第1話

文字数 6,407文字

 生き返っちゃった……。
 たくさんの墓石が、月灯りに浮かび上がっている。細長い雲が満月の前を、ゆっくりと通り過ぎる。墓石の上に流れてゆく雲の影は、夜に活気付く魑魅魍魎(ちみもうりょう)の行進を映しだしているようだ。墓地の真ん中で、魑魅魍魎ご一行様から(はぐ)れてしまった、ちっぽけな物の怪のように、僕は、ぽつん、と突っ立っていた。り、り、り、と秋の虫の()だけが響く、ほの明るい闇に包まれて。
 なんでだよ。せっかく死んだのに。
「おめぇ、まだ寿命じゃないんだよ」
 (かす)れた低い声が、耳の奥に(こだま)した。驚いた僕は、飛び退いた拍子に、すっ転んで尻餅をついた。
「ひ……」
 その姿に(おのの)いた。真っ黒いフードを被り、真っ黒いマントを揺らめかせて(たたず)む、骨と皮と(すじ)しかない男。肉はどこへ置いてきた? 妙に鎖骨の浮き出た、その老人は、視線を絡ませるように、じっ、と僕を(にら)んでいた。ん、マントの中は、意外と和風な芥子(からし)色の着物だな。薄汚くて、ボロボロの。
「どっ、どなたですか」
「誰だと思う」
 老人は、ニヒヒ、と控えめな声で笑った。
 見当も付かない。いや、嘘言った。見当は付いている。言いたくないだけだ。
「死、にが、さん、ですよね」
「あぁ? なんだってぇ?」
 後ろ手を突いて座り込む僕に、わざとらしく耳の後ろに手を当てて、老人が顔を寄せる。
「死神さんでしょ!」
「ピポン。その通りぃ」
 ふざけてる……。
「僕、死んだはずなんですけど」()
「さっきも言ったろ。寿命じゃないんだよ」
「だからって、生き返ります?」
「それ。それがミス」
 ミスぅ?
「ミスって何なんですか。どういうことですか」
 僕は思わず、死神の胸ぐらを掴んだ。
「おっと。舐めんじゃないよぉ?」
 掠れた声でささやいて、死神はマントの隙間から、湾曲する刃をちらりと覗かせた。死神に付き物の、鎌というやつか。それにしては()っせ。農作業用じゃん。
 だが僕は、反射的に手を離した。一度自分で死んだ人間が、死ぬのが怖いなんて、笑う事象だけど。
「僕、なんで生き返ったんですか」
「言うの三回め。まだ寿命じゃないからさ。で、俺のミス」
「だから、ミスって何なんですか」
「ほんとうはさ、寿命だろうが、寿命じゃなかろうが、死んだ人間は生き返らせちゃいけないの。でもさ、俺、おめぇが死んだことに気がついてなくてさ。蝋燭(ろうそく)、そのまんまになってたからさ、間違って、おめぇの蝋燭に火が()いちゃったんだよね」
「何の話ですか」
「この世に生きとし生けるものってぇのはさ、俺たち死神によって、寿命を管理されているんだけどぉ……」
 とろとろと長い話を要約すると、こうだ。
 この世に生きとし生けるものの寿命は、死神が管理している。で、命あるものは皆、寿命の永さに見合った蝋燭が用意されている。で、新しく生まれてくる赤ん坊の蝋燭に火を点けたのだが、隣にあった、すでに死んで、消えていた僕の蝋燭にも火が移ってしまった。
「ミスってぇかさ、はっぷにん」
「ハプニング、ですか。ひょっとして」
「それだ、それ。はっぷにん。ジジイなもんで、カタカナには、とんと(うと)くてさぁ」
 ささやくように、ニヒヒと笑う。
 ため息をついて、僕は立ち上がった。ズボンのお尻に付いた土を払う。
 あれ? お尻の手応えがない。僕は自分のお尻を振り返った。
 え、ない。
 右、左と、何度もお尻を(のぞ)き込む。
「ない……」
 えっ、えっ。
 腿、お腹、胸、顔、パタパタと叩くように確かめる。だが、すべて手応えがない。
 手のひらを向けて両手を見る。
 えっ……。
 僕が、ない。
「僕、生き返ったんじゃないんですか」
「生き返ったよ。けどさ、火葬しちまっただろ、体」
「火葬。え、じゃあ、僕、今、どうなってるんですか」
「何もない。魂の存在は感じるけど」
「魂。え、でも、でも、さっき、僕、転んで、尻餅ついて」
「気の迷いだ。勘違い。そんな気になってるだけ。体があったときの名残だよ」
