バイク

文字数 3,547文字

“START”
 ペダルを踏み込む。最近のバイクはずいぶん進化している。ギアの重さ調整だけでなく、モニターの映像とともに車体が傾き、山道から砂浜まで、ヴァーチャルサイクリングも楽しめる。だが効率を求める者にそんな遊びはいらない。モニターのタイマーとハンドルについた心拍計があればいいのだ。
 高速回転で心拍数を150まで上げて20秒キープ、その後休んで120まで落として10秒。この繰り返しが最も心肺機能を向上させるらしい。ウォーミングアップを終え、メニュー開始。腿に力を込める。
“72”
“83”
“92”
 みるみる心拍数が上がっていく。酸欠防止に呼吸を忘れないように。フッフッフッとリズミカルな呼吸は気分を高揚させてくれる。
“120”
“133”
“140”
“150”
ここからだいたい20秒漕いで、力を抜く。
“142”
“138”
“129”
“120”
 ここらへんで10秒休む。
 こんな具合で計8セット4分。これだけが何十分もランニングするよりも効率がいいという。タイパは最高だがかなりのハードワークだ。3セットもすれば息はゼェゼェ脚はパンパンだ。
“120”
 ジムに入会してから数ヶ月、週3日サボらず通い続けている。今はYouTubeにいくらでも情報があるからメニューに迷うことはない。日々更新される情報を取り入れて、トレーニングを最適化してくれるトレーナーのようなものだ。言われた数字さえ守っていれば“ながら”でこなしてもいい。辛いときはモニターをテレビに切り替えて気を紛らわせられる。心拍数とタイマーは枠外にある。これがまたいい。今はCM中だ――
「H・EFITのフィットネスバイク、以下の品番に心拍計の不具合が発覚したため、自主回収を実施しております――」
 今使っているバイクだ。少し焦ったが、今までと感覚に変化はない。問題ないだろう。2セット目――
“150”
20秒
“120”
 人生、流されるときは流されるまま、学校、家庭、会社、地元地域、日本、大小さまざまな社会でそれぞれに従って生きてきた。振り返れば非効率極まりないことだらけだったと思う。理不尽に耐えろ、そういうものだからと、無駄に神経をすり減らしてきた。効率よく物事をこなす充実を知れたことが、ジム通い最大の収穫かもしれない。抑圧された精神の開放感は、解放された奴隷もかくやと思う。
 ニュースが始まった。
「発生した太陽系光線の影響により、あらゆる電子機器への異常が懸念されます。光線発生中は、できるだけ使用を控えることをおすすめします。現在の光線量は――」
 今まで問題ないし、よしんばあってもフィットネスバイクだ。危険があるとも思えない。勝手にペダルが高速回転して足がもげるかも。そうなったときの降り方はシミュレーションしておこうかな。
 心拍数を見る。
“113”
 少し休み過ぎてしまったか。再び力を込めると――
 バイクが上を向き始めた。
 傾斜には一切手をつけていない。先程の光線の影響なのか?だが見れば良いのは心拍数だけだ。なんの問題もない。
 3セット目――
“150”
20秒
“120”
 やはりこの個体は正常みたいだ。問題は俺の体力だ。このハードワークについていけるのか。己との戦いである。YouTuberの良FIT氏はいつも言っている、そのハードワークは誰のため?自分のため。トレーニングは己との戦いだ。
 4セット目――
“150”
20秒
“120”
 半分終えた。あと半分。ついつい意識してしまい、その油断が疲れを呼び込む。今までをもう一回繰り返す。それが近いようで遠いことを知っている。
 テレビで気を紛らわせる――
 ニュースでYouTuberの謝罪動画が映されている。“YouTuberの良FIT こと 小池良氏”
「この度は私が言ったトレーニングメニューで、死んでしまわれた人が出た、という最悪の事態となってしまい、ほんとうに、申し訳ありません。そのメニューは削除して、しばらくは、投稿を、お休みさせていただきたいと思います――」
 良FITだ“そのメニュー”ってなんだ?このメニューかもしれない。しかし死者が出るほどのメニューならオレがこなせるはずはない。違うのだろう。折り返しの5セット目――
“150”
20秒
“120”
。息も絶え絶え、倒れこんでしまいたい。だが息を吸い込むたび、高効率が染み渡る。この感覚には代えのきかない充実がある。6セット目――
