第1話

文字数 776文字

 誰かの虹彩が宇宙の限界なのだが、ぼくらはその虹彩の円のなかにある暗い、そして広大な宇宙に、どんな時代でもくらしているし、それは永遠だからから、けっきょくは悩みながらも、意思も介在できない世界に生きていて、「いきつく」ことはできなくて、円環のなかにいるのだ。
 誰かがぼくたちを認知(認識)してくれるかもわからない。認知されたとしてもガラスが反射したその一瞬。それよりも短い時間にぼくたちはいなくなる。
 ミラン・クンデラがいったように、永遠とは一瞬。

 ぼくたちは何をのぞんだのだろう? ぼくの人生がよくなりますように。あるいは人類がまちがいに気づきますように。

 どちらを望んだのだろう?

 個人は間違い、人類はたんなる個人の集合ではないにせよ間違う。そして
「何をしたとしても」間違いではない。

 村上春樹の新作で、「わたしたちは誰かの影にすぎない」とあった。

 照射する光源がなんであるか、ぼくたちは知ることがないだろう。しかしぼくたちは影だ。ぼくはいないし、あなたもいない。観念こそが実態であってぼくたちは観念がかたちづくった形象(判別するひつようはないかもしれない)。それでも誰かと誰かが重なって、かつてあったかもしれない(実はあった)形象をかたちづくりつづける。
 「誰か」はいたのだし、その人は消えることがない。

 そして円環は閉じたものだから、それを生きる。円環とは村上春樹が「壁」と表現したものであり、ニーチェが永劫回帰といったものである。

 鍵はあっても、つかう者などいたためしがなかったのだ。
 いや、鍵はなくて、でもそれがあるかのごとく生きることがぼくたちにできるすべてなのだ。

 円環はぼくたちを護り、ぼくたちはそれを破る。でもその実、破ったことはない。


 ぼくたちの世界は「誰かの」虹彩の内側の、暗い瞳のなかを永遠に(一瞬、そして永遠に)

 風はいつも
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