「名残って」
「骨、組んでやろうか。でないと俺も、どこに向かって喋っていいか、分かりにくいわ」
「骨を組む?」
「骨壷にあるだろ、おめぇの骨」
「あ」
 手を見ると、骨になっていた。小指の先に、黒い煤のようなものが付いている。だが押し並べて真っ白で、焼いたとは思えないほど綺麗に輝いている。言うが早いか、僕の骨を組み上げたんだ。仕事が早い死神だ。
 僕は、またパタパタとあちこち叩く。肉はない。鎖骨や(あばら)の横棒や、骨盤の板に触れるだけだ。
「ちょ、僕、今、骸骨?」
「おんもしれぇ」ヒャヒャヒャと笑う。
「面白がらないでくださいよ! もう! 怖いってぇ!」
 僕は自分を振り払うように、ぶんぶんと腕や脚を振り回した。僕の骨だから当然なんだろうが、骨は僕から離れない。死神は、暴れまわる僕を見て、ウヒャウヒャと笑っている。
「タコ踊りか」
「これでもブレイキンやってたんですよ」
 なんにしろ、踊っているわけじゃない。
「何、それ、ぶれきん」
「ブレイキンです。ブレイクダンス」
「何でもいいけどさぁ、そろそろ、また死なね?」
 どきりとした。心臓が止まって死ぬかと思った。いや、心臓ないけど。
「え、いまさら」
「死にたかったんだろ」
「そうだけど、せっかく生き返ったのに」
「変なやつ」ニヒヒと笑う。
 そうだね……死にたかったはずなのに……変なやつだね……。
「でも、おめぇ、生きてるって言っても、骸骨だぜ」
「そうですよねェ!」僕は頭蓋を抱えて、しゃがみ込んだ。「生き返ったって言うんですか、これ」
 僕は涙声になっていた。
「申し訳ねぇことしちまったな」
 死神は、僕の肩を叩いた……訂正。死神は、僕の肩の『骨』を叩いた。
「じゃ、もっかい死ぬか」
「だぁ! かぁ! らぁっ!」
 嫌だって言ってんじゃん、もう。
 僕は、しばらく黙り込んだ。何を考えていいか分からなくなった。涙で緩んだ鼻を啜る。
「死神さんて、ひとりひとりの名前って、あるんですか」
「俺ぁ、善右衛門だ」
「死神のくせに、いえ、死神なのに『善』なんですか」
「死神は『悪』じゃねえ。生と死の秩序を保つ存在だ。おめぇみたいに好き勝手に生まれたり死んだりされちゃ、地球人口どうなると思う。たいがいのやつぁ死にたがらねぇから、すぐに人でいっぱいになっちまわぁ。善人ばかりならまだしも、悪人も大勢はびこることになるんだぜ。混沌どころの話じゃねえや。たとえば食糧不足に自己犠牲的に死んでくれるのは、思いやりのある善人だ。自分勝手なやつばっかりが生き残ると思わねぇか。おめぇの名前はカイだろ。墓と蝋燭に書いてある」
 善右衛門さんは、マントの内側から何か取りだした。
「何ですか、それ」
「これが、おめぇの蝋燭だ」
 縦長のドームケースに入った蝋燭。小さな燭台部に、小さなキャプションパネルが付いている。そしてパネルには、確かに僕の名前が書いてある。蝋燭は七センチほどの長さで、赤い炎が煌々(こうこう)と揺らめいている。
「活きがいいねぇ。まだ七十年生きられる」
 善右衛門さんがニヒヒヒと笑うと、持っている蝋燭がカタカタと揺れた。赤い炎が、ふらふらと揺れている。
「わわ! 消えちゃう消えちゃう! なんで持ち歩いてるんですか!」
「消えたら、すぐに片付けねぇといけないからさ。はっぷにんが起こる前に」
「ハプニングです。もう、ほんとに。消さないでくださいよ」
「俺が消すわけにゃいかないんだよ。死神といえども、蝋燭を消す権利はないの。通常は、蝋燭が自然に燃え尽きて消える。つまり寿命だな。ところが、おめぇのように、自分で命を絶つやつがいる。そうすると、炎は消えて、蝋燭が残る。それに気がついて、早々に片付けなきゃいけないんだが、担当の蝋燭の数が多すぎて、見過ごしちゃうことがある。で、今回みたいな、はっぷにん」
「ハプニングです。で? 何のために僕の前に現れたんですか」
「言ったろ。ミスったって」
「それは聞きました」
「ミスは修正しないといけないんだよ」
「修正?」
「怒られちゃったんだ。閻魔様によ」
