一話完結

文字数 2,824文字

 「へやの電気、消してくれない?」
「……どうして?」
「なんか、そういう気分なの」
「そんな気分、へんなの」
 クスクス、クスクス。
「ちょっと、なに笑ってんのよ」
「いや、わるい、わるい。すぐに気が変わって、電気つけろとか言わないでよ」
「言わないわよ、そんなこと。いいから。おねがい」
「分かったから、ちょっと待ってくれ」
 よっこいしょ。たんたんたん。たんたんきゅっ。
「うわっ、やめてよ、おならなんて」
「ちがう、ちがう。裸足だから床をキュッてしちまった」
「ふふ、分かってるから、はやく消して」
 たんたん、かちっ。
「……ありがと」
「消しても、月とか外の明かりで、案外みえるもんだな」
「そうね、がっかり」
「そうか、これはこれで、趣きがあるってもんじゃないか」
「おもむき」
「そ、趣き」
 たたた。ぱかっ。ドン。かしゅ、しゅわー。
「せっかく暗くしたのに、見えてるように動くのやめてよ」
「え、だって、飲みたくなったんだもん」
「さっきまでおもむきとか言ってたくせに」
「月の光で、飲むのが乙ってもんさ」
 ごくごく。ごくごく。
「お前も飲むか」
「やめてよ。わたし飲めない」
「これくらい、別にいいだろ。おれの方が、よっぽどダメなことしてんだから」
「いいのよ、あんたは」
 ごくごく。ドン、ドン、ドン。スタッ、シュッ。
「ちょっと、そんなドタドタ、怒ってるの?」
「そうじゃない。さっき転びそうになったからさ」
「そ。ね、ね。わたしの隣こない?」
「今日はほんとにどうしたんだ。お前らしくない」
「らしくないって何よ。わたしはいつも通りでしょ」
「そうか、うーん、そうか。よく分かんないな」
「いいから、ね、こっち来て」
 スルー、スルー。シャッ。
「こっちむいて」
「暗くてよく見えない」
「ふふ、あっはは。ねえ冗談やめて」
「冗談じゃない。ほんとだって」
「案外みえるって言ってたじゃん」
「外、見てごらん。月が雲に隠れちゃってる」
「冷蔵庫、目がみえないまま行けるなんて、すごいじゃん」
「そりゃ、自分の家だからな、すべてを知り尽くしている」
「だったら、わたしのすべてを知ってよ」
「知ってるつもりさ」
「うそね」
「嘘じゃない。これは本当だ。だから家に入れた」
「うそよ。なにも知らないわ。なんにも知らないわ」
「本当さ」
「だったら、言ってよ」
「なにをだ」
「いま、わたしがして欲しいと思うこと」
「そりゃ、これだろ」
 しゅるる、ギュっ。サササ。
「……あったかい」
「ありがとう、お前は冷たい」
「えー、ふふ、ありがと」
「感謝しないでよ。恥ずかしいじゃん」
「あはは、ごめんね」
「あったかいよ、あったかい」
「うん、みんな、あったかい」
 カラカラ、ポツン、ポツン。
「外は寒いぞ、これ」
「今日の天気、晴れだったのに」
「すぐに止むさ。ほら、外見てみろ。奥はもう晴れてる」
「みえない。みえない」
「ほら、奥だよ、あっち。あのビルの方」
「みえない、みたくない」
「あぁ、なるほど」
「うそつき」
「なにがさ」
「わたしのすべて知ってるって言ったじゃん」
「お前のことはすべて知ってるさ。でも、女は一ミリも分からん」
 ザー、ザー、ザー。
「しにたい」
「ん、なんだって」
「わたし、しにたい」
 ザー。ザー。ザー。
「……そう」
「わたし、もう何がなんだか分からないの。分からない。分からない。なんで、いっしょにいたらいけないのよ」
「まだ、もうちょい時間がかかるってだけだ」
「わたし、わるい子なのかな」
「ちがう、きっとおれが悪いんだ」
「それこそ、ちがうわ。誰もわるくない。誰もわるくないの」
