ネコと和解せよ
文字数 1,998文字
「あーくそ。買えなかったぁ」
自分の席に着くなり、俺は机に突っ伏した。昼休が始まってすぐに購買に行くつもりだったのに、なんで先生に捕まるかねぇ。遅刻して来た俺も悪いけど。
「奏大 、ほれ」
突如、パンが降ってきた。コロッケパンだ。起き上がって横を見る。視線の先にパンをいくつも抱えた悪友が立っていた。
「お前、タカケンに捕まってたろ? 買っておいてやったぞ」
タカケンってのは担任のあだ名だ。
「おお一樹 ぃ。助かった……って、一個だけ?」
「ったりめぇだ。残りは俺の分。ちゃんと金払えよ」
一樹は前の席の椅子に座ると、俺の机の上にパンを置いた。
「金は払うからさ、もう一個」
「駄目。帰宅部のお前と違ってこっちは陸上部なんだよ。食っとかないと部活中に腹がへる」
一樹は次々とパンの袋を開けていく。こいつは食べる前に全部出すタイプだ。
「ちぇ。ほらよ」
俺は百四十円を差し出した。一樹はからあげパンを咥えたまま受け取る。
「んで、なんで遅刻したんだ?」
二個目のパンを手に取って一樹が訊いてきた。咥えていたパンはすでに腹の中。こいつ食うの早ぇよ。
「寝坊しただけだよ」
「ゲームでもしてたのか?」
「違う。目覚ましの時間がずれてた。今、母ちゃん家にいないから、誰も起こしてくれなくて」
うちは現在、父親が単身赴任中。その親父 が怪我をしたとかで、母親は看病に行っている。
「え? でも、お前ん家 ――ははぁ」
一樹がにやけた笑いを浮かべる。
「京 ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「うっせぇ」
京というのは三つ下の妹だ。その妹と、確かに俺は喧嘩した。勘のいい友達 は嫌いだよ。
「どうせお前が怒らせたんだろ。何したんだ?」
「……ケーキ食った」
「はぁ?」
「冷蔵庫の中にあったケーキを食ったんだよ。あいつダイエットしてるって言うから」
「そりゃ怒るな。『甘いモノは別腹』って言うだろ?」
「そう言ってキレられたよ。でもそれってダイエットと関係なくね?」
「別腹だからカロリーも別なんだろ。ウチの姉ちゃんたちもよく言ってる」
一樹 には姉が三人いる。結構美人の。
「で、怒って朝起こされなかったっと」
「それだけじゃねぇよ。あいつ俺の目覚ましをズラしやがった」
いつの間にか俺の目覚ましに細工がしてあったのだ。それもいつもより遅い時間に鳴るように。
妹 は、昔からそういう悪戯だけはよく思いつく。
「食べ物の恨みは怖いぞ。特に女のは。母ちゃんしばらく帰らないんだろ? 機嫌はとっとけ」
経験からなのか、一樹はしみじみと言う。けど俺を見る目は笑っていた。
お前、絶対面白がってんだろ。
☆
……空気が重い。
家 のダイニング。目の前には妹がいる。俺たちは今、弁当を黙々と食べていた。俺が学校帰りに弁当屋で買って来たものだ。
「あの――」
「…………」
う。無視してる。中学から帰って来て、ずっとこうだ。
「あのな――」
「さっきから何?京 、忙しいんだけど」
妹 は自分のことを名前で呼ぶ。そして俺は――
「ネコ、あのな……」
妹のことを「ネコ」と呼んでいる。なぜって?
まだ幼かった頃、こいつは「みやこ」を「みゃーこ」と発音していたからだ。まるで猫が鳴くみたいに。
「だから忙しいんだって」
ネコは弁当から視線を外さずに言う。
俺は「弁当食ってるだけだろ」という言葉を飲み込んだ。言えばまた喧嘩だ。代わりに別の言葉を口にする。
「昨日は悪かったよ。勝手にケーキ食って」
「…………」
箸が止まった。上目使いに俺の方を見る。というか睨んでる。
「お詫びにケーキ買ってきたから」
明らかにネコの表情が変わった。顔を上げ、目を見開いて俺をじっと見つめている。その表情 、まるで好奇心剥き出しの猫みたいだな。
けどすぐに弁当に顔を向けて、興味がないふうを装ってくる。
「だから?」
ネコよ、声は冷たいがケーキの事が気になってるの丸わかりだ。まったく箸が動いてないぞ。もう一押しだな。
俺は吹き出しそうになるのを堪えて、冷蔵庫からケーキの箱を取り出した。そして妹の横に置く。
「!」
妹 の瞳が箱に釘付けになった。それもそのはず。我が家では定番の、人気洋菓子店の箱だからだ。昔から、家族の誕生日には必ずこの店のケーキを買っている。
少し嬉しそうな表情で見てくるネコに、俺は頷いてみせた。妹は箸を放り出して箱を開ける。中にはチョコレートケーキが二つ。
「ザッハ・トルテ!」
ネコが嬉しそうに言う。お前、そのケーキ大好きだもんな。
