第2話 胎動

文字数 5,689文字

 空は清々しいほどに青く、窓は寒空の下で吹く風を取り除いて、生暖かい太陽の細い日差しだけを取り出して部屋に射す。2047年の神無月、平日の昼間からパソコンのディスプレイとにらめっこをしていた高校生『三浦 モカ』は、掛けている丸眼鏡のフレームを二本の指でちょこんと押し上げた。

 そこに映るのはマウスポインターとゲーム画面。透き通る河川の水面と明暗をはっきりとした光の反射、焔のような淡い茜色の陽光が山々の谷間から上がっていくワンシーン。彼女の作り出した街がその陽光を受けて眠りから覚めると、世界が忙しなく活動を始めて色彩を変える。

 一度瞬きと深呼吸をしたモカは両腕を伸ばし、目線を天井に向けて開きっ放しだった口から言葉を発した。

「うぅぅん出来たぁ!」

 彼女の肩から力が抜けていく。達成感で満たされた全身が震え、二倍速で動き続ける箱庭の情景に瞳孔が据わっていた。

「私の街……はぁ、久々に作り上げたよー!」

 歓喜は山岳地帯を抜ける気動車のミニチュアがビルに囲まれる光景を前に、彼女はまるで小動物を愛でている少女のように微笑む。

「こうして暮らす人間の視点に変えて街を見上げるのがたまらんのだよねぇ。ぐへへぇー」

 マウスカーソルを動かして別の視点に移動しては、田園風景を走る無駄に長い貨物列車や大都会を走る超過密路線を舐め回すように気色の悪い呻きを混ぜ、鼻息を荒立てたがら鑑賞していた。

 そんな茶々の入れづらい結界に扉をノックするノイズが乱入する。マウスを離し振り向いたモカは、座ったままその向こう側に振り返って、返事をした。

「はーい! なにーお母さん!」
「携帯、下に放置していたでしょう。電話来てるわよ」
「携帯? えーっと持ってきたはずだけどー」

 声を聞かずともそれが母だと見破る。二人暮らしだから、別に造作も無い。

 そんな彼女の指摘に首を傾げながら座っていたゲーミングチェアの辺りを見渡すがない。目線を天井に直して朝の行動は思い出す。

 朝起きて朝食を取る。そのとき目覚まし代わりにしている携帯電話をお供に皿の横へ置く。認識の中では携帯電話を左手で掴み、自室へ戻ってパソコンのスイッチに手を掛けた……はず。

 すなわち彼女の中では携帯が手元になければおかしいのだが、存在しない。

「あれー? 持ってきたはずなのになー」
「持っていってたら私が来ないでしょう。気持ち悪い声上げてるあなたの元に」
「気持ち悪い声?」
「外にまで漏れてるわよ」

 心音が驚いて一瞬止まり、肩を竦ませる。扉を開き、携帯電話を受け取ると、私は小声で「ありがとう」と呟いて、座席に戻り携帯を耳に当てた。

「おはようモカ。その様子だとまた悦に浸ってたようだね」
「……聞いてた?」
「ばっちり」
「かぁぁぁぁ! あの人さぁ!」
「ずっと呼んでたのに気づかないモカが悪い」
「そう何も言い返せないけどもさぁ。うーん。で、何か用ですか裕翔」

 中性的な声がスピーカーから漏れる。聞き取りやすい澄み切った声は同じクラスの男子生徒『舘 裕翔』だ。

 箱庭系のシュミレーションゲームをかじっていたことでモカと気が合い、クラスでは恋仲とも噂されているほど、学校中では常に一緒にいる。少なくともモカにはそういう気はない。

 すると突として裕翔は話を変える。

「今日はログインしないのかい?」
「……するよ。午後になったらね」
「戦車学校を卒業して、部隊配備が決まってね。おめでとう」
「同時期に始めた人達はもうとっくに前線経験しているんだけど……ね!」
「ご、ごめんって。あれはほんの出来心だよ」
「ふーん、そっかー。じゃあ私が間違って真下から短SAMで狙い撃ちしても問題ないかー」
「本当にごめんってば! わかった、わかったから地上部隊でか弱い航空機に一斉攻撃するのだけはやめて」

 必死に懇願する彼にモカは眼を電話越しで目を光らせて語る。

「ウォーフェア・オンライン。まさか、ここまでハマるとは……」
「最初は航空機でひぃーひぃー嘆いてて、もう絶対にやらないって誓ったあの剣幕が嘘のようだ。意外だったよ」
「フルダイブゲームで戦車乗りになるなんてね」
「究極の戦場体験はもうすぐだよ。よく辛抱したね」
「もうブートキャンプは懲り懲りなんだけどな」

 口ずさむモカ。裕翔はその意外性を言葉で表現した。

 そのゲームの名は『ウォーフェア・オンライン』。2040年代に軍事訓練用のフルダイブ技術が民間に解き放たれ、『ウォーフェア・オンライン』は民生としてその技術を用いたフルダイブFPS。

 ログインしたプレイヤーは四つの国家群、陣営の兵士となり、用意された武器、兵器を扱い、戦争をするという内容で、発売後一年を経たずして全世界7000万本を売り上げる大ヒット作となった。