 ザー。ザー。さー、さー。
「しにたい」
「よく言った」
 さー、さー、さー。
「痛い、痛い、つよい。ちょっと、やめて。くるしい」
「黙ってろ。黙って、静かに」
 さー、さー、ぽつり、ぽつり、ぽつり。
「……心臓のおと」
「ん?」
「心臓、すごく、ドキドキしてる」
「こんな若くて、かわいいやつ、やめろ、言わすな、照れちまうだろ」
「いままで、一度もしてくれなかったのに」
「今日だけ、今日だけだ」
「やーね、おじさんが少女を抱きしめるって。セクハラよ、セクハラ」
「よせよ。だから今まで、やらなかったのに」
「ははは、やーい。セクハラ、セクハラ」
「そんなこと言うなって。なんだ、お前、やけに嬉しそうな声してるじゃねえか」
「あっはは。セクハラ、セクハラ」
「もう、やめるかんな」
「だめ、だめ。もうちょっと、もうちょっとだけ」
「わかってる」
 ぽつり、ぽつり。さっ、さっ、さっ。
「雨、やんできたな」
「あったかい」
「外はさむいぞ」
「あったかい」
「なんで雨が降っているときより、止んだ後のほうが冷えるんだろうな」
「あったかい」
「あったかいな、あったかいな」
「うん、あったかい」
 ピンポーン。ピンポーン。
「なあ、すこし、話さなければいけないことがある」
「……いや」
「大事なはなしさ」
「いや、いやだ」
「三年。三年でいい。がんばって生きろ」
「しぬわ。わたし、きょう、しぬわ」
「若いんだからさ、熱しやすく冷めやすいんだよ」
「どっかに薬ないの? いっしょに飲もうよ」
「三年さえ、経っちまえば、少なくとも、おれらは」
 ピンポーン。ピンポーン。
「聞け、たのむ、聞いてくれ」
「いたい、くるしいから、はなして、はなして」
「すまん、ごめんな」
「まって、はなさないで、はなさないで」
「あったかいだろ。ひとは、あったかいもんさ。ひとはみな、あったかいんだ」
「あなただけよ。あなただけ」
「明日からさ、な?」
「わたし、しぬわ。あさって、決めた。わたし、しぬわ」
「死ぬな、たのむ。おれのためにも生きてくれ」
「おねがい?」
「そう、そうさ、お願い、お願いだ」
 ガチャガチャ。ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。
「わたし、たぶん無理よ」
「無理じゃない。三年だ。それまで、それさえ乗り切ったら」
「いま、しにましょう? このまま、抱きしめあいながら、いっしょに」
「三年、必死に働けば、きっと、それなりに貯金もたまる。そしたら、どこかに行こう。近くだけじゃなくて、うんと、遠くまで」
「パソコン開いて。いますぐ。調べなきゃ。しにかた」
「ほら、外、見てみろ。月だ。月が、顔をだした」
「わたし、血はいやだ。みるだけでも気持ちがわるい」
「三年、誕生日になったらさ、この月のしたで、また会えるといいな」
「おふろ。おふろよ。どうして気がつけなかったの、わたしたち」
「おれ、覚悟できてる。覚悟してたから、おまえのことを」
「いますぐ沸かしましょう。お互い、裸になって。はじめて、わたしたち、裸を見せあうね」
「近づくと、こわいもんだな」
「裸のからだを見せあってさ、照れながら、おふろに入って、裸で抱きしめあって、そして——」
「忘れてた、伝えることを忘れてた」
「浮かないように、重いものも持っていきましょう。テレビとか、なんでも詰めてさ、ふたりっきりになって」
「愛してる」
「わたしもよ」
 ドン、ドン、ドン……。バンバンバン。
 たんたんたん。たんたんきゅっ。たんたんたん。
 カチャッ。
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