音信不通の友だち

文字数 2,984文字

「菜々美 ごめんね」
 スマホのメッセージに気が付いたのは、次の日の朝だった。
 麻里子が私に謝るなんて、いったい何の事だろう。不思議に思って返信したが、その後、連絡はなかった。

 麻里子は大学時代からの友だちで、社会人になってからも付き合いがあった。ともすれば感情のままに行動してしまう私に、いつも冷静、沈着な目でアドバイスしてくれる彼女は、頼りになるお姉さん的存在だった。
 大学卒業後、それぞれ違う会社に就職してからは、しょっちゅう会うことは出来なくなったけれど、メッセージのやり取りはいつものように続いていた。
 こちらからスマホで連絡すると、いつでも彼女は反応してくれる。だから、一週間も返信がないと心配になる。
 いろいろ考えてみても、謝られる理由が思いつかない。もしかしたら、互いの間で何か誤解があったのかもしれない。
 私が何かをしでかしたのなら話を聞きたい。場合によっては謝るから、連絡くらい入れてほしい。連絡できない状況なの? もしかして彼女に何かあった?

 休日の日曜日、麻里子が住むマンションに行ってみた。彼女は大学時代から一人暮らしをしていて、誘われて何度か遊びに行ったことがある。
 エレベーターに乗って部屋のある階で降り、彼女の部屋のインターホンを押す。しばらく待ったが応答はなかった。
 今度はトントントン、とノックをしてドアに耳をあててみた。ドアの向こうからは、何の音も人の気配も感じられない。
 どこかに出かけていて留守のようだった。
「その部屋の人は、先週引っ越して行ったよ」
 作業服姿の男性が話しかけてきた。
「えっ、どこに?」
「俺は清掃員だから、その辺のことは分からないけどね」
 麻里子がどこかに引っ越して行った。その事実に驚き、落胆した。
 どうして教えてくれないの?
 黙っていなくなるなんて信じられなかった。

 どうしても彼女に会って話がしたい。
 私は勇気を出して彼女の勤務先に電話をしてみた。見知らぬ会社に電話をする緊張感と、彼女に繋がるかどうかという不安でドキドキしていた。
 彼女から貰った名刺に書かれている所属と名前を告げて待っていると、電話口の女性が淡々とした口調で言い放った。
「遠山は退職しましたが」
 退職⁉ その言葉に衝撃を受けたが、気持ちを落ち着かせて訊ねた。
「あの、彼女の住所は分かりますか?」
「それについては個人情報になりますので……」
 電話を切ると、しばらく呆然としていた。連絡先が途絶えてしまったことで、麻里子はどこか遠くに行ってしまったように思えた。
 寂しさと失望感が、じんわりと心の中に広がっていった。知らないうちに、彼女に避けられていたんだと悲しくなった。
 麻里子、私、何かしたの? 教えてよ。


 麻里子と連絡がとれなくなって三年が過ぎた。
 日々の生活の中で知らず知らずのうちに、スマホを見る癖がついてしまった。彼女が連絡くれたかも、といつも思っているせいだ。
 どこかで新しい人生を見つけて暮らしていてくれればいい。きっとまた連絡してくれるはず。そう思いながら過ごしてきた。
 私は社内で配属先が変わり、新たな可能性を試すチャンスに恵まれた。自分の力がどのくらいあるのか、それ以上に発揮することできるのか、自分自身を試せるやりがいのある仕事だ。
 数日前、上司から遠方の取引先へ出張を命じられた。先方のスケジュールに合わせての訪問になるため、日帰りは無理だろうとの判断だ。これまで日帰り出張は何度かあったが、遠方への出張は初めてだ。
 取引先は、新幹線で四時間ほどの距離にある地方都市だった。車窓から、のどかな田園風景を眺めて和んでいるうちに列車は到着した。
 先方への訪問時刻まで、まだ一時間ほど時間がある。私は駅ビルにあるコーヒーショップで時間を潰すことにした。駅前広場が見渡せる明るい窓際の席に落ち着くと、コーヒーを飲みながら外の景色をながめていた。
 窓の向こうはバスの発着場になっていて、行先別の看板の前で列について待つ客と、到着したバスから降りる客がいそがしそうに交差していた。
 しばらくすると、すぐ目の前のバス乗り場にベビーカーを押した男性が現れた。
 あれ? あの人……。
 会社に出入りしていた取引先の男性によく似ている。でも、こんなところにいるはずはない、他人の空似だろう。そう思っていると、男性の元に女性が駆け寄ってきた。
 私は唖然としてしまった。その女性は麻里子だった。
 普段着のラフな格好をした麻里子が、ベビーカーから赤ちゃんを抱きあげると、男性と楽しそうに会話を始めた。

 以前、私は麻里子に恋愛相談をしたことがあった。片思い中の男性をどうやって振り向かせたらいいか、状況報告を兼ねてアドバイスを貰っていた。
「菜々美は強引な所があるから、気を付けたほうがいいよ」
 私は、会社の取引先の男性に思いを寄せていたのだ。
「今度、ご飯でも一緒に」と彼を誘ってみたら、困った顔をされてしまった。
「いきなりデートみたいになっちゃうから、気が引けるんじゃない?」
 それもそうかと麻里子に指摘されて気が付いた。
 それではと、麻里子も誘って一緒に食事会をすることにしたのだ。
 三人で顔を合わせての食事会は、終始和やかで楽しいひとときとなった。帰宅後、早速麻里子にお礼のメッセージを送った。
「今夜はどうもありがとう。楽しかったね」
 麻里子からすぐに返信が届いた。
「この調子で上手くいくといいね」
 その後しばらく連絡が途絶えて、最後に来たのが〝ごめんね〟のメッセージだった。

 私はしばらくの間、呆然と彼らの姿を見つめていた。
 ある日いきなり失踪した友だちがすぐそこにいる。探しても見つからなかった友だちがそこに立っている。なのに、一目散に走って会いにいけなかった。
 私にとってその人は、友だちなのかどうかよく分からなくなっていた。私が勝手に友だちだと思っていただけだったのか。彼女にとって私は、大学時代の知人にすぎなかったのか。
 勘違いをしていた自分に呆れる自分がいた。傷ついている自分を憐れんでいる自分もいた。
 音信不通のままそっとしておいたほうが、いい友だちでいられたかもしれない。常にスマホを気にしながら生活していたほうが、心穏やかに過ごせたかもしれない。
「なんだ、そうだったのか……」
 無意識のうちに独り言が飛び出した。口をついて出た呟きは、自分を納得させているようにも思えた。
 何も見なかったことにして、この場を立ち去ろう。彼らを他人の空似ということにして通り過ぎれば、いつもの自分でいられる。未だ彼女からの連絡は届いていないのだから、今まで通り音信不通の彼女を待つことができる。これまでと変わらずに、彼女と友だちでいられるのだ。
 私はコーヒーショップを後にすると、駅前広場に出た。向かう先は、歩いて十分ほどの場所にある。駅から出て行く人の流れに沿って、駅前の大通りに向かって歩いた。
 ふと立ち止まり、バス乗り場の方に視線を向けると、彼らはまだバスを待っていた。赤ちゃんを囲んで楽しそうに会話をしている。
 幸せそうな彼らの姿に、私の体は反応した。次の瞬間、方向転換してバス乗り場の方に向かって歩いていた。
 いまさら会ってどうするの?
 心の中の自分が呼びかけていた。その声を聞きながら、私はゆっくりと彼らの方に歩いて行った。
(了)

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