「二つとも食べていいの!?」
「え? あ、ああ」
一個は俺が食べるつもりで買ったんだけど……まぁいいか。しかし同じの二つも食べて飽きないのかね。
「でもご飯はちゃんと食べろよ」
「はーい」
明るく返事をして、すごい勢いで弁当の残りを片付け始める。
「お兄ちゃん、ありがと」
随分と素直になりやがって。でもまぁこれで、ネコとは和解できたってことでいいかな。
〈了〉
自分の席に着くなり、俺は机に突っ伏した。昼休が始まってすぐに購買に行くつもりだったのに、なんで先生に捕まるかねぇ。遅刻して来た俺も悪いけど。
「
突如、パンが降ってきた。コロッケパンだ。起き上がって横を見る。視線の先にパンをいくつも抱えた悪友が立っていた。
「お前、タカケンに捕まってたろ? 買っておいてやったぞ」
タカケンってのは担任のあだ名だ。
「おお
「ったりめぇだ。残りは俺の分。ちゃんと金払えよ」
一樹は前の席の椅子に座ると、俺の机の上にパンを置いた。
「金は払うからさ、もう一個」
「駄目。帰宅部のお前と違ってこっちは陸上部なんだよ。食っとかないと部活中に腹がへる」
一樹は次々とパンの袋を開けていく。こいつは食べる前に全部出すタイプだ。
「ちぇ。ほらよ」
俺は百四十円を差し出した。一樹はからあげパンを咥えたまま受け取る。
「んで、なんで遅刻したんだ?」
二個目のパンを手に取って一樹が訊いてきた。咥えていたパンはすでに腹の中。こいつ食うの早ぇよ。
「寝坊しただけだよ」
「ゲームでもしてたのか?」
「違う。目覚ましの時間がずれてた。今、母ちゃん家にいないから、誰も起こしてくれなくて」
うちは現在、父親が単身赴任中。その
「え? でも、お前ん
一樹がにやけた笑いを浮かべる。
「
「うっせぇ」
京というのは三つ下の妹だ。その妹と、確かに俺は喧嘩した。勘のいい
「どうせお前が怒らせたんだろ。何したんだ?」
「……ケーキ食った」
「はぁ?」
「冷蔵庫の中にあったケーキを食ったんだよ。あいつダイエットしてるって言うから」
「そりゃ怒るな。『甘いモノは別腹』って言うだろ?」
「そう言ってキレられたよ。でもそれってダイエットと関係なくね?」
「別腹だからカロリーも別なんだろ。ウチの姉ちゃんたちもよく言ってる」
「で、怒って朝起こされなかったっと」
「それだけじゃねぇよ。あいつ俺の目覚ましをズラしやがった」
いつの間にか俺の目覚ましに細工がしてあったのだ。それもいつもより遅い時間に鳴るように。
「食べ物の恨みは怖いぞ。特に女のは。母ちゃんしばらく帰らないんだろ? 機嫌はとっとけ」
経験からなのか、一樹はしみじみと言う。けど俺を見る目は笑っていた。
お前、絶対面白がってんだろ。
☆
……空気が重い。
「あの――」
「…………」
う。無視してる。中学から帰って来て、ずっとこうだ。
「あのな――」
「さっきから何?
「ネコ、あのな……」
妹のことを「ネコ」と呼んでいる。なぜって?
まだ幼かった頃、こいつは「みやこ」を「みゃーこ」と発音していたからだ。まるで猫が鳴くみたいに。
「だから忙しいんだって」
ネコは弁当から視線を外さずに言う。
俺は「弁当食ってるだけだろ」という言葉を飲み込んだ。言えばまた喧嘩だ。代わりに別の言葉を口にする。
「昨日は悪かったよ。勝手にケーキ食って」
「…………」
箸が止まった。上目使いに俺の方を見る。というか睨んでる。
「お詫びにケーキ買ってきたから」
明らかにネコの表情が変わった。顔を上げ、目を見開いて俺をじっと見つめている。その
けどすぐに弁当に顔を向けて、興味がないふうを装ってくる。
「だから?」
ネコよ、声は冷たいがケーキの事が気になってるの丸わかりだ。まったく箸が動いてないぞ。もう一押しだな。
俺は吹き出しそうになるのを堪えて、冷蔵庫からケーキの箱を取り出した。そして妹の横に置く。
「!」
少し嬉しそうな表情で見てくるネコに、俺は頷いてみせた。妹は箸を放り出して箱を開ける。中にはチョコレートケーキが二つ。
「ザッハ・トルテ!」
ネコが嬉しそうに言う。お前、そのケーキ大好きだもんな。
「二つとも食べていいの!?」
「え? あ、ああ」
一個は俺が食べるつもりで買ったんだけど……まぁいいか。しかし同じの二つも食べて飽きないのかね。
「でもご飯はちゃんと食べろよ」
「はーい」
明るく返事をして、すごい勢いで弁当の残りを片付け始める。
「お兄ちゃん、ありがと」
随分と素直になりやがって。でもまぁこれで、ネコとは和解できたってことでいいかな。
〈了〉