームにある売店で弁当とお茶を買った。新幹線がやってくると、ドアが開き、乗り込んだ。半分くらいの席が空いていたので、窓際の席に座った。しばらくすると、新幹線は動き出した。いよいよここを離れることになったのだなと実感した。
 窓の外の風景が変わっていく。弁当を食べながら、そんな光景を眺めていた。車内販売が通りかかったので、ホットコーヒーを頼んだ。百五十円を渡し、カップを受け取った。コーヒーを飲みながら、窓の外を眺めていた。
 スマートフォンが振動したので、画面を見ると、中学校の頃の友人からメッセージが来ていた。
「お前も東京に来るのか?」
 彼は立花といって、中学を卒業すると、東京の高校に進学した。水泳をやっていて、全国大会に出るほどの選手だった。
「今、向かっているよ。新幹線の中」
 僕はメッセージを送り、しばらく待った。
「桜井から聞いたよ。東京駅に今から行くからさ。久しぶりに話でもしようよ」
「わかった」
 僕は立花のことを思い出していた。彼は僕よりもずっと明るくて友達が多かった。高校時代にはインターハイに出たみたいだし、スポーツ推薦で大学に入学することが決まっている。僕は会うのに若干の後ろめたさも感じていたが、一人で東京にいるよりはずっとましだと思った。何よりここまで来て、僕はこれからの生活に緊張を感じていた。
 新幹線は駅で停車し、人が少しだけ入れ替わった。東京に着くまで、後一時間だった。胸が鼓動しているのが伝わってくる。今までの生活を思い出して、ようやくそれも終わるような気がしていた。
 徐々に外の景色が変わっていき、住宅が多くなっていった。雪は止んでいた。こんな光景を見るのはずいぶん久しぶりだった。ビルが多くなってきた頃、東京に到着するとアナウンスが流れた。それは僕の中で何かが変わる転機のような気がした。その時、思い浮かんだのは、雪が降る地元の景色だった。そして高校時代の鬱屈としていた頃の記憶が蘇っては消えていった。とにかく、僕は高校を卒業したし、これから新しい場所で新しい生活が始まるのだ。

 東京駅に降り立つと、冷たい風が吹いていた。駅のホームを降りていくたくさんの人の中を歩いていった。地元とはどこか違う緊張感を感じた。立花とは東京駅の出口の改札で待ち合わせをしていた。ビルが並び、たくさんの看板がある景色に一瞬戸惑った。人混みの中を先へ進んでいき、待ち合わせをしていた改札に立花は立っていた。
「久しぶりだな」
 彼はそう言って微笑んだ。昔より雰囲気が変わっていて、大人びて見えた。
「久しぶり」
 僕は改札を抜けて、立花と一緒に東京駅の周辺を歩いた。高いビルが連なっている。
「桜井は地元の大学か」
 立花は背伸びをしながらそう言った。
「僕も本当はそこに行きたかったんだけどね」
「まぁいいじゃん。あいつは昔から頭よかったしさ」
 信号の前にはたくさんの人が立っている。不思議と隣に立花がいるせいか、あまり緊張は感じなかった。
 僕らは駅の側にあるハンバーガーのレストランに入った。四人掛けの席に向き合って座った。店内にはジャズの音楽がかかっている。壁は木目調で、数枚の絵が掛けてあった。僕らはハンバーガーのランチを注文した。
「高校時代いろいろあったんだろ?」
「まぁね。実は通ってない時期もあったんだ」
「どうして?」
「なんか馴染めなくなってさ。鬱屈としていたんだ。高校に通わなくなった時、自分だけが弾き出されたような気がしてね」
「でも、卒業して東京に来たんだろ」
「いろいろあったけどさ、最後は何とか頑張ったんだよ」
 ハンバーガーが運ばれてくると、僕らは食べ始めた。ぼんやりと周りの景色を眺めていた。どうやらまだ東京には馴染めそうもなかった。
 雪が降る中を歩いた記憶が蘇ってくる。隣には中学生の時、付き合っていた彼女の佐々木詩織がいる。彼女と僕は雪が降る中を歩いて、駅に向かっていた。そこから電車に乗って、映画館へ行った。彼女とは卒業してから疎遠になってしまい、自然と別れた。楽しかった時期のことが脳裏に浮かび、泣きたいような気持ちになる。どうして僕はここにいるんだろう。なんだかまだ十八年しか生きていないけど、それが途方もない時間のような気すらした。
 立花はハンバーガーを食べ終えると、コーラを飲んでいた。どこか彼には余裕を感じる。僕はスーツケースを席の隅に置きながら、少しだけ惨めな気持ちになった。果たして僕は大学で上手くやっていくことができるのだろうか。様々な不安が押し寄せてきては消えていく。

 ハンバーガーを食べ終えると、僕らは駅に戻り、在来線に乗った。立花は僕が住んでいるアパートまで来るということだった。午後の太陽が街を照らしている。窓の外の風景は住宅が遠くまで連なっている。電車に揺られながら、窓の外の風景をただ眺めていた。立花は僕の隣でスマートフォンを見ていた。電車は各駅停車で、駅に止まると人が入れ替わっていく。
「中井は、彼女いないのか?」
「中学の時、詩織と付き合ってからはいないね。高校では友達すらいなかったからさ」
「まぁこれから俺たちは大学だしな。時々会おうよ。俺たち以外と住んでいるところ近いからさ」
「立花は上手くいっていて、いいよな。大学では水泳部だろ? 選手を目指しているの?」
「インターハイには出たけどさ。俺はそこまでの才能しかないんだよ。完全に諦めたわけではない。水泳は好きだし、大学でも続けようと思った。でも選手になる気はしないんだ」
「そっか」
 電車は乗り換えの駅で、停車し、僕らは降りた。いくらか落ち着いた雰囲気になっていた。東京の西側に大学はあったので、どこか雰囲気が都心とは違う。電車を乗り換えて、また端の席に座った。
「高校で、クラスメイトが自殺したことがあってさ。そのこと知らないよな?」
「知らない」
「結構可愛くて、大人しかったけど、普通の人だったんだ。でもある日、部屋の中で首を吊ったらしくてね。俺はショックだったんだよ。少し話をしたこともあったし。彼女が何を抱えていたのかは知らないけどさ」
「なんだか少し気持ちがわかるような気がする」
「そう?」
「俺もそこまで追い込まれたわけではないけどさ」
 僕の住むことになるアパートの最寄り駅は駅前が商店街になっていた。落ち着いた雰囲気でどこか住みやすそうな雰囲気を感じた。
「いいとこだな」
 立花はそう言って、先へ歩き出した。不動産屋へ行って、アパートの鍵を受け取った。アパートまで歩いて行くと、穏やかな風が吹いていた。アパートは住宅街の中にあって、隣は公園だった。階段を上り、部屋のドアを開ける。中はワンルームだった。シャワーとトイレとキッチンがついている。一人で暮らすには申し分ないように感じた。
「じゃあ俺はそろそろ行こうかな」
 立花はそう言って、靴を履いた。
「ありがとう。大学が始まったらまた会おうよ」
「わかった。じゃあな。いろいろあったかもしれないけどさ、これから新しい生活が始まるんだ。頑張れよ」
 彼はそう言って部屋を後にして、ドアを閉めた。

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