第1話

文字数 6,448文字






春の野道をコトコトと一輪馬車で行くような文章。あるイギリス人は『釣魚大全』をそのように評した。この本には不思議な宿命があって、世の中に、戦争、革命、疫病、その他の困難がある度に増販されるのだそうだ。それが事実かどうかはわからないし、誰が考えたかもわからないが、それはひとつの美しい幻想である。開高健は講演の中でそう語っている。

ある夏の日、突然「開高健」の名前が頭に浮かんだ。それから数日して金沢に行った。金沢には良い古書店が多いと聞いていたのでそのうちの一件に行くと開高本がずらりとならんでいた。そのうちの何冊かが私の人生を変えたのかもしれない。

釣りは子供の頃に熱中した。海、山、川を問わず少しづつ試みたが、自力で岩魚を釣り上げたことは三十年以上経った今でも鮮明に覚えている。運が良かったとかマグレだったとか、大人は色々に言ったが、誰にも教わらず自分で本で調べて、道具も餌も揃えて、三匹釣り上げたのだ。

今はもうないが、その頃、山奥にとある秘湯があり、家族でよく泊まりに行った。車ではもはや進めないというところまで行って、そこから歩いて三十分ほどであろうか、川のほとりに温泉宿が見えてくる。電気はない。ランプの宿として知る人ぞ知る存在だった。川に迫り出した、というよりは、ほとんど川の中に、露天風呂があった。その縁には岩がひとつ突き出ていて、その岩の上から川に糸を垂らすと岩魚が釣れるということだった。それなら風呂に入りながらでも、川の流れに竿を出せば釣れたのかもしれない。風流な話ではある。

朝が苦手な中学生もこの時ばかりは五時起き。イクラを餌に、渓流であるから脈釣りである。思いの外簡単に釣れた。釣れたことの感慨よりも、岩魚の顔は怖かった。釣れるとは思っていなかったので、ひどい話だが、風呂場の洗面器に魚を入れた。

その後テンカラを試したこともあったが、その時はだめだった。水面に浮いた毛鉤に岩魚が一匹ゆっくりと寄ってきて、バーカといって帰っていったのが見えた。興奮でガタガタ震えた。

それからしばらく釣りからは遠ざかったが、テンカラのことはずっと頭にあった。これは単純な釣りではあるがゆえに非常に奥の深い釣りである。シンプルな釣り、というよりも、ピュアな釣り、と言うのがふさわしい。

いい大人になったある日、テンカラ釣りをしたいと思い、子供の頃通った釣具店に行った。15年ぶりである。

「テンカラをやりたいのですが、糸は自分で縒って作るものですか?」
「あー、そんなのは無理。指紋がなくなっちゃうよ。ちゃんと出来合いのがあるからそれを使いな。」
「それに毛鉤をくっつけるんですよね。たとえば、ですよ。そうだなあ、ソクラテスが釣ったような釣りをするとしたら、毛鉤も自作じゃダメですかね?」
「テンカラっていうか、毛鉤釣りってのは古代バビロニア発祥だからな。出来なくはないけど、ソクラちゃんなんて人は、自分で釣らなくても皆んなが食わしてくれたんじゃないの。」

テンカラ竿と、毛鉤と、テンカラ用の糸を選んでもらって、店主と奥さんに見送られて店を出た。それを使って魚は釣れなかったが、今でも持っているこの竿は思い出の一本だ。あの店はもうないらしい。

この店主は、子供の頃に知っていた大人の中で、最も幸せそうな人であった。好きなことだけしているように見えた。そして、小学校の同級生の叔父さんだった。だから友達と店に行くと、あの子の叔父さんなんだからまけてよ、などと言うやつがいて、そういう図々しいのは不愉快だった。

その頃、家の近所に林があって、そこに小さな沼があることがわかった。そんな沼があるとは誰も知らなかったが、そこで魚が釣れるという。毎日のように釣りをしていたように思うが、いくらなんでもそんなに暇ではなかったとも思う。

ひとり、いつも確実に魚を釣り上げる同級生がいた。彼は学校で、暇さえあれば割り箸を削っているのである。釣り場に行ってみると、それが浮子なのであった。当時は、浮子代を節約しているのかと思っていたが、今にして思えば、彼は自分で作った道具で魚を釣る喜びを味わっていたのだと思う。釣れるのは小さな魚だった。

