第1話

文字数 1,836文字

 高校時代に山岳部で知り合った麻衣は、社会人になっても縁が続いている、数少ない友達の一人だ。三十過ぎても独身の私と違い、そうそうに結婚して二児の母となった麻衣に悩みは尽きないようだった。夫の浮気、噛みつき合いの大喧嘩をする子どもたち。苦しそうな表情でそれらを吐き出していた、半年前の麻衣はもういない。
 久しぶりにカフェで会った麻衣が晴れやかな表情で語るのは、「ママ友の仙藤さん」のことだった。私たちより十歳ほど年上の仙藤は、前世が見えるという。あまりの胡散臭さに、私は眉をひそめた。
「その仙藤さんにはお金を払っているの?」
「そんなことしないわよ。みんな、お礼にお菓子を持っていくから私もそうしてる」
 麻衣のあっけらかんとした物言いに少し安心した。金銭は絡んでいないようだし、他にも仙藤と交流している人がいるなら大丈夫だと思ったのだ。気楽な気持ちになった私は、紅茶をすすりながら問いかけた。
「そういえば、子どもたちは元気? 前に会った時は喧嘩ばかりで困ってるって言ってたけど」
「それが仙藤さんに見てもらったら、うちの子、前世で敵同士だったのよ。だから、仙藤さんが離して育てた方が良いって」
 微笑みながら話す麻衣を見て、私は首を傾げた。子ども同士を離して育てるという発言に釈然としなかったし、麻衣の近くに肉親や親戚は住んでいないはずだ。誰が子どもを預かるのかと疑問をそのまま投げかけると、麻衣は笑みを崩すことなく言った。
「仙藤さんが上の子を預かってくれてるの。私とあの子の前世は継母と継子の関係だったらしくて、一緒にいてもあまり上手くいかないんですって」
 無邪気に、しかし不思議な熱を持って語る麻衣に背筋が寒くなった。スピリチュアル的なものを信じるのは個人の自由だと思うが、それが子どもにまで影響を及ぼすのは間違っている。
 麻衣と別れて家に帰ってからじっくり考えた私は、彼女をハイキングに誘うことにした。麻衣に現実を見てもらうためには、いったん日常を離れて、学生時代に一緒に登った山に行くのが良さそうだと思ったのだ。
 次の休みの日、待ち合わせの登山道入り口に現れた麻衣の隣には、でっぷりと肉をつけた中年女性がいた。
「仙藤さんのご主人が子どもを見てくれるっていうから、仙藤さんもお誘いしたの」
 悪びれた様子も見せない麻衣に一瞬たじろいだが、仙藤がどういう人物なのか知るチャンスだと考え直した。
 ハイキング中、仙藤は初対面の私にも気さくに話しかけてきた。前世について語りだすようなこともなく、悪い印象はなかった。
 一方で、仙藤に対する麻衣の気遣いは痛々しいほどだった。腰が痛いと言う仙藤の荷物を持ち、休憩のたびにコップに注いだお茶やお菓子を手渡す。仙藤の方も遠慮する素振りはいっさい見せず、当然のようにそれを受け取る。そんな麻衣の姿に焦燥感が募った。
 山頂での昼食の後、隙を見て、離れた場所に麻衣を呼びだした。なんの疑問も持たない様子でついてきた麻衣に、私はまくしたてた。
「あの仙藤って人、おかしいよ。前世が見えるっていっても、なんの証拠もないじゃない。麻衣の悩みに合わせて適当なこと言ってるだけだよ! 相談に乗ってくれるから麻衣は頼りにしたいんだろうけど、それに子どもを巻き込んじゃだめ。しっかりしてよ、麻衣!」
 私の言葉を最初は驚いて、次第に俯きながら聞いていた麻衣は震えていた。やがてパっと顔を上げたときには、今まで見たこともないような憤怒の形相で。
「私の気持ちなんてわかるわけない!」
 そう叫んで、私を正面から突き飛ばした。その時まで私も、おそらく麻衣も気づいていなかった。茂みに隠れた私の背後が、急な斜面になっていたなんて。小さな茂みは私の体重を支えきれず、私は背中から斜面を滑り落ちた。そしてその先の大きな岩に後頭部をぶつけて……。蒼白になった麻衣は、私を置いて走り去った。
 あれから一年が経った。今も同じ場所で、白骨となった私は岩を枕に枯葉をかぶっている。私がこの山に来たことは、麻衣と仙藤しか知らない。麻衣が黙っていられるわけはないから、仙藤が警察に届けさせなかったのだろう。まだ誰も探しに来ないということは、麻衣は今も仙藤の呪縛から解けていない。
 私はどこで間違えたのだろう。何度も再生する記憶に、最後に聞いた麻衣の叫びがこだまする。私はただ、受け入れてやれば良かったのだろうか。否定したりせず、前世なんていう不確かなものに頼らざるを得なかった、麻衣の気持ちを。
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