「上司ですか? 神様もリーマンみたいなんですね。で、修正って、どうするんです」
「死んでもらうのさ、おめぇに、もっかい」
 一度死んだ僕だが、やはり、どきりとするもんだ。
「殺されちゃうんですかね、僕、あなたに」
「それはできない。俺がおめぇを殺すわけにはいかない」
 ほっとした。
「じゃあ、なんで来たんですか」
「見届けねぇといけないんだよ。おめぇが死ぬまで。で、死んだらすぐに蝋燭を片付けて、閻魔様に、終わりましたぁ、って報告する。厄介なことになっちまったよ。はよう、もっかい死んでくれ」
「嫌ですよ。結構大変なんですよ、自殺するのも。方法とか、場所の選定とか、道具の準備とか、遺書を書くとか、何より心の整理とか。何度も何度も考え直して、中止したら中止したで、その度に後悔して。ああ、やっぱ、あのとき思い切って死んじゃえばよかったとか、情けない意気地なしだとか、ぐるぐるぐるぐる、何度も何度も堂々巡りして」
「いいから死ね、ほれ、はよ」
「何ですか、その言い方。心、ないんですか」
「元はと言えば、おめぇのせぇだろ。寿命でもないのに死んじまうから」
「だって……」僕は、また涙ぐんでしまった。
「だってじゃねぇ。なんで、そんな、おめぇも周りも、誰も(とく)しねぇこと、したんだよ」
「それが……」
 生まれたばかりの頃からの幼馴染(おさななじ)み三人。高校生になって、僕とユアは付き合い始めたが、相変わらずリクと三人で遊んでいた。ところが、ユアとリクが度々、ふたりでいるところを見かけるようになった。僕は、恋人と親友のふたりに、同時に裏切られたんだ。
「ふうん。そんなことで死ぬんかい」
「そんなことって!」
「まぁ、いいさ。生きるも死ぬも、おめぇの命。おめぇの自由かもな」
「ご理解ありがとう。でも、僕、もう、とりま、自殺しませんから。とにかく家へ行ってみます。ここにいてもしょうがないんで。ミスってくれて、ありがとうございました」
 僕は善右衛門さんに別れを告げて、墓地から出た。田畑だった周辺が、少し歩くと民家が増えてきた。空が白みはじめ、通りは明るくなってきた。
「きゃあっ!」
 女の人の声が聞こえて、僕は後ろを振り返った。芝犬を連れた初老の女性が、僕を見て震えている。女性は僕から目を離さずに、二歩後ずさると、くるりと(きびす)を返して、犬より速く、バタバタと走り去った。
 何があったんだ?
「おめぇさぁ」
 僕の後ろから、善右衛門さんが、ふうっと前に回ってきた。
「どこから見てたんですか。しつこいなぁ」
「何でもいいけどさぁ、おめぇ、今、骸骨なんだぜ」
「あっ!」
 そうだった。どうしよう。このままうろついてたら、もっと騒ぎになる。
「しょうがねぇなぁ。ミスのお詫びだ。マントの内側に入りな」
「えっ。でも、善右衛門さんが人の目に触れたら、それはそれで」
「このマントを被ると、普通の人の目には映らねぇんだよ。西洋の仲間からのぷれっぜんとだ」
「僕には善右衛門さんが見えています。僕、普通じゃないんですか」
「どう(かんげ)ぇても普通じゃなかろうよ」
「あぁ……」
 現実を突きつけられた。
「ひっ!」
 善右衛門さんは、僕の背中に飛び乗った。まるで子泣き爺だ。善右衛門さんより僕のほうが背が高いので、こうしないと僕の全身がマントに隠れないんだ。嫌だな。いよいよ、ほんとに取り憑かれた感じ。
「どこ行くの。彼女んち?」ニタニタと。
 確かに、ユアの家は、もうすぐそこだ。僕は、ピンク色のコスモスが咲くプランターの前で立ち止まった。声をひそめる。
「姿が見えなくても、声で見つかっちゃうんでしょ。静かにしててくださいよ。あ、ほら、彼女です」
「いってきまーす」
 ユアが家から出てきた。ほのかな香りを残して、僕の目の前を通り過ぎる。ミニスカートを(ひらめ)かせて、ラケットを手に、スポーツバッグを肩にかけている。テニス部の朝練だ。
 僕がいなくても変わらない日常、か。
 しばらく()けていくと、同じくテニス部の朝練に向かうリクと合流した。ふたりとも笑って話をしている。