ある日、もっと遠くに雷魚のいる大きな沼があるので、みんなでそこに行ってみようということになった。やれ、ルアーだ、リールだと、釣具店は繁盛しただろう。
「何釣るの?へー、雷魚か。」
店主は何も言わない。

釣具店にいかなかったのがひとり。割り箸浮子の彼である。彼はこのでかい沼でも、ひとりで小物釣りをするらしい。我々には奇異に思われた。

考えてみればこれは実に珍しいことではないか。ひとりだけ大物に挑戦した、というような英雄的行為ならばなんとなくありそうで、ああ、あいつはいつもそうだったね、などと後々讃えられたり、あるいは馬鹿にされたりはするだろう。しかし、皆が大物狙いのときにひとり冷静に小物を釣る小学生とは。渋い。

蓋を開けてみれば、「釣りキチ三平」ならぬ我々に、雷魚などが釣れるわけもなく、しかし、小物狙いの彼だけは、ひとり確実に釣果をあげた。この時我々は、うんと大物を引き合いに出して言えば、「ああ、げに彼こそは、神の子であった」などと悔い改めるべきだったのだろうが、こんな出来事を覚えていて、そして今更に感心しているのは私ぐらいなものだろう。

開高健は世界中で大物を釣ったが、はたしてそれで満足だったのか。「開高健の憂鬱」なる本を金沢で買ったが、その憂鬱の原因のひとつは、この大物狙いにあったのではないだろうか。ビッグスポンサーをつけて世界を釣り歩いては、釣れないわけにもいかないだろう。一時は万事、他の分野においてもその性癖は現れていたのかもしれない。

手元にはあの時のテンカラ竿。釣りの真似事をしてみたくなった。近所の釣具店で、鉤と糸と錘と浮子を買い、簡単そうな餌も買った。これで故郷の川で釣ろうという魂胆である。

子供の頃に本で読んだ通りに、釣り場を見つけ、仕掛けを作る。餌をつけて川に入れるとすぐに小さな魚が釣れた。天地がひっくり返るほど、驚き、そして嬉しかった。こうしてひとり、釣りキチが誕生した。

近所に釣り堀があるので行ってみると鯉が釣れる。うれしくもなかった。しかし鯉を釣っていると、たまに小魚が掛かる。そっちは外道だと言うのだけれど、そっちを釣ってみたくなった。釣具店に走る。小さな鉤、小さな浮き、小さな錘、細い糸。そうするとその方が面白い。どうしてなのか、小さな魚を釣るのが今の自分には面白い。

変わった趣味ですねえ、こりゃあいい根性だねえ、忍耐の釣りだねえ。釣り場でいろんなことを言われたが、今の私の心は全く動じない。あの割り箸浮子の彼も同じ気持ちだったのだろうかとふと思う。




道楽という言葉は、道楽者、道楽息子、道楽商売、など使い勝手がよろしく、趣味という言葉よりどこかしら罪悪感を刺激していかにも碌でもないことをして時間を弄んでいる風があり、それだからこそ余計にその時間が味わい深い。

たとえば年に一度思い余って外でひとりで鰻を食うとする。そんな時ふと、女房子供に申し訳ねえ、という気持ちが心の底に沸き起こるであろうが、あれは実に、山椒の粉以上に鰻の味を引き立ててくれるものである。

かくのごとく道楽とは、のたりのたりしているようで、どこかピリリと辛い刺激があるのであって、シュミなどという生半可な単語にはそのような後ろめたさがない分だけ凄味が足りない。

道楽といえば昔から洋の東西を問わず魚釣りというものがある。毛鉤釣りの発祥は古代バビロニア。我が国では縄文遺跡から鹿の角を鋭利な石器で削った釣り鉤が出土した。昭和の時代には実際にそれを同じように製作し、ちゃんと魚を釣って見せた考古学者がいる。

釣りは生活を支える技であったが、同時にそのヨロコビというものをも古代人も体感していたはずで、そうでなければどうしてあのような精緻なる鉤なぞを作ることを思いつくであろうか。食うためだけならば水に潜れば魚は獲れる。

