第1話
文字数 731文字
題名 ブルーマウンテン
九月も下旬というのに真夏から一日だけ引き返してきたような太陽だった。
「それにしても、暑いなぁ」
私は、つづら折りの斜面を登りはじめた。このところ墓地への坂道が辛く、足への負担が大きく感じられる。三年前に石段で転倒し、骨折した。それから歩行が少し不自由になってしまった。
やっと妻の眠る墓に辿り着いた。
「おい、もう今回で勘弁してくれよ、もう歩けないよ」
「泣き言を言わないでよ。私が墓に入った時、毎日でも来てあげたい、と涙を流していたのは誰?」
「そんなことがあったかなあ」
私は墓の前で暫く妻と話し込んでいた。するとどこからかコーヒーの香りが漂ってきた。三つほど北にある墓前に老婆が座っていた。どうやら生前の夫がコーヒー党だったのだろう。お婆さんは、墓前でコーヒーを淹れていた。しかもサイフォンを使って本格的であった。
「そうだ、オマエもコーヒーが好きだったね」
私は再び腰を下ろして、妻に言った。
「私は、コーヒーが飲みたくて仕方がないのよ。あなたはいつもお水と塔婆と仏花だけでしょう。やっと気付いてくれたのね」
「そうか、じゃあ待ってろよ」
私は少し離れたところに設置してある自動販売機で缶コーヒーを買ってきた。
「あちら様はキリマンジャロというのに、私は、缶コーヒーなの?」
「昔からお前は愚痴が多いんだよ。今はこれで我慢しろよ」
立ち上がるとお婆さんは見当たらなかった。そしてキリマンジャロの香りだけが漂っていた。
私は坂道を下りながらふと振り返ると、ブルーマウンテンを啜りながら、文庫本を読んでいる妻の姿がはっきりと見えた。
「やっぱりブルーマウンテンを持ってくるかあ」
私は今回限りと言ったことをすっかり忘れてしまい、ぽつりと呟いたのだった。
九月も下旬というのに真夏から一日だけ引き返してきたような太陽だった。
「それにしても、暑いなぁ」
私は、つづら折りの斜面を登りはじめた。このところ墓地への坂道が辛く、足への負担が大きく感じられる。三年前に石段で転倒し、骨折した。それから歩行が少し不自由になってしまった。
やっと妻の眠る墓に辿り着いた。
「おい、もう今回で勘弁してくれよ、もう歩けないよ」
「泣き言を言わないでよ。私が墓に入った時、毎日でも来てあげたい、と涙を流していたのは誰?」
「そんなことがあったかなあ」
私は墓の前で暫く妻と話し込んでいた。するとどこからかコーヒーの香りが漂ってきた。三つほど北にある墓前に老婆が座っていた。どうやら生前の夫がコーヒー党だったのだろう。お婆さんは、墓前でコーヒーを淹れていた。しかもサイフォンを使って本格的であった。
「そうだ、オマエもコーヒーが好きだったね」
私は再び腰を下ろして、妻に言った。
「私は、コーヒーが飲みたくて仕方がないのよ。あなたはいつもお水と塔婆と仏花だけでしょう。やっと気付いてくれたのね」
「そうか、じゃあ待ってろよ」
私は少し離れたところに設置してある自動販売機で缶コーヒーを買ってきた。
「あちら様はキリマンジャロというのに、私は、缶コーヒーなの?」
「昔からお前は愚痴が多いんだよ。今はこれで我慢しろよ」
立ち上がるとお婆さんは見当たらなかった。そしてキリマンジャロの香りだけが漂っていた。
私は坂道を下りながらふと振り返ると、ブルーマウンテンを啜りながら、文庫本を読んでいる妻の姿がはっきりと見えた。
「やっぱりブルーマウンテンを持ってくるかあ」
私は今回限りと言ったことをすっかり忘れてしまい、ぽつりと呟いたのだった。