第1話

文字数 1,924文字

「ねえ、リョウくん今度の課外活動行く?」
「坂本教授の?行くよー」。
「じゃあ、私たちも行くー」。
「楽しみだな。講義始まるから行くねー」。
女子の歓声を背負い歩き出したリョウの横に、友達のシンが現れ、並んで歩きだす。
「おまえのそのキャラ、そのポテンシャルはなんだ?」
学業もバイトもボランティアも全力でこなし、人当たりが良く、女子にモテるリョウに、不満顔でシンは訪ねる。リョウは、はにかんだ笑みを浮かべる。余計に腹が立ったシンは更に問い詰める。
「誰もが距離を置く陰キャラだったよな?陰でも陽でも嫌いじゃないけど、俺はキャラ変の理由が知りたい。留学か?留学がキッカケか?教えてくれー」。

小学校に上がる頃には、シンの言う陰キャラが備わっていた。ブーツに対して異常な興奮を覚えるのだ。皮製品と足の裏の汗が入り混じった匂いを胸いっぱいに吸い込むと、焼肉屋の前を通りかかって、換気口からもれ出た煙を吸い込んだときのような至福を覚えた。ブーツを履いた足に踏みつけられると、ブーツ越しに伝わる重みに体中が熱くなった。
ブーツに対する執着は生理現象に近かった為、好みのブーツを見かけると人が履いていようが、脱ぎ捨ててあろうが、本能のままにすり寄った。幼少期の頃は、ブーツをおもちゃに遊んでいるとみなされたが、少年期になると、気味悪がられ、周囲の人が距離を置くようになった。人前でさらしてはいけない行為だと気づいた。
高校生になるとバイトを始め、理想のブーツを密かに収集し、ブーツで踏んでくれる行為をお金で買うようになった。フェチ専門のサイトで知り合った女性にお金を払い、河原で踏みにじられているところを、同級生のシンに目撃された。次の日、強請られるのかと怯えていたが、シンは普通の世間話をした。
「おまえ、男前でイイやつなのに残念な性癖でバランスいいね」。
毎日会話をするようになって半年が過ぎた頃、シンは言った。初めて出来た友達だった。
同じ大学に進学したシンは、社交的でサークル活動も始め、毎日忙しそうだった。一人暮らしを始めた俺は、ブーツに対する執着をエスカレートさせていった。
冬休み、シンに誘われて長崎へ旅行した。シンはヨットサークルの合宿のついでに、自分の世界にこもりがちな俺を連れ出してくれたのだ。
シンがヨットの合宿をしている間、ガイドブックを片手に一人で観光地を巡った。吸い寄せられるように赴いたスポットに、海を臨むブーツの銅像が鎮座していた。ゆっくりと近づき、そっと手で触れた。触れた瞬間、銅像のブーツを履きたくなった。ブーツをこよなく愛し、崇めている俺は、ブーツを履いたことは一度もなかった。
衝動に抗えず銅像のブーツに足を入れた途端、暗い谷底にどこまでも落ちていった。恐ろしい落下スピードに、ブーツを冒瀆した罰だと感じた。
目を覚ますと、日差しのきらめきと陽だまりの温かさを感じた。鼻をつんざく臭いが体中にまとわりついていて不快だった。野太い声で怒鳴り合う集団の声が聞こえた。ひと際、威勢のいい声が近づいてきたかと思うと、内臓が飛び出そうなほど強く踏みつけられた。獣臭が目に沁みた。更に重みが増し、全身の骨が粉砕された。持ち上げられては叩きつけられる肯定が無限に続いた。五感の全てから痛みが入り込み、細胞レベルまで分裂していった。細胞になっても意識だけはあった。石に打ち付けられ、砂の上を転がり、泥にまみれる日々は地獄であった。
いつしか、頭上から聞こえる声の主を『ぬし』と呼ぶようになった。頭上にいるときは、苦痛を与えるが、少し離れると、苦痛はなくなり、話す声がよく聴こえた。いろんな場所へ行き、いろんな人と話をしていた。俺に話しかけてくれることはなかったが、ぬしの声や話が好きだった。永遠に続く苦痛から解放されたいが、ぬしとは一緒にいたいと願った。
「おまさんも、こじゃんとくたびれて、ごくろうさん。わしゃまだまだ世界中を歩きたい。付き合うてくれるか相棒」。
ぬるくやわらかいものを俺にあてがいながら、ぬしが初めて声をかけてくれた。
「どこまでも、どこまでも……ぬしと共に」。
ぬしと心が通じ合えたと思った矢先のことだった。空気がピンと張りつめた闇の中で、不穏な音が響いた。
「リョウマー」。
物がぶつかる鈍い音、金属の金切り音、怒号、悲鳴、足音、静寂……。むせ返るような血の匂いと共に間欠泉で拭きあげられるような感覚が体中に走った。
目を開くとシンの顔が迫ってきた。
「リョウ、大丈夫か」。
「……」。
ブーツの銅像前で倒れていたところを通行人に救助され、病院に搬送されたのだ。
長崎旅行から帰って、ブーツを履くようになった。
留学をした。
人々とつながった。

竜馬さん、俺は単純な男です。
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