“120”
“119”
 力を込める──
“115”
“108”
 どうして?心拍数が下がっていく。心拍計が反応していないのか?ハンドルを握りしめる。
“98”
“91”
“84”
 気づけば20秒。センサーが反応していないのか?汗が冷たくなってきた──
 一旦機械は捨てよう。
 ハンドルから手を放し、脈を取りながら20秒漕いで見る。7セット目――
20秒
 秒間の脈拍からして80台ということはなさそうだ。だがこの気持ち悪さ、本気で漕げない気持ち悪さは予想以上のものがある。
 再びハンドルを握る。リセットされて元に戻るかもしれない。
“63”
 数値が急激に下がり始めて笑ってしまった。 間違いなく故障だ。
 オレは生きている。それがオレの感覚がた正しい証明だ。足をもがれる前に気づけてよかった。よし10秒、ラスト1セット――
 まて。理性から声がする。
 表示がおかしいならタイマーの異常も疑うべきだ。おれは疲労を言い訳に、表示される数字に従っていたがために、無知蒙昧のままに効率的な運動量を超過していたのでは?現にこんなに疲れたことは今までない。
 オーバーワークだ。効率の臨界点を超えたトレーニングは何もしないより悪質だ。無駄に疲れて、体も壊す。
 いやまて。
 自主回収のCMを思い出す。心拍計の不良は機体のものだ。光線ではない。とすればタイマーは正常ではないか?ならば時間的には正しい量をこなせたと言える。
 ならば今感じている疲れが大きいのは気のせいということか。
 たしかに今日は慣れたメニューを崩されて精神的に疲弊することがあった。重いペダルに無駄な力が入ってしまった部分もあるだろう。
 納得すると、こんな状況で7セットをこなしたということが誇らしく、更にこのメニューを完遂することにより価値があるように思えてくる。 
 これは神が、効率化を他所に求めてばかりのオレに課した試練なんだ。なんとしてもこのメニューをこなして見せる。誰のためでもない、オレのため。
“55”
“52”
“49”
 故障と分かっていても、下がり続ける心拍数に肝を冷やしている自分がいる。
 クソ、クソ、クソ!惑わされるな!
 腿に力を込める。ペダルの抵抗力に脚力が勝てない。上を向いた車体はオレを振り払うように左右傾きだす。振り落とされそうだ。
 狂っているのはこいつかオレか、証明してみせる。
 立ち漕ぎになり、全体重をペダルに乗せる。汗が吹き出している。血が駆け巡り、体が熱を帯びる。狂いはない。オレはできる。死ぬほどハードなトレーニングをやっているわけじゃない。そういえばさっきの謝罪動画の歯切れも不自然に悪かった気がする。光線の影響で本来のニュアンスが途切れたのかもしれない。180度違う可能性がある。タイマーはあと10秒、10秒間にこれだけ考えられている自分の集中に驚く。
“9”
 こんな心拍計なんか頼れるか。あと1セット、この状態で20秒耐えればオレの勝ちだ。
あと10秒
5秒
“0”
4,3,2,1――
 終わった。
 俺は勝った。宇宙に、神に、今までの自分に。効率はときに効率以上を生み出すのだ。効率を超えることは理屈を超えること、運命を超えるということだ。
 体力が残っているなら叫びたい。エクスタシーだ。脳が痙攣しているように視界がちらつく。このまま少し休ませてもらおう。
モニターに顔を当て、目を閉じた。

 太陽系光線は急激に活性を弱め、国民を拍子抜けさせた。
「心拍計に異常はありませんね。モニターも正常です」作業員はモニターの汗を拭き取った。
「車体の制御機能だけが電磁波の影響を受けたみたいです」
「そうなんですか」少し不安げにスタッフが応じる。
「最後に使われた方は、不運というか、運命のいたずらというか――」
「YouTuberのせいもあるのか、入会してすぐ無理をする人が増えてるんです。うちも注意書きは作っているんですけどね、あそこに。無理のない範囲で行いましょうって」
 スタッフが指し示す先、“お客様へのお願い”のポスターの下、10項目のうちの7個目を、作業員は目を細めて見た。
“個人のできる範囲で、無理のないようにお願いします”
「それで、バイクの回収は?」
「もちろん対応しますよ。対象品番はすべて回収するので」
「ならよかった」 
 後日バイクは交換された。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み