件の考古学者は、まず石器を作り、それからその石器で鹿の角を削って鉤を作ったそうである。現代の釣り師たちは家での釣り具いじりにも楽しみを見出すが、古代人のその労力も、少なくとも半分は楽しみのためだったろう。大きさ素材はともかく、釣鉤の姿形は数千年前に洋の東西で既に完成され、それ以来ほとんど進化する余地がなかった。


江戸の時代ともなると、生活の糧とは無関係の正真正銘の道楽としての釣りが流行した。流石に天下太平の三百年であって、太平の逸民が悦んだ。食べ甲斐などない極小な魚を釣る。

江戸の後も、十五代将軍は大政奉還後の明治の長き世をこの釣りとともに過ごしたというし、天下太平の戦後七十幾年にあっても、この釣りは健在で、江戸の流儀を今に伝える復古的な釣りとして人気がある。

タナゴ釣り師連は何はともあれ道具に凝りに凝る。タナゴという魚は大人の小指ほどもないような小さな魚なので、いつの間に餌に噛み付いたかの判定が非常に付きづらい。加えて口も小さいので極小の鉤でしか掛からない。少なからぬ数の釣り人は、その鉤に顕微鏡を使って鑢をかけるという。

江戸は八百八町、当時の倫敦巴里をも遥かに凌ぐ世界一の大都市であり、そこから見る富士は壮大で、時代は下って戦艦大和は、などなど、いくらでも我が国の大きいことはいいことだ的嗜好を読み取ることができるが、一方では、二人も入れば身動きの取れない茶室、根付、米粒にも絵を描いたとかという北斎の伝説など、微小なるものへの偏愛もまた日本的精神であり、タナゴ釣りもその仲間に数えられるものである。

竿は二尺、三尺、四尺、五尺と30センチ単位、別の流儀では20センチ単位で何本も揃えるという。長い竿を一本持って出かけ釣り場に着いてみたら思いの外魚の住処までが近かったから竿の根元を外して短くして使う、というような節約は許されぬらしい。竿の根本と先とその間の物理的関係が何か重要な意味をなすのであろうか。撓わない竿を使えば、この小さい魚を釣り上げる感覚は手元には伝わらず、感興も何もないのであるから、竿の感度は最重要課題であり、竿先に鯨の髭をつけるという。クジラでタナゴを釣るとは、しばし言葉を失う。

このような繊細極まりない竿が発達したのは、日本に竹というものが生えていて、既にそれを弓矢に加工する技術にがあったからだそうで、竹の存在しない西洋には到底真似できない。シャリアピンは、と突如大物を出せば、昭和十一年来日の際に釣道具屋行きを烈しく所望し、そこで邂逅したる日本のタナゴ竿を称して、釣竿のストラディヴァリウスだ、と言ったことはシャリアピンステーキの逸話ほどは知られていないのは当たり前だが残念なのでわざわざここに記す。

竿の長さに合わせて、仕掛け、つまり糸と浮子と錘と鉤の力学的組み合わせにも気を遣い、かつまたそれを何種類も揃える。ここにおいてもまた、長いやつを釣り場で短くチョン切るというような蛮行は許されぬらしい。

なんでもこの仕掛けを作るには大変な熟練が必要だそうで、餌がフワリと魚の前に落っこちるようにするために、家で大きな馬尻やゴミ箱を用意して、そこで浮子と錘の重さの関係を模索するのだそうで、これを風呂場の残り湯などで行っては釣り場で浮力に違いが出るとかなんとか。何たる迂遠なる労力であろうかと一笑する方面は、釣道具屋においてこれらの仕掛けを探し求められれば二千円を下らない。

事のついでに釣り道具屋の店主に竿の値段を訊いてみる。すると話をはぐらかされ、まあ竿の問題じゃあないんで、などと意味不明なるほくそ笑みをくらうのがせいぜいのところだが、さり気無くしかし鋭くその背後を窺い見れば、下は一万五千円から上は天井無し、さながら年代物の葡萄酒の値段を眺めて呆然としているようであって、しかしこちらは飲んでしまってなくなるようなことはないのだからまあ良いか、などという感慨が正しいのか正しくないのかよく分からないままそそくさと店を出る。