 僕がいなくても楽しそうだ。
「仲良しだねぇ」
「うるさいな」
「あぁ?」
「すみません! でも、マジ黙ってて」
 また涙、出てくるから。
 朝練は、女子と男子に分かれての練習だった。ふたりは別々のコートで、それぞれ違う相手と打ち合っていたが、たまに目が合うと目配せし合っていた。
 僕は授業中も日がな一日、同じクラスのふたりを観察していた。いつもにこにことして、ときにふざけ合ったり、ふたりは、僕がいたころと何も変わっていなかった。ただ、そこに、僕がいないだけだった。
「やっぱり僕は、いなくてもいいんだよ」
「じゃ、もっかい死のうぜ」
「でも、面倒っちゃ面倒だし、怖いことは怖いし」
「じゃあ、お詫びのサービス」
 何、さっきから。ソシャゲの詫び石かよ。
「蝋燭の蓋を開けてやる。俺が消すことはできないが、おめぇが自分で吹き消すことはできる。それなら簡単だろう」
「え、それで死ねるの」
「痛くも痒くもないぜ」
 おぉ、SSRかも。
「やるかい」
 ユアに目をやる。もう、ほんとに二度と会えなくなるんだな。
 リクに目をやる。クソ、なんで僕からユアを奪ったんだ。親友だと思っていたのに。
「よし、やる」
「ほれ、一気にやりな」
 ケースの蓋が外された。蝋燭の炎は、小さく縮こまっている。
 これで面倒な思いから解放される。
 僕は、すう、と息を吸うと、ふう! と、蝋燭を吹き消した。薄い煙がひとすじ、すう、と天に昇った。
 バラッ! と音を立てて、骨が地面に散らばった。
 体が軽くなり、心なしか心も軽くなった。
「はい、お(しま)い」ニタニタと。
「これで僕は死んだんですね。骨は?」
 地面に散らばったはずの骨が、消えている。
「あとで墓に入れとくよ」
 マントの内を、ちらりと見せる。紐をかけられた白い骨壷が、善右衛門さんの肩から(はす)にぶら下がっている。
「自分で死んだおめぇも悪いが、俺のミスだからな。お詫びと言っちゃあ何だが、特別に、お別れを言う時間をつくってやろう。嫌なやつなら、ぶん殴ってもいいぞ。殴られたほうは痛くも痒くもないが、何か感じるやつはいるみてぇだからな」
 僕はまず、ユアの正面に立った。彼女は、にこにこと笑っている。僕も釣られて微笑み返す。憎いけど、やっぱり可愛い。僕はユアの唇にキスをした。いつもの柔らかさも、温かさも感じられなかった。ユアは何もなかったように、リクと話を続けている。その笑顔は僕にではなく、僕の後ろにいるリクに向けられているんだよな。僕は、拳を握りしめた。
 後ろを振り向きざま、リクの頬を拳で殴る。といっても、手応えはない。
「あれ」
 リクは、僕が殴った頬に手を当てた。
「どうしたの、リク」
「なんか、あったかくって、なんか、カイが近くにいるような気がして」
 リクは、冷めゆく温もりを惜しむように、頬に手を当てている。
 えっ、リク。
「せっかくカイのこと忘れようとしてるのに、そんなこと言わないでよ」
 ユアは涙声になり、両手で顔を覆った。
 えっ、ユア。
「誕生日のサプライズ計画、無駄になっちゃったね」
「お小遣い(はた)いて買ったのに。ペアリング」
 そうだ、僕、来週、誕生日だったんだ。え、サプライズ? え、ペアリング?
「用意してたんだな。さぷらず」
「サプライズです」
 まさか、近頃ふたりでよく会っていたのは、僕の誕生日のサプライズの計画を立てていたのか。
「さぁ、もういいだろ。行くぜ」
「生き返らせて! 火! 火はどこ! 蝋燭は!」
「蝋燭は片付けた。またミスっちまったら、今度こそ、俺ぁ降格だからな。さ、特別に三途の川やら何やらすっ飛ばして、直接、閻魔様の前まで連れてってやるよ。今度は確実に遂行しないとな。さぁ、行くぜ」
「嫌だ! 死にたくない!」
 死神は、ニヒヒと笑った。掠れた声が、あるはずのない僕の脳天を打ち砕いた。
「何言ってんだよ。おめぇ、もう死んでんだよ」
(了)
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