第3番 中古ショップに持ち込まれた遺品のクラシックCD

文字数 1,662文字

 おそらくこれは遺品の整理だろうな、と思った。
 このダンボールは昨日の閉店時にはなかったはずだから、僕が出勤する前の午前中に持ち込まれたんだろう。

 十年ほど前に働いていた、中古の書籍やCDを扱っていた店では、時々こういったまとまった買い取りがあった。
 学生っぽいオニーチャンが、引っ越し前に処分する書籍を持ってきたこともあったし、亡くなった方の遺品整理のために遺族の方が来られたこともある。
 ダンボールの中にはクラシックのCDがぎっしり詰められていた。
「店長、これ今日買い取ったやつですか?」
 僕は休憩から戻ってきた店長に聞いてみた。
「うん。持ってこられたのは四、五十代ぐらいの男の人だったけどね、亡くなったお父さんがクラシックが好きだったんだって」

 僕はこの店で働くようになってから、店に持ち込まれたものを見て、この持ち主はどんな人なんだろうと妄想してみるのが密かな楽しみになっていた。
 このお父さんはどんな曲が好きだったのかな。
 この店でクラシックに詳しいスタッフは僕しかいなかったから、ひとりでじっくり見ていった。
 どうやらこの人はオーケストラを中心に楽しんでおられたようだ。
 ピアノやヴァイオリンなどの演奏家のCDはほとんどなかった。
 ざっと見た感じ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなど、クラシックの王道レパートリーがずらりと並んでいる。
 レコード会社は、世界最高峰のメジャーレーベルであるドイツ・グラモフォンをはじめ、デッカ、EMIなどの大手が中心だった。
 演奏者も超一流ばかりで、きっとこの箱からどの一枚を選んでも外しようがない、ど真ん中の王道アイテムが集められていた。
 僕はその素晴らしい演奏を思い出しながら、一枚ずつ手に取って見ていった。
 きっとこの人は、毎日豊かな響きに包まれて、幸せなクラシックライフを送られたことだろう。

 ダンボールのチェックが終盤に差し掛かった頃、王道のコレクションにはふさわしくない、異彩を放つCDを見つけた。
 レブエルタスという作曲家のオーケストラ作品を集めたアルバム。
 このメキシコの作曲家の名前を知っている人は、興味を深堀りするタイプのマニアックなファンに違いない。
 少なくとも、王道路線のこのお父さんとは縁がなさそうな作曲家だった。
 でも、次のCDを手にしたとき、なるほどと納得した。
 ドゥダメル指揮、ベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団の『フィエスタ!』というアルバム。
 ドゥダメルは若干二十四歳でドイツ・グラモフォンと契約を結んだ、ベネズエラが生んだ若き天才指揮者。
 1981年生まれだから、『フィエスタ!』が発売された2008年でもまだ三十歳になっていなかった。
 そうか、このお父さんは往年のスターじゃなくて、注目の若手指揮者もしっかりチェックしていたんだ。

 『フィエスタ!』に入っているのはクラシックの名曲ではなく、あまり馴染みがないラテンアメリカの作曲家による作品が集まっている。
 その第一曲目が、レブエルタスの『センセマヤ』という曲だった。
 クラシック音楽という言葉から思い浮かべる雰囲気とは違った、どこか呪術的、民族的な怪しい響きが繰り返され、次第に熱狂を帯びてくる。
 きっとお父さんは、若き才能を追いかけるために買ったCDで未知の曲に出会い、レブエルタスの他の曲も聴いてみたくなったんだろう。
 王道路線のお父さんが脇道に逸れた唯一のアルバム。
 レブエルタスの曲は満足のいくものだったんだろうか。
 新しい喜びと出会えていたらいいな。
 とっくに答えは出ているし、その問いかけに答えることができる人はもういないけど、僕は妙にドキドキしていた。
 面白い曲ですよねって語り合いたかったな。

 僕はCDをダンボールにしまうと、テーブルに置いてあった、ポップを作成するための黄色いカードを取った。
 そのカードに太字のマジックで勢いよく『お父さんに見つかったメキシコの秘曲!!』というコメントを書いた。
 そのカードをしばらく眺めたあと、満足してシュレッダーにかけた。
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