 裕翔の勧誘もあってモカも一か月前に購入。右も左も分からない彼女へ悪戯に詰め込んだ結果、ようやく戦車兵となったのだ。

「一区切りついたら、行くよ。着隊後の顔合わせ。みんな揃うっていうから」
「頑張って、新任中隊長さん」
「揶揄わないでよ。私だって、人選について大隊長に物申したい気持ちはあるし」
「広い視野を持ち、訓練とは言え経験を様々な戦技を身に着けた初心者プレイヤーが、一か月の時を経て戦車兵に、なんて大隊長も少し期待してるんだよ。未知数の大型新人ってところかな?」
「でも、すぐに降ろされるよ」
「狼狽えることないよ。所詮、ゲームだから」
「うん……」

 モカは不安な面持ちで気弱な返事をした。

「部隊での話、楽しみにしてる。それじゃあね」
「わかった。せいぜい土産話にならないよう頑張るよ」

 裕翔との電話を切るモカは、深い溜息をついてパソコンのモニターを消灯した。

「端から不適だとわかってるんだけど……ね」

 ゲーミングチェアからベットへと気だるそうに移ると、枕元へ投げられていたオレンジ色のバイザーを下げたヘッドギアを取る。

 これが脳内とネットを繋ぐツール、フルダイブゲーム用デバイス『レイセオン』。その初期型はヘルメットのような無骨でサイズもまだ大きい物だったが、改良が重ねられ第二期生産型からこの形に落ち着いている。

 頭に装着すると、バイザーにメニュー画面が表示され、これを瞳の動きで操作する。瞳を動かすとポインターがその場所へ向かい、瞬きで決定する。デザインはシンプルで選択項目も起動か設定か、シャットダウンの三つしかない。

 起動の文字に眼を合わせ、瞬きを一つすると、意識が吸い取られるように強烈な眠気がモカを襲う。

 肉体と精神が切り離されたとき、不思議な感覚に陥る。眠るような、しかし確かに感覚はある。次に目を開くと、広がる景色は一変していた。


 

 茶髪のショートヘアを耳元まで下げた女性プレイヤーが中隊指揮官に来るという話を聞いて、一同は騒めいていた。ただでさえ硬派な世界設定に、ジャンルもガツガツなミリタリーゲーということもあって、女性プレイヤーの人口は二割にも満たない。

 アークユニオン軍、第三戦車大隊のブリーフィングルームにぎっちり詰められた声という声が入り乱れ、まだ統率のない迷彩服の人間達がそんな淀んだ空気を流していた。

 しかし性別が彼ら疑念の中心ではなかった。その部隊には戦車に乗り込む勇猛な女性プレイヤーが二人、しかも戦車一両を指揮する指揮官である、というのが特筆すべき点である。

 そして新たに赴任する中隊指揮官で三人目。驚愕するような意見は皆無に等しい。
 不安の題材は他にあったのだ。

「こいつぁ」
「なんだジャック? アバターが小動物みてぇーで惚れたか?」
「ちげーよ。こいつ、戦車学校出て間もないひよっこじゃねぇか」
「は?」

 金髪のロングヘアを一本に結ぶポニーテールの男『ジャック』は手に取った経歴の載った書類に眼を見張りながら、その横でステンレス剥き出しのスキットルを持つ西洋人アバターの『カーリング』へ告げた。

「ほんとっす」

 ジャックの後ろで彼の持つ書類を覗いていた茶髪の青年『ボギー』が頷く。

「ざっと一か月。よほどの問題児を連れてきたな。あの大隊長」
「何か考えがあるんでしょう。きっと」
「ただ、俺達の部隊にぁ勘弁だな。オムツの交換できる奴はいるか?」
「止せよカーリング」
「酒も飲めねぇ尻の青い奴はいらねぇって何度言ったらわかんだ。あのボンクラ」
「誰がボンクラだってカーリング」
「うげっ」

 顔を引きつらせて、カーリングは顔を顰めて振り向いた。

「お疲れ様です、大隊長」
「お疲れっす」
「おうジャックにボギー」
「いつから居た。アリゲーター」
「ずっと居たぞー。お前の後ろにな」
「ったく勘弁してくれ」
「飲酒運転は相変わらずだなお前」
「いいじゃねぇか。こっちのが集中できる」

 自慢げにスキットルを高らかに掲げて、茶色の短髪に髭を蓄えた彼らの上官、『アリゲーター』に見せつけている。

「それで、ションベン臭いガキはいらねぇって差別発言が聞こえたんだが」
「前にも言っただろう。おい」
「お前、さすがにここで言うか?」
「あぁ? 関係ね」

 カーリングが反論を仕掛けようとしたとき、鋭い二つの視線で息が詰まる。殺気だった目線の一つから言葉が飛んできたとき、彼は口を紡ぐ羽目になる。

「大隊長のおっしゃる通り、ですわよ。カーリングさん?」
「あんたってさ。時々場違いな発言をするよね。無駄口叩けないように縫い付けたほうがいいんじゃない?」
「お、おう。考えておくぜ」
「やられたな、カーリング」
「っるせジャック」