その竿であるが、これは短く仕舞うと筆箱に入るほどの長さであるが、その筆箱ならぬ竿入れがまた凝っていて、従ってここにもさらなる出費が見込まれる。いろいろと本来なら必要でないような物に金をかけるのが道楽の特徴ではあるが、それらを微細に書き記すだけの必然を此方は持ち合わせていないし、読んでいて面白いものでもなかろうからいい加減にして切り上げるが、とにかく世の中にこれだけの金と時間と手間を惜しむことのない人種の存在するを知るを愉悦とする。


翻って我が東京西部には、遺憾ながらタナゴという魚は生存しない。都心を跨いで東の野に出でなければ生息しないとは、魚のくせにいかにも洒落た江戸趣味である。その昔は江戸城から東を江戸と称したのだから、その西には、時代は下ろうとも、タナゴなどいるはずもないのである。

そこでタナゴに相当する魚を物色するにクチボソという魚に行き当たる。

この小魚は、タナゴ釣り師、フナ釣り師、ヘラブナ釣り師、などなどの鉤から巧妙に餌をくすねるが為に外道などと呼ばれて疎ましがられている。餌を食うときの引きが小魚のくせに頗る強いが、字の如くに口が細い小さな魚なので鉤に掛かりにくい為、釣り上げるのはそう簡単ではない。

外道だの雑魚だのジャミだのは所詮人間が考案した名前。これでいってみようではないか。かくの如く我が釣りはクチボソ専門。しかもタナゴ釣りとは異なり清貧を極める。

竿は大昔に購入した竿を抜いて六尺にする。根本に軍手の小指を切り取ったやつを輪ゴムでグルグル巻きにして取手とする。長年なぜか保管されていた竿君は、文字通り身を削って陽の目を見るに至ったのであるからこれに値段を付ける術もない。

浮子はタナゴ用の親浮子一個のみ百五十円也。極小ではなく小サイズを使うところが工夫である。小サイズの浮子を水中に引っ張り込めるサイズの魚しか鉤には掛からない。

本式のタナゴの仕掛けにおいては、親浮子の下に子浮子ならぬシモリ浮子なる微小の浮子を五つから八つ連結し、そちらの方を睨んで魚の食い付きを判定する。後学のため、前述の道具屋に於いて、高額なるタナゴ仕掛けを購入し、釣り場で八個のシモリを観察するに、繊細なるタナゴの食い付きを観るにはさぞや趣きあろうと推測される高価な仕掛けも、クチボソ君の如き強力引っ張りを捉えるにはいささか繊細に過ぎる。

鉤だけは高価なタナゴ用の極小鉤を使用するが、あとの糸と錘は只のような値段である。

餌はハエの子、つまりウジ虫であるが、これが釣り人には何故かサシと呼ばれ、紅白の2種類がある。紅の方は食紅を食わせて色をつけているとのこと。白が50匹で150円、紅が170円というところで、こんな小さなものでもクチボソ君の口には入らないので切って使う。体液がうまいのか、斬られてのたうちまわるのがいいのか、その方がよく釣れる。ウジ虫くんたちよ今度は何か違うものに生まれ変われよ。

何しろ20回浮子が沈んでそれをこっちに引っ張って、さあ1回魚が引っ掛かるかどうか、という釣りである。この迂遠なることこそ値千金。

たくさん釣れることをタナゴ釣り師は競う。タナゴ用の餌に、競技用、というのがあるくらいで、100匹を1束と数える。クチボソ釣りに競争なし。廉価なる道具および餌で、およそ半日の間自他を忘却し、桃源郷に遊ぶが如し。この酔狂を名付けるに、清貧の道楽。

清貧と道楽はいかにも不似合いであるが、魚を獲って女房子供に食わせるでもなく、時間だけはいくらでも浪費される。平日の太陽が胸にピリリと辛い。そのうちに、

釣れますか 
などと文王 
そばに寄り

ということでもないかと思っているが、こっちは一応鉤に魚が掛かってくるのだし、そんなこともあるまい。

太公望の鉤は真っ直ぐで、しかも水面より上に位置していたそうである。

わざとらしい。

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