 二人の男女に詰め寄られた挙句、搭乗員のジャックからもどやされるカーリング。アリゲーターが見かねて手を叩き、騒めきを消し去った。

「総員、静粛にしてくれ」
 足音が一斉に揃った打鍵を叩くと、全員の視線が壇上に登る彼の元に集う。
「多分、いや確実に全員の耳には情報が伝達されていると思うが改めて紹介する。先週付で第三戦車大隊に配属されるラヴェンタ君だ。さぁラヴィー、入ってくれ」
「し、失礼します!」

 耳が隠れるくらいの長さで切り揃えられた茶髪を引っ提げて、扉を勢い良く開けた活発な声の少女は、力の入り切った肩と緊張した面持ちで注目が集まる壇上に上がった。

「一昨日付で着任致しました。ラヴェンタと申します。どうぞ、お手柔らかに……」
「シルフの一番車へ乗車してもらう。異例の抜擢だが恐れずに実力を発揮してほしい」
「は、はい……」
「ラヴェンタでは長い。そうだな、ラヴィーと短くしてもいいか?」
「構いませんよ!」

 その目線の一つ一つがその少女『ラヴェンタ』に突き刺さる。このゲームでは全員が先輩、実戦経験を重ねに重ねた猛者なのだ。敬意と恐怖が混じってその正確な色を留めていない。

「シルフ中隊全員、その場で立て」

 大隊長の号令で最前列に座っていたプレイヤー達が直立する。

「左から一番車、砲手のジャック、装填手のボギー、操縦手のカーリングだ。一番右のは気をつけてくれ。奴は吞まねぇと何をしでかすかわからない」
「は、はぁ」
「だが、呑まねぇとパフォーマンスは発揮できねぇ」
「実際に酔ってるわけじゃないですよね?」
「そんなことはどうでもいいだろう」

 話を強引にはぐらかすと、カーリングは不適な笑みでラヴィーを見つめる。

「二番車、車長のオタサー」
「お見知りおきを、中隊長」
「三番車、車長のブレザー」
「よろしくな、仔猫ちゃん」
「四番車、車長のコバルト」
「……よろしゅう」

 洋画の濃いキャラクター詰め合わせみたいな挨拶は。というか最後の人なんか侍みたいな話方だった気がするけど。

 各戦車を纏める戦車長が紹介されるも、癖の強い挨拶にラヴィーはキョトンと固まってしまう。

「……どうかしたか?」
「あっいえ」
「では三大隊、ブリーフィングを始める。ラヴィーはジャックの横に座ってくれ」
「はい!」

 蛍光灯の白色灯がその明るみを失って、ブラインドが外光さえも遮断すると、映画館のような暗室が広がり、プロジェクターの光が白幕に射し込んでディスプレイを現れた。

 返事をしてラヴィーは着席し、戦闘地域のマップが映る画面に釘付けとなった。

「本演習では中隊内での小隊戦闘を想定した訓練、模擬戦を行う。演習場は市街地を模した砂漠地帯の廃棄住宅街、広さは十キロ四方だ。内容は攻撃側のアルファと防衛側のブラボーに分かれ、ターゲットポイントを争奪してもうら。制限時間は40分。攻撃側は占領、またはブラボーチームの全滅、ブラボーチームは制限時間まで守り切るか、もしくはアルファチームの全滅が勝利条件となる。戦線停滞を防止するため攻撃側には砲兵隊、航空支援が各一回ずつ、防衛側は地雷原と対戦車陣地を二か所ことが可能とする」

 アリゲーターの淡々とした説明が続く。

「チーム分けはラヴィー、ブレザーとシルフ5、7が第一小隊、オタサー、コバルト、シルフ6、8が第二小隊、他は追って知らせる。第一戦は一小隊がアルファ、指揮官はラヴィー、二小隊がブラボー、指揮官はオタサーの布陣で付いて貰う。各員、格納庫にある配備車両を自由に使ってくれ。作戦等は各小隊指揮官に委ねる。質問はあるか?」

 質問を振られるも手を挙げる人間はいない。

「では以上だ。第一戦目の小隊は準備に掛かってくれ。このままこのモニターで戦闘と戦術データリンクの画面を中継する」
「さぁて、やるかー」
「あぁ、それからジャック。昨晩彼女にはこの基地を一通り案内したが、まだ頭に入り切ってない。連れ添ってやってくれ」
「了解です。大隊長」
「それと、固くならなくていい」
「では、わかりました」
「こいつはぁインフェガートだ。上司には媚びを売って礼節を重んじる。言っても体に染みついた悪癖は治らねぇよアリゲーター」
「カーリングほどフランクというわけにもいかないがな」
「だとよカーリング」
「へっ、ほら行くぞ」
「じゃあ、よろしくお願いします、ジャックさん」
「あいよ中隊長」

 最前列と二列目に座っていた中隊の隊員がぞろぞろと立ち上って、ブリーフィングルームから去っていく。

 その群れに連れられ、ラヴィーもジャックの背中を追って演習で使用する戦車の元へと靴音を立てて行った。


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